Hello, my friend~わが心のベリショ~
プロローグ~宴の前の無駄話~
ここは大阪北新地、高級な飲食店が立ち並ぶイメージが強い日本有数の歓楽街の一つだが、中には良心的でリーズナブルな店も多くある。
本日、男たちが集った『端英(ソヨン)』もその一つで、安くて美味しい韓国料理が楽しめる名店である。
座敷を囲んだ5人の男たちは、世代や出身地も違えばファッションや生活スタイルも違う様子で、見事なまでに一貫性がない。
ただ一つ共通しているのは、全員が『バーレスク大阪』というショークラブを心から愛しているという点だ。
今夜はそのお店の人気ダンサーの一人、『りょう』という女の子の卒業の日なのだ。
門出を祝う前に、誰が言うでもなく彼らはこの店に集まって来た。そして彼女との思い出話に花を咲かせているのだった。
「いや、だから最初からりょうは異質だったよね」
中ジョッキ一杯でほろ酔いになれる一人の男が言った。
「まあ、ダンサーぽくはなかったかもね」
「本当に完全未経験で入ってきたし」
「接客もずっとオドオドしてたしね」
他の面々もそれぞれの初対面時の印象を口にし始めた。
「でも、誰よりも輝いてた!!」
と急に声を張り叫んだのは、彼女をイチオシ(大ファン)としている恰幅の良い中年の男だ。鼻息荒く目の前の生中を一気に飲み干す。
「何よりベリショだったしね」
と彼の熱意を冷ますかのように、茶化した感じで隣に座った男が言った。このメンバーの中では一番の若者のようだ。
「ふん、確かに俺はショート好きだけど、それだけじゃない魅力があるのよ、りょちゃんには・・・」
言われた男は新たに頼んだ3杯目の中ジョッキをがぶ飲みして続けた。
ちなみにこのダンサーは『りょう』『りょうちゃん』『りょちゃん』と呼ばれている。最後の呼び方をするのはごく一部の、彼女を保護者のような目線で溺愛する常連客だけかもしれない。先述の恰幅のよい熱い男性などがその代表格だ。男は誰に言うでもなく、自分に向き合うように話し続けた。
「何か、不思議なんだけど、世代とか全然違うのに昔会っていたような、妙な懐かしさと言うか・・・感じるんだよな」
彼が目を細めて呟いた一言に、驚いた様子で対面の男が顔を上げた。
「あ、それ俺も感じてた」その声に続いて隣にいた男も
「え?皆さんもですか。実は私もりょうちゃんと似た子との思い出がある気がするんです」さらにまた一人が
「そういわれると僕もあるような気がしてきた・・・」そしてまた別の一人が・・・
男たちは一様にりょうというダンサーにそれぞれの過去の思い出の女性に重ねたイメージを抱いていたことを吐露していくのだった。
「ちなみにYGーJさんはどんな感じ?」
ある程度話が進んだところで、本日一番気合を入れているであろう、りょう推しの男に話が振られた。彼らは自分たちをSNSのハンドルネームで呼び合う。たとえラインを交換して本名が知れた後でも、そこは暗黙の了解といったところなのだろう。話を振られたYG-Jは珍しく照れた様子で語りだした。
「黒歴史やからあんまり言いたくないけど・・・」
こうして、りょうちゃんの話から逸れて、男たちはそれぞれの思い出話を共有するのだった。
1.1986年初夏
その年は梅雨入りも遅ければ梅雨明けも遅かった。僕は9歳で小学4年生だった。
6月も後半になると、同級生の中では10歳になった者も増え、自分たちが『2ケタ』であることをやたらと自慢げにアピールしていた。小学4年生、一桁と二桁が混在する学年、僕はもうすぐ10歳になる。
だから急な夕立にも落ち着いて対処しないといけない。広い公園の休憩スペース、屋根があってさび付いたベンチが置かれている。そこを目指して、飼い犬の『アレク』を連れて(あるいはアレクに引っ張られて)全力で走っていた。
大粒で勢いのある雨に視界を奪われていたせいで気づかなかったが、どうやら先客がいたらしい。白くて小さな犬を連れた中学生位の女の子だった。
その子はすでにベンチに座っていたので、僕とアレクは隅っこの方で申し訳なさそうに立ちすくむこととなった。
強い雨に打たれて、簡易的に乗せられただけのトタン屋根は雷のような音をたてて揺れている。僕は女の子に背中を向けて跳ね返る水しぶきや、漏れ落ちてくる雨だれを見るともなしに見ていた。初夏の熱気が蒸発すると急に肌寒さが増して、思わず不安になってしまった。
「こっち座ったら?」
女の子が言った。僕とアレクは言われるままにベンチの端に座った。アレクは友達からもらった中型の雑種だ。柴犬の赤ちゃんと言ってもらったのだが、最初から鼻が黒く、耳が垂れていて、何か違うなあと感じたものだ。もらいたての僕が小学校2年生の頃は小さくてかわいかったが、今は中途半端な闘犬といった感じで何だかかわいくない。アレクは僕の足元で丸くなった。心なしか体が震えているように思う。
「雑種?」
その女の子は僕たちの方へグッと体を寄せると、アレクの顔を覗き込むように身をかがめて聞いてきた。男の子のように短い髪の毛に雨粒が輝いていて、僕はなぜか体をこわばらせてうなずく位しかできなかった。
「中道小学校?(ナカショー?)」
その子は顔だけを僕のほうに向けて聞いてきた。ナカショーというのはこのあたりの子供たちの多くが通う公立の小学校だ。僕の住んでいる家はナカショーの真裏にあるのだけれど、校区の関係で中道北小学校、通称キタショーに通っている。
「キタショー」
と、僕は自分でもビックリする位細い声でそう答えた。女の子は気にする様子もなく、そうなんだ、とつぶやいて先ほどまで座っていた場所まで戻っていった。彼女との距離ができて何だか緊張感が取れてほっとしている自分と、何故だか残念に感じている自分がいて、僕は軽く混乱してしまった。
「めっちゃ雨強いよねえ」と彼女は一人ごとのように言った。僕はうなずくでも何かを答えるでもなく、ふうんという顔をしながら虚空を見つめていた。何だか早く雨がやんで欲しいような、もう少しこの場所にいたいような不思議な気分になった。何だかもやもやするな、と我ながら不思議に思っていた。
するといきなり、その女の子がびっくりするような行動に出た。
この瞬間を僕はその後の人生の中で一度たりとも忘れられなくなったし、何なら中年になってからも定期的に思いだしては相変わらずドキドキすることとなるのだった。
「Tシャツびしょびしょや」
そう言いながら、彼女は着ていたTシャツを脱いで絞り始めた。
僕はすぐに目を逸らしたが、日に焼けていない真っ白な肌と、白色のスポーツブラが(当時はもちろんそんな種類までは分からなかったのだが)、一瞬で脳裏に焼き付いた。
「あんたもやったら?」
女の子がそう言うので僕も言われるがままにTシャツを脱いで、それをちからいっぱい絞った。心臓が破裂する位ドキドキしていて、力がちゃんと指先に伝わっていないようだった。
その後、僕は少し女の子と話をした。犬のこと、小学校のこと。その内容はまるで覚えていないが、気がつくと雨があがっていた。
「あ、雨やんだね。帰るわ」
女の子はそう言うと僕とアレクに背を向けて振り向きもせず去っていった。
短い髪の毛と、ショートパンツから伸びる細くて長い脚、後ろ姿はまるで男の子のようだったが、雨に濡れたTシャツに透けて見えるブラジャーの形が本当にまぶしかった。
僕はもうすぐ10歳になる。
2.1992年 秋
このクラスでいじめは許さん!と言っていた担任だったが、こういう不正はまったく気にならないらしい。
俺が休んでいるスキにクラス対抗リレーの選手が選ばれていた。俺はまさかの第3走者だった。嘘だと言ってくれ。
自慢じゃないが、小学校1年生の50メートル走
体育の授業でどうしても走らないといけないときでも、事前に足を痛めているアピールをして、びっこをひきながらゆっくり走るという秘技でずっと乗り切ってきたのだ。
それなのに、である。
寄りによってリレーの選手だなんて。
アホらしい、やってられるか・・・と当日は仮病で休む気満々だった。
・・・のだが、その前日に第2走者の女子から
「明日、絶対頑張ろうな!今日ちゃんと寝るんやで!」
と、念を押されたので、結局ズルズルと登校してしまった。
仕方ない。俺はあいつが好きなのだ。休んで恨まれるよりは潔く目の前で散ろう。・・・でもその方が嫌われるのだろうか、ああ無情。
クラス対抗リレーは午前の部の花形だ。全校生徒、見学の保護者達の視線が一気に本気モードに切り替わる。逃げ出したい。
招集場所に並んでいるとき、第2走者の女子が円陣を組もうと言い出した。
順番通りに並んでいたので俺の隣には自然とそいつがいた。
女子と肩を組むなんて初めてのことだった。おまけに好きな女子が横にいる。俺の全神経が右腕に集中した。そいつの肩、背中、うなじ、時折触れるショートカットの髪の毛の先にいたるまで、そいつから発せられる全てを感じ取ろうと円陣を無視して全神経をエロい気持ちで集中していたら、案の定勃起した。
それを悟られないよう、必死に身を小さくして列に戻り体育座り決め込み、一生懸命エロくないことを考えて気持ちを落ち着けようとしていた。
なのに目の前に奴のブルマー姿の尻があった。それは見ずにはいられない。駄目だ、爆発する。
もうすぐレースが始まるというのに、なんて言うことだ。
静まれ、俺の股間よ。思い出せ萎える映像、、、ドリフの風呂屋コントのオバサンの裸とか・・・無理だ!それすらエロく感じてしまう(´;ω;`)
俺がそんな努力をしているにもかかわらず、その女子がまた振り返った。おまけに今度は俺の膝に手なんか添えてきた。もう駄目だ。はちきれる。
「ワタシ、遅かったらごめんな。あんたで挽回してな」
眉毛が隠れるギリギリ位の前髪、その隙間からのぞく赤色のハチマキ、長いまつげ、すっと伸びた鼻筋、日に焼けた肌を際立たせる白い歯。このショートカット美少女め!もう、全部好きだ。
レースが始まる。どうなってもいいや。勃起したまま走ってやる。
俺のやるべきことはただ一つ、こいつに恥はかかせられない。全力でいってやる!
ピストルが鳴った。第2走者のあいつはもうゾーンへ向かった。そこで俺の記憶はぷっつりと途絶える。
次に我に返ったとき、目の前には俺の両腕をつかんで、子どものようにピョンピョン飛び跳ねるそいつの姿があった。え、何これ?超かわいいんですけど。
「あんた、すごいな!めちゃくちゃ早かってんな!!」
後に分かった話だと、6組中、第2走者の彼女の時点で我が組は最下位だったのだが、バトンを引き継いだ俺が怒涛の走りで全体の2位まで踊り出たらしいのだ。まったく記憶にないが「どぉりゃあああ!」などと雄たけびまで上げていたらしい。クソ恥ずかしい。
結局クラスの最終結果は4位とあまり冴えなかったが、彼女の中で俺は確実にヒーローになれたようであった。
・・・だからといってその後何があったわけではないし、付き合うことはおろか告白の気配すらなくお互いに中学を卒業し、別の高校に行ってしまうのだが、あの日、あの子にしっかり握られた両腕や、触れてもらった膝や、回した右腕の感覚を俺はずっと忘れることはなかった。恐ろしいことに大人になった今でもその感触は忘れていない。
また、余談ではあるが、このリレーの後思いだしたことがある。
小学校1年生の初めての50メートル計測時のぶーちゃんとのやりとりだ。
「なあなあ、僕と一緒に走って一緒にゴールしてな、友達やからいいやんな?」ぶーちゃんに言われた俺は素直に彼と並走したわけだ。
そんな負の呪文に縛られ、ずっと自分は走るのが遅い人間だと思い込んでいたのだ。あのリレーの瞬間まで。先入観って恐ろしい。
ショートカットの女の子は俺の眠れる走力を引き出してくれたわけだ。
・・・あと溢れる性欲と。
ちなみにフル勃起でリレーを走り切ったことを俺は墓まで持っていこうと思っている。
3.2002年 春
高3になってもコースが変わるわけじゃないので、クラスのメンバーも変わらない。
山名涼介(やまなりょうすけ)はこれからも続くぼっちライフにげんなりしながら屋上でぼんやりと寝ころんでいた。
耳につけたイヤホンからは時代遅れのヘヴィーメタルが流れている。兄の趣味で中学からハマっているが、そのおかげもあってクラスの誰とも音楽の趣味が合わない。
目を閉じていてもその日の天気や雲の動きは何となく感じ取れる。だから涼介の真上に視界を遮るものが現れて気づかないはずもないのだが・・・
「相変わらずよく寝てるねえ・・・」
涼介を覗き込む少女、風になびくショートボブ、両手ポケット、制服、大きめのフード姿・・・涼介は映画のワンシーンのように俯瞰でその光景を脳内に思い浮かべる。目を開ける気にはまだなれない。
「寝てねぇよ」
涼介はそう言うと、彼女から距離を取るようにごろりと横を向く。
脳内での光景も変化させながら。
少女は涼介の隣に座ると何も言わずにそのイヤホンを取り上げて、自分の耳にあてがう。
「うるさ!!いっつもこんなん聞いているよね」
呆れたようにイヤホンを投げ出す少女は、それでも嬉しそうに笑っている。
「あのさあ、お前もこんなとこにいないで自分の教室戻れよ」
涼介は体を起こしてようやく少女に向き合いながら言った。そう言うものの次に返ってくる返事がどういうものになるのかは予想がついている。そう、これも映画のワンシーンよろしくセリフが決まっているのだ。
「だって、教室に友達なんていないんだもん」
分かりやすく膨れた顔を見せる少女、名を平吹涼子(ひらぶきりょうこ)という。
「まったく、ウチらの青春はどこにあるのかねえ」
涼子がやれやれという感じで続ける。まるでひとり言を声にして言うように。
お互いにクラスから逃れるように屋上にエスケープするうちに、少しずつ話すようになり、名前が似ているということもあり親しくなったのだった。
「ていうか、お前、髪!?」
突然、涼介は叫んだ。
「おっそ!気づくのおっそ!!」
まあまあ長かった涼子の髪がバスケ部男子位に短くなって、おまけに金色に染まっていた。春休みの間に大きなイメチェンでもはかったのだろうか。脳内で描いていた映画のシーンの涼子とはまったく別ものだったわけだ。
「いや、今あらためて顔見たからさ、それにしても・・・」
似合ってるな。と言いたくなる心の声を押し殺して涼介はつづけた。
「ほぼ別人だな。遅咲きの高校デビューでも狙ったの?」
「別人か~。別人になるのも面白いけどね」
涼子はそう言うと立ち上がって、屋上の鉄柵に身をもたれかけさせた。
「残念!中身は相変わらずの陰キャで~す」
と、涼介に向かって(><)の顔でダブルピースを決める。心を許した相手にしかこういう態度が取れないのだろう。いったんこの性格を見せてからの涼子の距離の詰め方は凄まじかった。
「そういうバカっぽいことをクラスでやればいいんじゃない?」
『可愛いから』と心の声をカットしつつ、涼介も鉄柵の方へと歩いて行く。
実際、涼子は本人が無自覚なだけで男子からの人気が高い。高いどころかひょっとしたら学年イチレベルにすごいかも知れない。
涼子は極度の人見知りで、誰かから話しかけられると挙動不審な態度をとりがちだった。小学校の頃はリアクションがおかしいとからかわれることもあったらしい。そんな自分が嫌で極めて冷静にしようとつとめるあまり、今度は無感情な人と思われるようになった。生来の美貌と相まって、話しかけた方はますます緊張してしまい、結果孤高の美人像が出来上がり、男子女子問わず涼子から遠ざかることになったのだった。
涼介もそんな噂を知っていたので高2の最初に屋上で彼女が話しかけてきたときは驚いた。
驚きすぎて声を出せないでいると、勝手に涼子は身の上話を始めだして、気がつくとこんな仲になったのだ。
時々涼子はその日のことを思いだして涼介を責めることがある。
この日もそうだった。
「ホント、初対面のときから君は失礼だよね」
「そうか?」
「そうだよ、私が教室にいるのしんどくなって、どこか安らげる場所を探してやっとこの屋上にたどり着いたのにぃ~」
大げさな言い回しと、節をつけて涼子が踊るように語り出す。たまに一人ミュージカルを始めることもある涼子を、涼介はそれでも面倒くさいと思えないでいた。
「ここにいていいですか、って聞いた私を無視して~♪」
あ、ご機嫌な日だな。と涼介は歌いだした涼子を見て思う。
「君は爆音でヘビメタを聞いていたね~♪」
「ははは」
「おまけに、おまけに~♪」
「おまけに何だい?♬」
他に誰もいないので涼介も少しのってやる。
「何も話してくれなくて~♪」
緊張してたんだよ!とこれは心の中で言う。
「結果、私が喋り出したんだけど~♪」
「だけど~?♬」
「普段あんまりにも喋ってなかったから、一気に喋りすぎちゃった~」
「ほぼ半生記聞かされたよな」とこれは普通に言う。
すると、涼子も踊るのをやめてこちらにしっかり向き直って
「何も言わないで私の話全部聞いてくれてありがとね」
光が空から降り注いでいるような春の晴れの日。彼女の後ろには雲のない青空が広がっていて、ああ時間が止まったようだ。と涼介は思うのだった。
涼介にとって、涼子と過ごす屋上での時間は一瞬が永遠のように思えたり、その逆だったりすることがある。今、涼介はそうした無限のような時間を感じていた。
「ほら、また何も反応しない!」
涼子がどれ位返事待ちをしていたのか分からないが、結構待たせたのだろうか。涼介は、ああ。と大げさに驚く。
「別のこと考えてた」
ウソだ。
涼子を見ていただけだ。思考を凌駕する無自覚で。
「まったくもう!」
涼子はそう言うと、自分で『ジブリ歩き』という注意書きみたいなことを言いながらずんずんと涼介を置いて校舎へ戻るドアへと進んでいった。
「そろそろ始業式始まるよ、遅刻すんな!」
後ろ手をひらひらさせて彼女が屋上を後にした。
「青春か・・・」
涼介は涼子に感化されたかのように一人になった屋上で声に出して言ってみた。
「少なくとも俺の青春はここにあるよ」
すると突然屋上のドアがバン!と開いて顔を赤らめつつも弾けるような笑顔の金髪ショートの少女が再び現れた。
「ちょっと!!驚かせるためにこっちにいたのに」
そして〇指を立てるポーズ。
「恥ずかしいこと言ってんな!!この陰キャ野郎!」
「お前に言われたくねえよ!」
そう言いながら涼介は耳を真っ赤にして走り去る涼子を追いかけるのだった。
青い空が目にまぶしい春の朝の話。
4.2008年 冬
なるほど、あの物理教師の言ったことは強ち間違いではなかったわけだ。
僕は気づかれない程度に周囲を見回して歩き、その若々しい喧騒を聞きつつ、あらためて自分が一人きりだと確認して席についた。
「うちの学校からセンター試験受ける奴なんておらんぞ」
と、担任であるその物理教師は僕に言った。昨年末のことだ。
「受けたところで行ける大学なんかないんやから無駄なだけやぞ」
という絶望的な言葉を添えて。
確かに高校時代、僕は勉強らしい勉強なんてしなかった。いや、する必要がなかったのだ。
中学時代を不登校で過ごしたせいで内申点なるものが下の下だった僕が行ける高校はいわゆる底辺校しかなかった。
なるべく目立たないようにひっそり生きていたいと思っていたのに、1学期の中間で全教科ぶっちぎりの学年トップを取ってしまったうえ、当時の担任がまた無駄に熱血教師だったこともあり、教室の後ろに大々的に点数と共に張り出されてしまったのだ。大いなる悪目立ちである。
ある作文で大きな賞をもらい講堂でステージに無理やりあげられ、そのときの羞恥心から中学で引きこもった僕にとって、これはもう拷問だったのだが、アホなクラスメイトたちは盛大に名前を張り出された僕のことを素直に尊敬してくれたようで、この3年間僕は底辺校の天才という感じでそれなりに過ごしやすい位置で高校生活を送れた。
だもんで、担任の物理教師に「お前だけやぞ、卒業してどうするか言いに来てないの」と言われるまで、僕はどっぷりとぬるま湯のような高校ライフを自分なりに満喫していたのだ。どうやらほかの皆はたいがい卒業と同時に働きだすらしい。
「はあ、一応進学希望します」
言われたので答えたところ、その教師は片方の口角だけを上げて「行けるとこ、限られとるぞ」と吐き捨てるように言った。
その後、教えてもらった『お前みたいなアホでも何とか行けそうな大学』というところは、これまでに生きてきて一度も名前を見たことも聞いたこともないような大学ばかりだった。
自分でも軽く調べたところ、センター試験なるものがあって、その点数で行ける大学もあるとのことなので、受けてみたいと申し出たのだ。
そのときの担任の態度は先述の通りである。
進学校はだいたい一括で申し込むために、仲間同士が近隣の席に固まることになる。ウチのように個人レベルで申し込むとまずその雰囲気に飲まれる。受けに行ってもいいが、丸一日二日、針のむしろのような時間を過ごすだけだぞ。
と、物理教師は言ったが、なるほどそのとおりである。
もともと受験勉強をちゃんとして臨んでいるわけではないので、周囲がとんでもなく賢く見えて、本当に自分が場違いな気がしてきた。
帰ろうかな・・・
そう思ったときだった。
前の座席に座っていたショートカットの女の子がこちらを振り返った。ベリーショートとでも言うのか、当時の僕とほとんど同じくらいの髪の長さだった。
「ねえ、君も一人?」
「え?」
ドギマギして言葉に詰まっていると、彼女はまくしたてるように自分の身の上を話し出した。
学校全体で申し込む期限を忘れていたこと、担任の先生がちゃんと教えてくれなかった愚痴、仕方ないから個人で申し込んだら何かぼっち丸出しみたいでいたたまれなかったこと。などなど。
状況は違えど、個人で申し込んだという点では僕と同じだった。
「ああ、僕も一人で受けに来たよ」
「やった!じゃあわたしたちは今日だけ仲間になろう」
そう言って彼女は右手を差し出してきた。反射的にそれをつかみ、結果的に握手をしたのだが、瞬間、自分でも顔面が真っ赤になったのが分かった。見た目はものすごく華奢で骨と皮しかないようなのに、その手のひらはこれまでに味わったことがないほど柔らかくて、僕の全部を包み込んでくれるようにすら思えたのだ。
それから後のことは断片的にしか思いだせない。
テスト中、問題があまりにも分からな過ぎて、彼女の右手のことばかり考えていたこと。お互いの名前を教えあったこと、住んでいる地域の話、通っている学校の話(もっとも僕はここで自分の学校名を言うのが恥ずかしくて、兄が通っていた私立の進学校の名前を言ったのだが)などなど。
休憩時間と昼休みに話したこと全てが夢の中の出来事のようで、僕はテスト中、早くテストが終わって欲しいとばかり願っていた。
ただ話が進むうち、しごく当然ではあるが彼女は試験内容の振り返りを始めだした。
まったく分からない僕は曖昧にうなずいたり、首をひねるしかなかった。
僕は自分がまったくのアホであることを必死に隠そうとしていた。彼女は気づいているのかいないのか、何度かのラリーのあと、僕に試験のことを聞こうとはしなくなった。
やがて、その日の全ての科目が終了した。彼女は去り際に言った。
「ありがとね、おかげでリラックスできたよ」
「あ、いや・・・」
僕は脳内に浮かんだ百以上もの色々なセリフを、結局は何一つ選べず、へらへらと笑うしかなかった。
「ねえ、自己採点終わったらまた情報交換とかする?」
その後何年も過ぎて、彼女の名前も学校も忘れてしまうことになるのだが、そう聞いてきた瞬間の彼女の姿を僕はずっと覚えている。
そして、そのときに何ですぐに返事できなかったのかと、僕はずっと後悔することになる。
アホ高校に通っている僕が自己採点したところで結果は惨憺たるものになることは目に見えている。彼女と何を話せばいいのだろう。もちろん、情報なんて上等なものは持っていない。幻滅されるだけじゃないか。
そんなことを考えて悩んでいると、彼女はふっと笑うように、それでもどこか寂しそうに言った。
「そんな嫌な顔しないでよ、そりゃあなたとわたしじゃレベルが違うんだろうけど」
違う違う!そうじゃない!!
・・・何かどこかで聞いた歌のフレーズのようなものが脳内をかけめぐった。
そんな僕の狼狽をよそに彼女は「じゃあね」と振り返ることもなく部屋を出ていった。
追いかけて話したいという思いは、気持ち悪いと思われたくないという思いに簡単に負けてしまい、僕はわざとゆっくり帰り支度をして試験会場を後にした。
家に帰ってから、色々なことを反省した。
彼女の質問や問いかけにちゃんと返事ができなかったのは、彼女からすると自分がちゃんと相手してもらえていないと感じたのではないだろうか。単に自分の学力や知識がなくて話について行けなかっただけなのだが、進学校の鼻持ちならない奴と映っていたのかもしれない、カッコつけて嘘を言わずちゃんと自分のレベルで話せばよかった。思い返すと後悔ばかりで胸が苦しくなった。
幸いにもセンター試験は二日に分けて行われる。座席は変わらないわけだから、きっとまた会えるはずだ。とにかく明日色々謝ろう。ちゃんと高校名も言おう。試験後の情報交換も、僕は何も出来ないかも知れないけど、それでもいいならぜひお願いしよう。何より、もっと明るく話そう。
そんなことばかり考えて、僕は試験勉強を少しもしないで夜を過ごした。
その翌日。
僕の前はいつまでたっても空席のままだった。
彼女は二日目の試験を受けに来なかった。
考えたら受験スタイルによっては一日で終わるのだ。英語と国語は初日だったし・・・
僕は解けもしない問題を前にして、馬鹿みたいにその日も丸一日座ってすごした。途中からでも彼女が受験に来てくれるのではないかという淡い期待を抱いて。もちろんそんなことは起きず、無駄なセンター試験は終わった。
当たり前のように僕は浪人することととなった。
あのとき、もっと僕が違う選択をとっていたら、彼女とのつながりが生まれていたのだろうか。
あの子が今どこで何をしているのか、どんな顔でどんな名前でどんな声をしていたのか、もはや僕は何も思いだせない。
だけど、街でベリーショートの女の子とすれ違うたび、あの日のことを切ない気持ちで思いだす。
たぶん、一生。
5.2010年 晩夏
(゚∀゚)キタコレ!!
俺の人生でこんな顔文字がぴったり来る場面はそうなかったのだが、今がまさにそのときだ。
夏の終わり、京都の鴨川沿い。四条通からだいぶ北に進んだ出町柳付近は真夜中になると人影はもうない。
その川べりのベンチのような大岩に座る若者二人。
そう、俺こと秋山信之(あきやまのぶゆき)と学部一の美少女、神都有紀(かみとゆき)さんの二人だ。
終電がなくなったあとの鴨川で美少女と二人きりの時間・・・
(;゚∀゚)=3ムッハー!!!
と、こんな人生初の顔文字を使うのも仕方ない。
神都さんの小さな頭が今まさに俺の右肩にちょこんとのっているのだ。これがムハらずにいられようか。ムハムハ。
表情こそ興奮を押し隠してはいるが、下半身はしっかり反応している。だって若いんだもん。
手を伸ばせば簡単に肩を抱けるし、ちょっと肘の位置を調整したらおっぱいを感じることもできる。どうしよ、この状況。ありがとう神様。
「あーあ」
俺の興奮を知る由もない(はず)のカミトさんは、一つため息をつくと肩から頭を離さず、首だけを動かして上目遣いに俺をまっすぐに見つめてきた。
m(;∇;)m 可愛いすぎるっ!
そして一言
「秋山くんが彼氏だったらよかったのになあ・・・」
あれ、俺生きてる?一瞬時が止まったんだけど??
はい、これもう確定ね。今夜の俺のミラクルナイト確定ね。
チンポジが最悪だったので勃起の痛みは尋常ではなかったが、俺は天を仰いで心から神に感謝を捧げるのだった。
ありがとう、神様。
ありがとう、いい加減な?カミトさんの彼氏・・・
ことの顛末はこうだ・・・
1
俺は大阪南部の田舎町に生まれ、いたって普通に育ち、いたって普通に大学受験に失敗し、いたって普通に浪人生活を送り、いたって普通に大学生になった。
入った大学は関西では一応一番偏差値の高い私大だった。もともと史学系か国文系に進学予定だったのだが、ここでは英文を選んだ。なぜか?女子が多かったからだ。
本当は公立大学も受かっていたのだが、俺はあえて学費の高いこちらの大学を選んだ。なぜか?女子が多かったからだ。
ここまでがいたって普通に人生を送れていたのだが、大学生になってからは、いたって普通に彼女ができるということはなかった。なぜか?・・・知るか、そんなもん。
おかしい。見た目も中の中位で身長も人並み、平均点はクリアしているのに、周囲の平均以下みたいな男友達には彼女ができて、なぜ俺にはできないのだ。神様の阿呆。
そんなことを思いながら悶々と大学最初の一カ月を送っていると、まるで宗教の勧誘のように怪しげに近づいてくるグループがあった。
奴らは言葉巧みに俺をアジトまで誘い込み、あの手この手で俺をその気にさせて、気がつくとすっかり仲間に組み入れていたのだ。恐ろしい。
その団体が、体育会空手部だった。男しかいねえ、いや漢か・・・どっちにしろ、花の大学生活からは縁遠い。
失敗したなあ。と俺は目の前のビールを一気に飲み干した。日ごとごつくなる自分の体躯に不満はなかったが、こうして英文科の必修クラスコンパに参加すると、どうにも浮いてしまう。
周りはほとんど女の子。結局女子が多くても女子は女子同士で固まるから、男は端に追いやられるしかない。天然陽キャ爆発みたいな奴じゃないと、女子バリアーを破壊して入っていくことなんて出来ない。
25名程度の必修クラスで女子は18名、その輪に入れる陽キャ男子は2名だけ、残りの腐れ男子は隅っこでひたすら酒をあおるしかないのだ。俺もその一人なんだけどね。くそ、面白くない。
仕方ないので飲み放題のまずいビールをがぶがぶ飲んでいた。すると
「君、めっちゃお酒強いんだね」
と、背後から澄んだ声がした。イントネーションが関東のそれだった。振り返った俺は息をのんだ。
男子よりも短めにカットされた髪の毛、切れ長の目、すっとした鼻筋、たぶん世界一触り心地が良いであろう唇、俺が理想とする全ての美を詰め込んだ小さな顔がそこにあったのだ。
「秋山くんだよね。一回だけディスのときペアになったね」
よろしく、と言って差し出された右手を俺はぽかんと見つめていた。ちなみにディスとはディスカッションの略だ。どうでもいいか。
「神都さん、やんな?合ってる?」
と、右手に全神経を集中させ握手を返しながら俺は平静を装って言った。合ってる?も何も、ずっと気になって覚えていたのだ。我ながら白々しい。
「秋山くんも教職とってるんだよね?いつか困ったら助けてね」
そう言い残して、神都さんは女子の一軍グループに戻っていった。
『困ったら助けてね』
神都さんの声が脳裏にこびりついて離れなかった。(以後、カミトさん)
それから俺は空手の練習と教職課程の授業だけは全力を注いだ。
本当は教職を最後まで取る気なんてなかったが、いつかカミトさんに頼られるかも知れない。俺は生まれて初めて本気でノートをとるという行動に出た。
2
一年、二年が過ぎ、必修クラスではカミトさんと離れた。大きな大学だと授業が異なれば顔を合わすことさえなくなった。
三年過ぎた。カミトさんが困ったという話は聞かなかった。声をかけてもらうどころか三回生の学祭でミス〇〇大に選ばれたステージ上の彼女を、俺はその他大勢に紛れてぼんやりと見ていた。
そしてカミトさんと話す機会すらないまま俺は四回生になり、空手部では主将を任された。教職の授業では教授から一目置かれるようになっていた・・・が!!
違う!何か違う!!
結局彼女の一人もできないまま卒業してしまうではないか、このままでは!
童貞街道まっしぐらである。風俗は行くけど・・・
泣きたい気持ちを抑えながら、俺は空手部主将という立場もあるので、表面上は日々自信に満ちた様子で見栄を切って暮らしていた。風俗には行くきつつ・・・
そんな俺を神は見捨てていなかった。
いや、カミトさんは見捨てていなかった。
教育心理学を大教室で受けていると
「秋山くん、、、だよね?」と近づいてくる影があった。
実は結構前から気づいていて体を緊張でこわばらせていたのだが、表情だけはそれを悟られまいと無表情かつ、無感情に前だけを見つめ続けたのだ。
やっとカミトさんが俺を見つけて近づいてきた!!
「おう、神都さん、久しぶり」
なんてことを言いながら(若干声は上ずったが)俺は席を一つあけた。彼女はそこに座ってくれた。それだけで顔が緩みそうになる。頑張れ、俺の表情筋。今夜絶対風俗行こう。
「何か、一回生のときよりごつくなってて、一瞬分からなかったよ~。また会えてよかったぁ」
と話す彼女はまさに天使のようだった。神の都と書いてカミトとはよく言ったものである。彼女こそが楽園そのものだと思った。今やウチの大学のミスなんだよなあ。俺とは釣り合わないなあ。などと思いながらもカミトさんのいる左側を気づかれないように全力で堪能する。別の脳みそでは今晩お世話になる風俗店の検索が始まっている。
「そうそう、秋山くん。いつか時間ないかな?」
「え?」
いつでもあるある!何なら全部時間あげる!!
今日の風俗もやめる!!
という心の声が漏れないようにして、俺はつとめて冷静に返した。
「クラブとバイトの時間以外なら大丈夫やで。いつがいい?」
「明後日の夜とか、一緒にご飯行けないかな?」
両手を合わせるポーズ。破滅的に可愛い。
「ちょうど空いてるわ。いいよ」
見えないように白紙の手帳を開いて予定を確かめるアクション付きで俺は答えた。
もちろん、明後日はバイトがあって、その後で同じ部の犬嶋という友人と飲みに行く予定まであったのだが、そんなのどうでもいい。許せ、犬嶋。黙って働け、バイトリーダー。
かくして俺は憧れだったカミトさんと晩御飯に行くことになったのだった。
3
当日は午前の授業はもちろん休んだ。入念にボディケアをして、一番自信のある服を選んだ。午後からは美容院に行き、何度も口臭チェックを繰り返した。風俗に行ってスッキリするべきかは悩んだが資金が惜しくてやめた。我ながら天晴な精神力であった。
待ち合わせは大学の正門前だった。あえて5分ほど遅れて行くつもりが持ち前のチキンが発動し10分前についてしまった。すると何とカミトさんはすでに来ていて、立ちながら文庫本を読み耽っていた。
遠目からも彼女が選ばれし者であることは一目瞭然だった。オーラが違う。何なら周囲の空気が輝いていた。彼女を知らない学生たちも通りすがりに一度はそちらへ視線を送らずにはいられないようだった。
『勝ったな』
何に勝ったのかは分からないが、俺は優越感に満ちて彼女に声をかけた。
「神都さん早いな」
と言いながら何の本を読んでいるのかをチェックしようとしたが、ガッツリ洋書だった。さすが英文科の才女、中学から一貫してヤンマガだけを愛読する俺とは大違いである。
「行きますか」
ペイパーバックをぱたんと閉じると、短い髪の毛がふわりと風に揺れた。何でこんな短い髪なのに、繊細でふわふわなんだ。ああ、もう大好きだ・・・
そんなこんなで俺たちはまず学生御用達の定食のある居酒屋に入り、腹ごしらえをした。
そこではお互いの出身地やこれまでの大学生活の話など、あたりさわりのない情報を交換し合った。カミトさんが静岡出身なのを知った。俺の中で静岡のランキングが爆上がりした。
それから二人で、カミトさんの知り合いが経営しているというバーに行った。知り合いにバーの経営者がいる時点で彼女と俺の住む世界の違いを痛感するのだが、彼女は奥まったテーブル席に俺を誘ってくれ、話しかけようとする店の常連などを追いやって横並びで座ってくれた。
そこからの彼女は俺の知っているカミトさんではなかった。
大学に入ってからの自分の恋愛遍歴を語り出したのだ。
一回生の夏に遠距離の高校時代の恋人と別れたこと。二回生の終わり頃までは外国人を中心にクラブで遊び歩きワンナイトを多く経験し、海外でも羽目を外しまくったこと(当然、この話の最中俺は勃起していた)。三回生になって今の彼氏と出会ったこと。どうやらそいつはクラブのDJをしており、世界的な大会に出るほどの腕前で自分が引け目を感じてしまうということ。
「それでミスコンに挑戦してみたんだけどね・・・」
その結果、本当にグランプリとってるのだからカミトさんも十分すごいわけである。それでも、彼女は今の恋人に対して思うところが多いらしく、俺の肩や腕を触ったり、ときには体をぶつけたりしながら愚痴を言い続けるのだった。
「何だかねえ、私もたくさんいる取り巻きの一人みたいに思えてくるんだよねえ・・・」
あ、今カミトさんの右手が俺の左太ももにある。
「連絡もね、こっちからは電話は禁止されててメールだけしかダメなの」
お、足の先があたった。う、テーブルのおつまみを取るときに短い髪が鼻先をかすめる。
「そのメールの返事もないしね」
はあ、可愛い横顔。どうやったらこんなフォルムに成長するのかね。
「絶対、あいつ浮気してるよね」
ほとんど話を聞いてなかったけど、直感でここがチャンスと思った俺は激しく同意した。
「うん、話聞く限り(聞いてないけど)絶対そうや。ひどい奴やな」
悲しそうにうなだれるカミトさん。俺は追い打ちをかけた。
「俺だったら絶対好きな人に寂しい思いはさせにゃいのに」
緊張で最後は噛んでしまったが、カミトさんは気にするでもなく続けた。
「秋山くん、絶対優しいよね。何か最初から優しそうだって思ってたもん」
優しいかどうかはさておき、ヤラシイなら自信あります。はい。
という心の返事はさておき、俺はこう返した。
「俺、終電なくなるけど神都さんさえよければこのまま話聞くよ」
朝までお願いします!!
の最上位互換をしてみたつもりだ。
カミトさんはしばらく考えたあと、思い切ったように顔をあげて言った。
「じゃあウチで飲みなおそうか」
瞬間、目の奥で打ち上げ花火が大爆発を起こした。
あざーーーーーーーーーーっす!!!!
脳内で数百人の小さな俺が狂喜乱舞している。俺フェス開催である。満員御礼大フィーバー。生きててよかった深夜高速。
俺の人生にも一度くらいこんな日があっていいだろう?俺は長州力の名言を反芻しながら心の中で喜びの大号泣に溺れるのだった。
しばらくして店を出た俺たちは、ちょっと風にあたろうということで鴨川に立ち寄ったのだった。カミトさんの部屋はここからもう数分らしい。荒ぶる鼻息を抑えるのに苦労する。
4
カミトさんは店を出た後も、鴨川についた後もずっと彼氏の愚痴を言い続けていた。
そして冒頭の『秋山くんが彼氏だったら・・・』発言にたどり着くわけである。
もうここまで来ると例の彼氏に同情すら覚えてくる。勝者のゆとり。俺は悠然とした気持ちでカミトさんの言うことにちょこちょこと口をはさむようになった。脳内は98%エロいことしか考えていない。以下、2%の理性で俺が会話した内容である。
「たぶん、あいつ私よりDJしてるときの方が楽しいんだろうね」
とカミトさんがまだ口をとがらせている。
「楽しいっていうか、必死なんじゃない?」俺は言った。
「必死って?」
「俺は大学時代は空手やったけど、自分が全力で打ち込んだもので何か結果残したいやん」彼氏のことより自分の頑張りを伝えたいというスケベ心に満ちた発言だった。
「そうなの?」
「上を目指すと周りが目に入らんようになるときあるしね」
どう、俺?ストイックでしょ?惚れて惚れて。
「そっか」
「そいつなりに必死に頑張ってるんじゃないかな」
もちろん、俺には及ばんけどね。がはは。なぜならカミトさんをこうして奪えちゃうわけだから、ぐふふ。
「なるほど・・・」
このあたりでやめておくべきだったのに、すっかり自分の努力論に夢中になった俺はこの後、余計な一言を言ってしまうのだ。
そしてそれを死ぬまで後悔することになるのだが・・・
「そいつも、ひょっとしたら神都さんのために頑張ってるんかも知らんで」
すでに大勝したつもりだった俺は見たこともないカミトさんの彼氏より高い立場に立っている気になっていた。
「・・・秋山くん」
カミトさんが俺を見上げている。何となく信頼を寄せてくれているのが分かる。「さ、じゃあ神都さんの家に行こう!」と俺が立ち上がろうとしたときだ。カミトさんは俺の言葉と行動を遮る速さでサッと立ち上がった。
「ありがとう!!秋山くん!!私、行ってみる!!」
・・・へ?行くってどこへ?
「勝手に一人で邪魔になってると思ってたけど・・・」
カミトさんが何かを決意したように夜の鴨川を見つめている。
いやいや、俺はどうなるんですかねえ??
「一番そばで応援してあげないと駄目なのは私なんだ」
自分に言い聞かすように彼女が言う。
今まさに応援してもらいたい俺はどうなるの??
「ちゃんと気持ち確かめてくるね!」
ええ!?さっきまで愚痴まくってたよね??
「秋山くんと話せてよかった!!今日はありがとう!」
え?え?え?
『また連絡するねー』
という声をフェイドアウトさせて、彼女は夜の鴨川の闇に紛れてあっという間に消えていった。
去り際早すぎないか・・・?
・・・終電、とっくにないんですけど。
脳内の俺フェスは急な台風で根こそぎ吹き飛ばされたようで、戦後の荒れ地のような景色に様相を変えてしまった。
俺はしばらく茫然とそこに立ち尽くし、夜空を見上げ、意味もなくため息をつき、シャッターの閉まった終電終わりの駅をにらみつけ、自分の発言にさんざん後悔した後、いよいよ覚悟を決めて携帯を取り出した。
「・・・あ、犬嶋?・・・何も言わんと今日は泊めてくれ」
少し肌寒くなった夏の終わりの夜風が、その日は一層冷たく感じられるのだった。
エピローグ
「そろそろ時間ですね」
最後の一人が語り終えると、誰かが言った。バーレスク大阪の一部開始は19時半。系列店の端英(ソヨン)の店員は有能で、ちょうどいい頃合いに会計を促してくれたりする。
「結局色々話したけど、それぞれにベリショのイメージは鮮烈なんですねえ」
「これ、小説やったら、全ての話が一つにつながって、実はベリショ美少女が同一人物でした!とかあるよね」
と、相変わらず男たちは好き勝手なことを言い合っていた。
インテリジェントビルと商業施設や飲食店の隙間を縫うように桜の木が植えられている。先週から咲き始めた桜の花びらが時折夜風に舞う。
道すがら、ある男がふと足をとめて夜空を見上げた。
「まさか、全部りょちゃんだったのかな・・・」
空に三日月、やがては満月、足りぬ心が酒を呼ぶ・・・
おーい、おいて行くよ~!と曲がり角から声が聞こえた。
自嘲気味にほほ笑みながら男はボソリとつぶやいて後を追う。
『時空を超えるベリショ・・・なんてね』
今日は男の一番の推しの卒業イベントである。
りょうちゃん、卒業おめでとう!!
注
バーレスク大阪のダンサーさんの卒業にインスパイアはされたものの、この物語は完全にフィクションです。りょうちゃんやりょうちゃんを応援する方が不快に感じられる内容がありましたら即刻取り下げますので、ご遠慮なくご連絡ください。ただ、りょうちゃんという素材を念頭に一生懸命愛を持って書いたつもりではあります。ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。彼女の人生が素晴らしいものになりますように!!
いつか投稿がたまったら電子書籍化したいなあ。どなたかにイラストか題字など提供していただけたら、めちゃくちゃ嬉しいな。note始めてよかったって思いたい!!