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20年前の卒業パーティで遭遇したとんでもない危機。そして後日談を語る

「卒業」がという表現が様々なところで上手いこと使われている

さて、3月も終わり。卒業シーズンですね。

今日のお話もVoicyでもまとめていますので、何かをしながら聴きたいという方はこちらからもお試しいただければと思います。

最近ってテレビの番組なんかでも現場を離れることを「卒業」って評することが多くなりましたよね。あれってうまい言い換え語だなぁと思うのが、ポジティブ表現だということなんですよ。

卒業とは言うけれど、実際は人気が無かったりとかテコ入れだったりとか、要はリストラである可能性もあるんですけど、でも卒業って言われると新天地に向かって頑張ってくれ!っていうニュアンスも含まれるんですよ。

ポジティブ表現されるとそういう詮索をするのもゲスな感じがするし、いやいやいや、人気が無いから離れるんでしょ?みたいなことを言ったらこっちが悪者であり、ひねくれているみたいに見えちゃうじゃないですか。だから、「卒業」っていうのは上手い言葉を作ったなぁと思うんですよね。

西尾の「卒業」の思い出について語ってみたい

ちょっと冒頭で「卒業」って言葉が活用されているって話をしましたけど、でも今日は敢えてリアルな「卒業」に関する話をしたいと思います。

何度もお話ししていますが、私は1980年生まれの42歳で、松坂大輔さんや広末涼子さんと学年が同じなので、最近ではすっかり死語になってしまいましたがいわゆる「松坂世代」というやつです。

2003年に新卒として働き始めた「2003新卒」なので、かなり歳を重ねたなぁと思います。なのでもう卒業式っていうのはかなり昔の話になるんですよ。どれくらい古いことなのか?って今Wikipediaで調べてみたら、石器時代みたいな話でビックリしました。

西尾の最後の卒業は2003年

2003年って本当にヤバいくらい昔なんですよ。

この歳になると1年があっという間だし、どれくらいの時間が経過したか?っていうことが無自覚な状態で駆け抜けてきたように思うんですけど、これってだから走った後でどれくらい遠くまで来たのか?ってことを確認するような行為ですよね。

で、2003年って何があったか?っていうと、ハルウララブームとか、パナウエーブ研究所とか、踊る大走査線2が上映されたりとか、Jphoneからボーダーフォンになったりとか、そんな年だったらしいんですよ。

もうこれは、相当な昔ですよ。ビックリしました。ボーダーフォンって何?って若い子なんか多いと思いますよ。Jphoneなんてソフトバンクの前の前ですからね。キャリアメールとか使ってたなぁって思います。Vodaphone.ne.jpみたいなやつ。

卒業式の思い出はもう既にかなりおぼろげになってきている

で。
そんな昔の話なんですよ。私の最後の卒業って。

小学校とか中学校の卒業式に至ってはもう記憶が定かじゃないところもあって、なんか印象的なことってあったかなぁと掘り起こしてはみたいんですけど何にも出てこないですね。確か校歌の指揮くらいはしたと思うんですけど、そこまで大した話じゃないですよね。

まぁせいぜい凄く緊張したって程度のことなんですけど、全校生徒の前で大して自分に注目なんてしていないはずなのに、なんであんなに緊張したのかなぁっていう疑問はあります。そう思えるのも、Tokyo FMの生放送で何度か高橋みなみさんの番組に出たりとかしたからかもしれないんですけどね。

ただ、卒業の記憶を掘り起こしたら、出てきたんですよ。
ちょっと凄いのが。

日大の卒業式はいろいろと忙しい

私が思い出した、卒業式のエピソード。
それは2003年の時のことです。

私が通っていたのは日本大学。
日大です。

学校のレベルはともかくとして、規模としては恐らく日本最大、最大でないとしても最大級とは言われていますよね。いろんなところに学部が点在しているんですけど、最初は丸の内近くの九段下にある日本武道館で全ての学部の生徒が集まって卒業式をするんですね。有難い挨拶を聞いて。多分逮捕された相撲の理事長とかも参列していたと思うんですけどね。

で、そこから私の学部が農学部だったので、神奈川の藤沢、湘南と言われる地域のキャンパスに移動します。恐らく60キロくらい離れているんですよ。面倒なんですけど、でも卒業証書とか、そういう色々と受け取るような式典っていうのはそっちで行うんですね。日本武道館に行く意味ってなんなんだろうとは思うんですけど、まぁそこは仕方ないと。その時には友人とか集結していて。

朝から日本武道館に行って、昼ごはん食べた後で藤沢に行って。
で、これで終わりじゃないんですよ。

朝から晩まで移動する、妙な卒業式だが楽しくはあった

それらが終わったころにはもう夕方なんですけど、更にその後に横浜に行くんですよ。

朝から晩までもう色んなところに連れ回されて、なかなか大変な予定で、まぁ学生時代の友人に会うのが最後だからっていうのもあって結局どれも参加したんですけど、日本武道館は別に要らなかったかなっていうのは思った次第で。

ただまぁそんなことってのもよく分かんなかったんで、全部参加して、で、横浜ではパーティをして。女の子たちはドレスとか着て、お酒なんかも飲んで。学生時代の楽しい話とか、あとはもう3月から就職先で働いているなんて人もいるから、仕事してどうなの?みたいな話を聞かされて、4月から社会に出る私は恐れおののいたりとか、残された最後の時間を名残惜しく楽しんで。

面倒な1日ではあったんですけど、色んな人と写真を撮って、ちょっと深酒をして、翌日に福島に引っ越すことに不安はあったんですけど、学生としての自分に区切りがつく想いもあって。

退官される教授のサプライズで上手く締まった、はずだった

で。

みんなでワイワイ楽しんで、お世話になった教授たちからのご挨拶があって、で、ちょうどその年に退職する陳先生っていう中国から来た教授が別れの挨拶をする中で、たどたどしい日本語で語りかけながら、退職をきっかけに実は長年連れ添った方と結婚するんです!っていう発表をしましてね。

小さいおじいちゃんがいきなりそんなサプライズをぶち上げたから観てるこっちはぶったまげはしたんですけど、でも連れ添われた方もすごくいい感じのおばあちゃんで、おおお、こりゃめでたいね!って感じになって。

誰も予想してはいなかったんですけど、陳先生がとんでもない発表をしたから、逆に参加者的にはすごく和んで、この挨拶が卒業パーティを全部持って行って、あーいい卒業式だったねって感じで終了する。

と、その時はみんな思ってたんですよ。
その時は、ね。

「この星の、一等賞になるんだ、俺は。そんだけ!」

陳先生の挨拶で、よしさぁ帰ろうか。
って感じで横浜から川崎方面に向かう人たちで固まって、身支度をしていたその時。

いきなり後ろからマイクででかい声を出した奴が居たんです。

え!?
なに?
何?

って。

結構これがね、すげえハッキリした声で言ってたんでよく覚えているんですよ。何を言ったか。いまでもそのフレーズ覚えているんですけど、卒業生の一人、仮にオオサカ君っていう名前にしますけどね。

「この星の、一等賞になるんだ、俺は。そんだけ!」

って彼が言ったんですよ。

この珍妙なフレーズは、やけに聞きやすかった

さっきの陳先生の時はみんなポカーンとしていましたけど、でも嬉しいサプライズだったからすごい祝賀ムードになって。

でも、オオサカ君のいきなりの宣言はポカーンから、おいおい、なんか言ってるよみたいな感じでみんなすげえ引いてて。

これがね、みんな引いてたのは間の悪いことに「この星の、一等賞になるんだ、俺は。そんだけ!」ってフレーズが異様に聞きやすかったことだと思うんですよ。卒業パーティの最後にぶち上げるには困惑しかない発言だっていうのが明白だったってのが大きかったんですね。

だってね、こんな訳の分かんない発言をいきなりしているのに、このフレーズを20年経っても一言一句ちゃんと覚えているってヤバくないっすか?

オオサカ君は奇怪な発言をするようなタイプではなかった

うわー、最後にやってんなぁ
ってくらいで、妙なもんを見たなぁって感じだったんすよ。

オオサカ君って別にそんなことするタイプじゃなかったですからね。真面目で、成績もたぶん良かったと思います。レポートの出来も良かった覚えがあります。

だから引いてはいるんですけど、どうしちゃったんだろうって方が強く出まして。そういう時って腹も立たないし、止めもしないっていうか、固まっちゃうんですよ。そんな訳で、冷や水はぶっかけられたけど、さぁ帰ろう!気持ちを立て直して。ってテンションになりまして。

まぁそんな背景があるので、オオサカくんには誰も触れようとしないままこの珍妙な事件は終わるはずだったんです。

忍び寄る次の危機

ただ、オオサカ君のことを誰も相手にしないことが逆に気になりまして、少し様子を見ていたんですよ。あの場で私だけが。なんか不安だったんでしょうね。そりゃそうですよ。あんだけ訳わかんないことをぶち上げて、誰も相手にしていないって結構なことですからね。

するとね。
今度はオオサカ君がまたなんかしようとしているんですよ。

これはヤバいと思って、とりあえず何をしようとしているのかを聞いたんです。すること如何によっては面倒ではあるんですけどどうにかしないといけないですからね。何せその危機に気づいているの、あの空間で私だけな訳ですから。

そしたらね、オオサカ君、こう言ったんです。





「かつ、俺はここでビーズのいつかのメリークリスマスを歌う。」

「いつかのメリークリスマス」は何としてでも阻止せねばならない

細かいことを言うと、彼だけなんですよ。
私のことを「かつ」なんて呼んでるの

そこからしてちょっと変なんですけど、なんかあの場であの状況で「かつ」って言われるとそれも含めてなんかノイジーなんですよね。待てよお前って感じになって。

まぁそれは置いておいても、確実に危機なんですよ。この星の一等賞がどうのこうのって言ってみんな引いてて、しかもまだやろうとしてるんすよ。いつかのメリークリスマスなんてこのタイミングで聞く歌じゃないし、それを歌うのがさっきドン引きさせた人なわけですから猶更です。

だから、これはもう、言葉えらばずに止めました。
いや、今そういう場じゃないから。
って。

そしたらオオサカ君も踏み止まってくれたんですよ。

「この星の一等賞になるんだ事件」は笑い話になっている

いやー、本当に良かったです。っていうか、あの場に居た人たちは私に感謝しないといけなかったですよ。だってね、あのまま私がほっといたら更なる地獄が待ち受けていましたからね。

人知れずオオサカ君に闘いを挑んで、どうにか阻止して。
なかなか最後は修羅場を迎えましたが、20年前の自分は頑張ったと思いました。

当時のゼミの仲間で集まったり、グループラインで話していると、やっぱあの「この星の一等賞になるんだ事件」は出てくるし、笑い話ではあったんですよ。そりゃそうですよね。こんなことあったらそうそう忘れられないですから。

ただ。
多分10年くらい前だと思うんですけど、この話には続きがありまして。

思わぬ形でオオサカ君と再会することに

確か日本テレビか何かを当時仕事を終えて帰って来て、観てたんですよ。

10年くらい前だから、もう学生時代のことなんて忘れて、今日の仕事とか、明日の仕事、あと週末のこととかぼんやりと考えながら、体を休めていて。

そしたらね。
なんかね、物まね王座決定戦だったと思うんですけど、





オオサカ君がテレビに出てたんですよ。
しかも、B’z稲葉のモノマネ集団の20人くらいの中の1人として。



あ、オオサカ君。
この星の一等賞になろうとしてるんだ。
今も。

って感じでぶったまげまして。

後日SNSで繋がったらやっぱりそれがオオサカ君本人だったみたいで、たまげました。こんなオチがあるのかって。まさかあの時歌おうとしていた「いつかのメリークリスマス」がフリになるなんて予想できるわけないじゃないですか。

って、昨日ね。
卒業についてそんな昔話を思い出したってことでした。

今日のまとめ:卒業しました

さて、今日のまとめです。

極めて短いまとめになりますが、卒業パーティでマイクを握って皆さんの前でいきなり宣言するのはリスクが高いので止めましょう。そして、B’zの「いつかのメリークリスマス」もTPOをわきまえて歌っていただければと思います。

この星の、一等賞になるんだ。俺は。
そんだけっ!

ちなみにこのフレーズって当時流行っていた「ピンポン」って漫画で出てきたセリフなんです。そのことを私はパーティの後日に知ることになりました。

嫁さんにこのフレーズ知ってる?って聞いたら「なにそれワンピース?」って言ってましたけどね。近かったですけど、惜しかった。

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西尾克洋/相撲ライターの相撲関係ないnote
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