戦争トラウマ
・復員兵の戦争トラウマ
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・桑原さん
・「戦嫌い」を貫いた祖父がなぜ…妻子に暴力、孫にも影響 心を壊した沖縄戦体験とは
・祖父から三代に世代間伝達するトラウマと、ファミリーヒストリー。沖縄戦の壮絶なトラウマです。
・2025年1月1日元旦の東京新聞の記事。『2025年、戦後80年、日本から平和発信課題』として1月1日元旦に『旧日本兵トラウマ初調査』と報じた。日本兵のトラウマの実態調査を中村江里さんの国への具体的提案『国は全国規模の無作為抽出での調査や家族へのヒアリングをすべきだ』と報じています。
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・2025年1月3日(金)NHKラジオ午前5:05 - 5:55(50分)
インタビュー 戦争と平和を考える 親父の苦しみを背負って
父は戦争でどんな苦しみを受けたのか。追い求めて見えてきた戦争の悲惨さとは。ラジオ深夜便で放送されたインタビューをもとにさらに掘り下げた特別番組をお送りする。
【出演】黒井秋夫, 【きき手】山田真夕, 【キャスター】髙橋美鈴
東京・武蔵村山市に戦争中の遺品の資料館を設立した黒井秋夫さんは、父親との苦い思い出が原点となっている。寡黙でまったく親子ならではのふれあいをしてくれなかった父親に対して、黒井さんは心を開くことができなかった。しかし父親の死後、その足跡をたどるうちに、若いころの全く違う生き生きとした姿が見えてくる。戦争は父親に何をもたらしたのか、心の傷をかかえた人たちの戦後の姿を見つめる。
・NHK総合『映像の世紀バタフライエフェクト』「戦争のトラウマ 兵士たちの消えない悪夢」(45分)。イギリス軍で戦争トラウマを負った兵士を見せしめのために「臆病罪」で処刑するという話が出てきて、その処刑された兵士の名誉回復を求める遺族の話が印象深かった。
「戦争のトラウマ 兵士たちの消えない悪夢」
初回放送日:2025年1月20日
兵士の心の傷が初めて注目されたのは第一次世界大戦、塹壕で砲弾の恐怖に放り込まれた兵士はシェルショックと呼ばれる神経症を患った。だが、国家は臆病者とみなし、電気ショックなどの対処療法で戦場に送り返した。ベトナム戦争では、女性や子どもまで巻き添えにする戦いの中で兵士の心の闇はさらに広がる。南ベトナムで村人25人を殺害した19歳のアメリカ兵は30年後自ら命を絶った。戦火の消えない世界で悪夢は続いている。
このエピソードの放送予定 東京都(首都圏局)
1月20日(月) 午後10:00〜午後10:45
イスラエル軍のブルドーザーはアメリカ人平和活動家のレイチェル・コリーさんをひき殺した(2003年)
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米軍によるソンミ村の虐殺が取り上げられていた。
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ソンミ村事件
1968年
ベトナム戦争中の1968年3月、米軍の部隊が南ベトナムのソンミ村を襲撃し、非武装の村人504人を虐殺した事件。当初はゲリラ部隊との戦闘という虚偽の報告がなされたが、69年12月に事実が明らかにされた。
https://tezukaosamu.net/jp/war/entry/119.html
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I.L「南から来た男」
https://tezukaosamu.net/jp/war/entry/104.html
番組では、ソンミ村虐殺事件で25人を殺害したヴァナード・シンプソンのインタビューが紹介されていた。事件当時19歳だったシンプソンは事件から21年経った後にインタビューに応じたが、当時精神科医の診察を受けていた。ソンミ村の虐殺について次のように述べている。
「一人の女性が何かを抱えて走り去りました。女を撃ちたくはなかったけれども命令でした。私は彼女が武器を抱えていると思いました。でも実際には赤ん坊でした。3発か4発撃った弾は彼女の体を貫通し、赤ん坊の顔も吹き飛ばされていました。私はおかしくなってしまいました。人を殺す訓練が私の中でよみがえってきたのです。1人を殺してしまえば2人目はそれほど抵抗ありません。次はもっと簡単です。何の感覚も感情も無くなりとにかく殺しました。」このインタビューの8年後、シンプソンもショットガンで自らの命を絶った。
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2024年6月に自ら命を絶ったイスラエル軍兵士エリラン・ミズラヒ(Eliran Mizrahi)についても取り上げられていた。頻繁に戦争を行い、予備役兵を招集し、戦場に繰り返し兵士たちを派遣するイスラエル政府は兵士のPTSD(第一次世界大戦ではシェルショック〔砲弾病〕とも戦争神経症とも呼ばれた)など認めたくないだろう。2023年10月7日のハマスの奇襲攻撃があって以来、ガザで戦うイスラエル兵のPTSDが報じられることはほとんどなかった。実際、イスラエル国防軍は兵士、あるいは国民の士気に関わるからか、ガザ帰還兵たちの自死についての数字を発表することがない。イスラエル軍はガザ攻撃ではAIを使って標的を定めたが、血の通わない映像を通しての攻撃が民間人の犠牲を増やすことを可能にしたことは確かだろう。
それでもCNNが昨年10月21日付で「彼はガザから出たが、ガザは彼から出なかった: 戦争から帰還したイスラエル兵士たちは、トラウマと自殺と闘っている」(‘He got out of Gaza, but Gaza did not get out of him’: Israeli soldiers returning from war struggle with trauma and suicide)と題する記事を掲載した。
記事の中で、予備役として招集された4人の子どもの父親で、40歳のエリラン・ミズラヒは、ハマスの奇襲攻撃直後ガザに派兵されたが、帰還すると、PTSDに苦しみ、最初に戦闘に送られてから6カ月後に自死したことが紹介される。
ミズラヒはハマスの奇襲攻撃があった直後の10月8日にガザに派遣され、装甲車両であるD―9ブルドーザーの運転を行っていた。彼は膝にけがを負うまで186日間ガザの戦場で過ごし、昨年4月までの186日間をガザで活動したが、帰還するとPTSDと診断された。ミズラヒが自死した理由は容易に想像がつく。彼のブルドーザー同乗していた共同運転手のガイ・ザケンはイスラエルのクネセト(国会)でガザの戦場で大変困難なことを見てきたと証言し、ガザでは死者も生者も何百人もの「テロリスト」をブルドーザーで轢かなければならなかったと述べた。
ザケンは戦場から戻っても爆発音が鳴り響いて聞こえるようになり、もう肉を食べれなくなったと語っている。ミズラヒもザケンもブルドーザーでガザの人々を轢き殺す任務を負ったのだろう。彼ら自身の安全も考えて武器をもつハマスの要員ではなく、丸腰の人々が轢き殺す対象であったことは容易に想像できる。また、ブルドーザーでは、イスラエル軍兵士たちの進撃を容易にするために、瓦礫とともにガザ住民の遺体を片付けることもあった。
民間人の殺害を正当化するために、イスラエル政府や軍の指導者たちはガザ住民たちが「テロリスト」であることを兵士たちに刷り込んだ。ザケンもクネセトでの証言で「市民」はガザでは存在しないと証言している。ガザ住民たちはハマスを支持し、ハマスを助け、弾薬もハマスのために隠しもっている。ガザ住民たちは皆「テロリスト」であると教え込まれ、またネタニヤフ首相は、ハマスは「新たなナチス」だと訴え続けた。
ミズラヒはイスラエルのガザ戦争の犠牲者とも言えるが、彼に任務を与えたイスラエル軍やイスラエルの政府指導者たちの戦争犯罪も彼の自死の原因を知ることによって明らかになってくる。
ベトナム戦争でソンミ村虐殺事件(1968年3月16日、犠牲者はベトナム政府発表で501人)があり、米国の戦争は世界的非難を浴びたが、イスラエルのガザ戦争はそれとは比較にならない、けた違いの虐殺と破壊だと思っている。
番組の中で、米軍の訓練担当の軍曹はベトナム戦争で「兵士に敵を殺させるには相手がまず敵は人間以下だと伝えた。・・・相手が人間だという感覚を徹底的に奪っておくことが重要だ。なぜなら敵も同じ人間だと感じた途端殺せなくなるからだ。」と述べる。
イラク戦争でサマーワに派遣された自衛隊員の自死は2015年8月当時で29人。政治家には戦場に派遣される隊員たちへの感情移入が必要であることは言うまでもないだろう。(自衛隊員の自死者数は https://dot.asahi.com/articles/-/108152?page=1 より)
・上記番組に関する呆け天さんのブログのまとめ記事
・朝日新聞に掲載された記事で、精神科医で歌手の北山修さんが「戦争を知らない子供たち」(1970)に関言して、「臆病さには人を慎重にする力もひそんでいる」と述べていた(リレーおぴにおん「臆病さ歌おう 戦争知らなくても」)。
加川良「教訓1」の歌詞に「青くなって/尻込みなさい/逃げなさい/隠れなさい」とあるのを思い出した。この曲は1970年頃に発表された、フォークシンガー加川良の曲で、元々、作家の上野瞭さんが1967年に三一新書で発表した『ちょっとかわった人生論』の中の「戦争について」の「教訓ソノ一」をアレンジしたものだそうである。そして半世紀経った今、アーティストのハンバート ハンバート さんや女優の杏さんがこの曲をカバーしたことで話題になり、この曲がまた注目を浴びている。
Mayaさんによるカバー