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【翻訳・英文学批評】「パグ犬は雄犬?それとも雌犬?—ジェイン・オースティン『マンスフィールド・パーク』」 J.サザーランド著『ジェイン・エアは幸せになれるか?—イギリス小説の謎—』所収
John Sutherland, CAN JANE EYRE BE HAPPY?(1997)所収の’Pug: dog or bitch? Jane Austen, Mansfield Park’を以下に訳出する(全文訳)。
◆パグ犬は雄犬?それとも雌犬?—ジェイン・オースティン『マンスフィールド・パーク』
①もしオースティン研究においてささいな問題がとにかくあるとすれば、バートラム夫人の抱えている愛犬の性(オスかメスか)が入れ替わっていることがそうであるように思われる。トニー・タナー氏(元ケンブリッジ大学教授)は、存命中のどの批評家よりも6つの小説(オースティンの主要作品6つ)の読み方を、我々読者に教えてくれる人であるが、彼女はそれを、何が有益な議論なのか、何がまったくくだらないものかを区別するリトマス試験と見なしている。非現実的なように思われるかも知れないが、『マンスフィールド・パーク』の背景にある細部には、確かにちっぽけなことかもしれないが、掘り起こすべき価値のある何ごとかがある。それは実質的には我々の小説の読み方を変えはしないが、主要人物の中の1人の輪郭をいっそう鋭く浮き彫りにするのである。
②この謎解きの中心をなすのは、第1巻第8章で、マンスフィールド・パークの一行が馬車でサザトンを訪問しに出掛けるときに、付随的に(偶然に)言及されるところである。ファニーが一行の一員に加わるかどうかが、行くに先立っての主な問題なのである。ノリス夫人は断固として、ファニーは行かせないと主張して譲らない。ラッシュワース夫人は丁重にも彼女が加わることを望んでいる。決定を下すのはエドモンドに任されている。出発の直前になって、誰がヘンリー・クロフォードと並んでバルーシュ型馬車の御者席に座るかで、(次女の)ジュリアと(長女の)マリアのあいだに、いくらかの激しい小ぜりあい(衝突、口喧嘩)がある。勝ちは妹のジュリアが占める。バートラム夫人はもう「くたくた」なので、この旅には行かないで、一行を見送る。「[ヘンリーの隣りに座れて]幸せな[妹の]ジュリア![それに引き換え長女は座れないから]可哀想なマリア!ジュリアはすぐに[馬車の外側の]御者席に座り、マリアは馬車の中の席に、陰気な気持ちで悔しくてたまらなさそうに座った。そして馬車は、あとに残る2人の夫人[ノリス夫人とバートラム夫人]の見送りの声と、飼い主バートラム夫人の腕の中に抱かれたパグ犬の吠える声(the barking of pug in his mistress’s arms)のまっただ中を走り去っていった。」(72ページ)これは生き生きとした劇的な場面である。私たち読者の目は、しっかりと、馬車とその中で行われている煮えたぎるような性に関する[姉妹の]闘争(たたかい)に注がれるのである(ファニーも、物静かな様子でありながら、従姉妹たち[マリアとジュリア]同様に、まったくその戦いの中にいる人なのである)。しかし、子犬の吠える声が、一瞬、読者の注目を捉える。というのは、私たち読者は、「彼の」(his)と書かれていることから、その犬がオス犬(a dog)であってメス犬(a bitch)ではないと気づくだろう。
③パグ犬は第3巻まで再び現れることはない。バートラム卿とバートラム夫人[バートラム夫妻]
は、これまでに、ファニーはヘンリーと結婚すべきであると既に[勝手に]決めている。夫妻は、この、思いのほか頑固な若娘[つまりファニー]を自分たちの望み通りに順応させるよう仕向けるために、飴と鞭を意のままに使おうとしているのである。「あなただって気づいているに違いないけれど」とバートラム夫人が姪[ファニー]に言う。「このような非常に申し分のない縁談が来たら、黙ってお受けするのが、若い女性の務めというものですわよ。」マンスフィールド・パークの女主人に脚光を浴びせかけながら、この物語は続く:
これが[マンスフィールド・パークに引き取られてから]8年半の間に、ファニーが伯母さん[バートラム夫人]から教えられたほとんど唯一の振る舞いの規則であり、唯一の忠告であった。———ファニーは黙るより仕方がなかった。彼女はどんなにむだな争いになることだろうか、と感じていたのである。もし伯母の思い(感情)が彼女の思い(感情)と反対であるのなら、いくら理解してもらおうと訴えかけたところで、望みはあるはずもない。バートラム夫人はひどくおしゃべりだった。
「あのねぇ、ファニー」伯母は言った。———「きっと、あの人[クロフォード]があなたに恋したのは、舞踏会のときよ。きっとあの晩に何か恋のいたずらが起きたのね。あなた、本当に、目立って綺麗に見えたもの。皆さんもそうおっしゃっていたわ。バートラム卿だってそう言ってらしたわ。それにねぇ、チャップマンがあなたの着付けを手伝ったのを知っているでしょう。私が、あなたの所にチャップマンを行かせて、本当に良かったわ。私、バートラム卿に言っておくわ。きっとあの晩にそれが起こったっていうことをね。」———なおも同じ楽しい思いに浸(ひた)りながら、伯母はすぐそのあとに付け加えた。———「ねぇねぇ、あのね、ファニー———これはマリアにもしてあげてないんだけど、今度[いま飼ってる]パグ犬が子どもを身ごもったら(the next time pug has a litter)、一匹あなたにその子犬をあげるわね。(you shall have a puppy.)」(302ページ)
このエピソードは、バートラム夫人の道徳的な鈍感さ(モラルの希薄さ、道徳的欠如)と彼女の独り善がりなところ(利己主義)を、完璧に捉えている。しかし、我々読者はちらっと見ると、「パグ犬」は今、メス犬、つまり子犬たちの誇り高き母犬であろうということに気づくかも知れない。
④パグ犬とは、[番犬ではなく,小型で可愛らしい]「愛玩用の犬」(小型化されたブルドッグ、つまり、とりわけジョン・ブルを連想させる力強く勇敢なマスティフ犬)で、毛は短くしているけれど、性別(オスかメスか)は下品にも詳しく調べて見なければ、すぐにははっきりと分からない。語り手たちも所詮は人間なのだから、このようなことについて我々皆と同じ間違いをしたのかも知れない。気の許せないような(くどい)読者なら、更に、パグ犬のような神経質な(=敏感な)血統書付きの犬が交尾を行う時には、かれらの飼い主に用心深く付き添われて、丁寧につがわされるのであると主張するかも知れない。一般的に、オスの親犬の飼い主は、交尾の後に生まれる子犬のうち、合意して決まった取り分(半分ほど)を受け取ることになる。したがって、バートラム夫人が「今度パグ犬が腹子を産んだ時」と言うとき、考えられるところでは(おそらく)彼女は、今度「雄の親犬が」子どもをもうけたら、ファニーにその子犬の中の1匹をあげるわ」と言うつもりであったのだろう。
⑤パグ犬は、『マンスフィールド・パーク』において、他に二度ほど、ちらっと現れる。まず第1章で、ファニーが牧師館ではなくパーク邸のほうへ来るという取り決めになるとき、バートラム夫人は「ファニーが私のかわいそうなパグをいじめないことを願っているのだけれど...ジュリアにはたった今、パグ犬に手出しをしないようにさせたところよ(I have but just got Julia to leave it alone)」(8ページ)と言っている。ここではパグ犬は、中性の「it」で書かれている。続いて、この数ページ後の第2章のところでは、バートラム夫人は「ほとんど何の役にも立たなければ、美人でもない女性で、自分の子供達のことよりも自分の飼っているパグ犬のことを考えている」と言及されている。パグ犬とは、もともと普通の大きさだったかれらの先祖[ブルドッグのこと]と同様に、醜い動物なのである。しかしながら、ブルドッグと違って、パグ犬は全く役には立たない———パグ犬をけしかける小型の雄牛もいないからである。私たち読者は、美しくもなく役にも立たないバートラム夫人が、他の愛犬家たち同様、自分の飼っているペットに似てきた、と思わざるを得ないだろう。これらの初めの部分における言及から推測される年代は、我々読者を当惑させる。我々が知らされているように、ファニーはマンスフィールド・パークにやって来る時には「ちょうど10歳」だったのであり、この家で彼女がバートラム夫人のペットをいじめることなど決してないに違いない、と我々読者は確信するだろう。パグ犬は、バートラム夫人が「それ」[パグ犬]を所有する(飼う)前に、家の中で飼えるようにしつけられており、この家族のなかに相当長い期間いたと仮定したならば(そうでなければ、12歳のジュリアにどうしてパグ犬をいじめる癖などついていたのか?いや、ついていないだろう)、バートラム夫人が、19歳になっているファニーに—彼女がクロフォード氏との縁談を受け入れることを承諾すれば—その子犬の中の1匹をやると約束した時には、この犬は、11、2歳になろうとしていたに違いない。私は犬の繁殖業者ではまったくないが、これから将来生まれてくる子犬たちのことを考えると、これではかなり遅すぎると思われる。パグ犬は他の子犬(小型のプードルや小型のスパニエル犬(キング・チャールズ・スパニエル))と同様に、複数匹で飼うのが粋であるとされているようである。一貫して小文字で(「Pug」ではなく「pug」と)綴ることは、1匹1匹の動物というよりも、むしろその総称(属性)を指し示すものなのである。しかしバートラム夫人について「ほとんど有能でなく、美人でもない女性で、自分の子供たちのことよりも自分の飼っているパグ犬(pug:小文字で単数)のことを考えている」(16〜17ページ)とあるような記述は、彼女が1匹の愛玩犬しか飼っていないことを明確にする。そうでなければ、「自分の子供たちのことよりもパグ犬たち(pugs:小文字で複数)のことを考えている」となるだろう。サザトンとポーツマスの挿話の間の時期に、年老いた(雄の)パグ犬が死んで、それより若い(雌の)パグ犬が飼われていたという仮説を立てることもできようが、———しかし、これはまったく無理なこじつけである。
⑥ジェイン・オースティンはほんのちょっとした間違いをしたのであると仮定しても、タナー氏が指摘しているように、それは、分別のある(賢明な)読者にとっては、全然構わない問題である。ささいな規則が法律に適用されているのと同様に、文芸批評にもそれは当てはまる。しかし、いったん我々の注意が、普通では考えられないほど長い性生活を送ることになる両方の性をもつパグ犬に引きつけられると、何か他の有益な点があり得るように思えるのである。第1に、パグ犬自身についてである。『オクスフォード英英辞典』が註釈をしているように、このパグ犬たちは「1794年に流行に乗ってやって来たのである」。かれらはウィリアム3世と一緒にやって来たとされており、「愛玩犬」の中でも一番由緒ある犬の中に入っている。穏やかな性格(気質)と同様に、その小ささがパグ犬を女性達の飾り物(装飾物)として特に有用なものにさせていったのである。おとなしいという気性(性質)は、肥満の傾向にもつながった(未だかつて痩せたパグ犬など見たことのある人がいるだろうか?と、或るイギリスの犬に関する歴史書は問いかけている)。19世紀の初めの数十年の間までに、パグ犬は一般に「装飾用のために」と手足を切断されていた(耳は切り落とされ、尻尾も短く切られたのである)。そしてその種はほとんど品種改良されたものと一般的に考えられた。これが19世紀半ばになって、進取の気性に富んだ積極的なパグ犬の繁殖業者たちの手で再び蘇ったのである。
⑦それからパグ犬は、かわいがられる流行の装飾物となったのである。というのは、パグ犬は小さくて(petite仏語女性形)、一種の犬のマフのようなものとして、婦人たちの腕の中に抱かれるにふさわしい従順な犬だったからである。もともとパグ犬は「男性的な」動物———マスティフ犬———であったが、より弱い性つまり女性にとっての飾り物として、遺伝学的に作り変えられたものなのである。「ブルドッグ」を小型化したその顔立ちは、パグ犬を、18世紀の終わり頃に流行らせただけではなく、フランスとの戦争の時代にあっては、愛国的な存在にもしていたのである。『急進主義者フィーリクス・ホルト』でトーリー党(=王権派の保守政党)派のトランサム夫人が飼っている「ブレニム・スパニエル犬」のように、パグ犬は喜んで受け入れてもらえるような女性らしさで政治的な主張にもなっていた。
⑧『マンスフィールド・パーク』の主要な出来事は、ナポレオン戦争中の、1805年から1811年の間に設定されるようになっており、この小説の冒頭は、「およそ30年前のことであるが…」という年代をあらわす言葉で始まっている。バートラム夫人(彼女は自分の子供達が誕生してからは、決して社交界のシーズン中のロンドンにわざわざ行くようなことはしなかった)は、その美貌でマンスフィールド・パークのバートラム卿を魅了していた若かりし頃の自分の趣味[パグ犬のこと]を持ち続けているように思われる。彼女が[まだ結婚する前の]マリア・ウォード嬢であった時に非常に流行していたパグ犬は、自分を中年の衰えた女にしてしまう時計を止めようとした[あの有名な]ハヴィシャム嬢のような役回りである。
⑨パグ犬が非常に懸命に奮闘した人工的な飼育プログラムの成果であったということも関連がある。ここにおいてパグ犬は、非常に重要な次のような問題に対するバートラム夫人の階級に対する態度(姿勢)について、もう一つの別な主張(叙述)をしている。つまり、誰が誰と結婚をすべきなのか?バートラム夫人の妹フランシスは、「平たく言えば、家族の反対を押し切って…海兵隊の中尉」と結婚している。プライス家の子育てはそれ以後、最高度に乱れていくようになる。プライス夫人は、[自分の姉]バートラム夫人にファニーを引き取ってくれるよう頼み込む(懇願する)とき、「9人目のお産の準備中」であった。プライス夫妻は結婚して11年にもなっていたので(姉妹のあいだでは疎遠な冷ややかな不和の時代であったのだが)、読者はプライス中尉が海に行ったのはいつだっただろうかと思うのである。父親の中尉の側としては、手に負えない子供の群れのことを、全部雑種の「子犬ども(young dogs)」(348ページ)と汚くののしるのが習慣になっているのである。
⑩『マンスフィールド・パーク』では、他のところについても、ジェイン・オースティンは考えを起こさせるような対立点を提起している。あまりにも育種に注意を向けすぎると、憎たらしいパグ、役立たずで、醜い、「同系交種」の流行の装飾物を産み出す。[逆に]子育てに配慮がなさすぎると、ポーツマスのプライス一家の無法地帯(the jungle)の方へと導いていくのである———そこでは、育ちの悪い子犬の群れがうろついているような状態である。それでもやはりポーツマスは、しつけのない子育てにもかかわらず、ウィリアムとファニー[という仲の良い兄妹]を産み出したのである。[一方、育ちがいいといわれる]マンスフィールド・パークはジュリアとマリア[という気立ての悪い姉妹]を産み出したのである。オースティンはあらゆる犬の飼育家、優生学者に知られている原理を裏書きしているように思われる。———つまり、血統というものは外の血筋によって規則的に力を回復させねばならないのだ、ということを。(1810年のパグ犬のように)同系交種の[まさに]瀬戸際にあった貴族のバートラム家は、雑種化されているプライス家の血と混ざり合う必要があったのである。
(第1巻第2章より)【原文訳】
①「ええ、わかってるわ。私が17歳になるまではね」(とマリアが言った。)「でもファニーのことでもうひとつ言わなくちゃならないことがあるの。あの娘はほんとに変わった子で、ほんとにお馬鹿さんなの。だって、あの娘ったら、音楽も絵も習いたくないって言うんですもの。」
②「確かにそうね、それはほんとに馬鹿げているわね」(とノリス夫人は言った。)「ファニーには、才能も、負けじと努力しようという覇気も、からっきし無い証拠ね。でもいろんなことを全部考え合わせてみると、(逆に)ファニーにそういった才能や負けん気があるよりもそれがいけないということになるかどうかは、分からないことよ。だって、私の(提案と尽力の)おかげで、あなた方のお父様とお母様は親切にもファニーをあなた達と一緒に育てることになったけれど、ファニーがあなた達と同じように何もかもたしなみを身に附けなくてはならない必要なんて全くないんですもの。それどころか、むしろ、はっきりと区別をつけた方がいいと思うわ。」
③ノリス夫人が、姪達(マリアとジュリア)の精神形成を手助けするつもりで与える助言がこのようなものであった以上、姪達が前途有望な才能に恵まれ、齢の割にいろいろな知識を身につけていたにもかかわらず、(残念ながら、)自分自身のあり方を見つめることや、寛大さや、謙虚さなど、人間にとってより大切なことをまるで身につけることができなかったのも、さほど不思議なことではない。心の躾け以外のことは、あらゆることが立派に教え込まれていたのである。トマス卿には、自分の娘達に何が欠けているのか判らなかった。それというのも、彼は娘達のことをほんとうに気にかけてはいたが、愛情を表に出さない質であったし、彼の控えめな態度のために、娘達のほうも、父親の前ではあらゆる感情のほとばしりを抑圧され、すなおに表に出すことができなかったのである。
④バートラム夫人は、娘達の教育にはほんのわずかな注意さえ払わなかった。夫人にはそんなことに気を遣う暇はなかった。バートラム夫人は、いつも綺麗な服を着てソファーに座り、ほとんど何の役にも立たなければ、美しくもない女性で、細長い模様の刺繡をつくったり、自分の子供達のことよりも自分の飼っているパグ犬のことを考えたりして、日々を過ごしていた。でも、自分に迷惑がかからない限り、子供達にはずいぶん甘かった。大事なことはすべてトマス卿が先に立ってやってくれたし、それほどでもない用事はすべて姉のノリス夫人に任せきりだった。仮に娘達のためにいろいろとしてあげる時間がもっとあったとしても、夫人はおそらくそんなことなど必要ないと思ったことだろう。それというのも、娘達には住み込みの女性家庭教師をつけてあるし、その上立派な先生方もつけてあるのだから、これ以上何の不足もないはずだからだ。ファニーの勉強の出来が悪いことに関しては、夫人はこう言っただけであった。「それはとても運が悪かったとしか言いようがないわね。でも世の中には、頭の悪い子っているものよ。ファニーももっと骨を折って勉強することね。ほかにどうしたらいいか私にはわからないわ。でも、あの子、頭の切れが悪いっていう点を除けば、ちっとも悪い娘ではないわ。いつもとっても器用だし、頼んだ言づても素早く伝えてくれるし、欲しいものを頼んでもすぐに取って来てくれるもの。」
⑤ファニーは、無学と臆病さという欠点はあったものの、マンスフィールド・パークに落ち着き、やがて生家に対する愛着の多くをマンスフィールド・パークに移すようになり、従兄姉達と一緒に、それほど不幸な思いをすることなく成長していった。マリアとジュリアも、故意に意地悪をするような性格ではなかったし。ファニーは自分に対する2人の扱い方に悔しい思いをすることはしばしばあったけれど、自分の立場をずっと低くに思っていたので、そのために心を傷つけられることはなかった。
Jane Austenの主要作品は以下の6つである。1.『分別と多感』(Sense and Sensibility,1811年処女出版)2.『自負と偏見』(Pride and Prejudice1796年からFirst Impressionsの題名で執筆され、改訂の上1813年に出版)3.『マンスフィールド・パーク』(Mansfield Park,1814)4.『エマ』(Emma,1816)5.『ノーサンガー・アビィ』(Northanger Abbey執筆は1797—8年に着手,1818年死後出版)6.『説得』(Persuasion, 1818年死後出版)
通例2頭引きで、御者席が前に高くなっており、2人用座席が前後に2つ向かい合い、後部座席に折り畳み式の幌(ほろ)が付いている四人乗り4輪馬車。
18世紀の初めに勇敢に戦った、イギリス人なら誰でも知ってる人。
毛皮などでできた円筒状の防寒具で、両端から手を入れて暖める。
ジョージ・エリオット(George Eliot,1819-80.本名Mary Ann Evans)の小説(1866)。1830年代初めの政界を描いた作品。
ナポレオン1世が1804年末に皇帝となって以来、1815年のワーテルロー(Waterloo)の戦いに至るまで、ヨーロッパ征覇を企てた数次の戦争の総称。
チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens,1812—70)の小説『大いなる遺産』Great Expectations (1861)の登場人物。結婚当夜恋人に逃げられ、男性への復讐を念願として、なかば凶人になった女性。実現されなかった自分の結婚式当日のまま、時計を止めている。また、数十年ずっとウェディングドレスを着たまま、家から一歩も外に出ない。
イングランド南部の市・港町。英国海軍の主要基地。