クリスマス特集(随時更新)
◉マヘリア・ジャクソンのクリスマスソング「聖夜」
◉ヨーロッパの山々に潜む恐ろしくも愛される怪物クランプス。もう一つのクリスマスと呼ばれる「聖ニコラウスの日」(12月6日)に食べるクランプスブレッド。大きな2本の角、ベロンと出した長い舌にちょっと怖いその目つき。
NHKEテレ『グレーテルのかまど』「クリスマスの怪物 クランプス」初回放送日:2023年12月11日
ヨーロッパに伝わるもう一つのクリスマス「聖ニコラウスの日」(12月6日)にやって来るモンスター「クランプス」。サンタクロースの由来となった聖ニコラウスの日。3〜4世紀に実在した人物で生涯人々を救い続けた聖ニコラウス。死後もあがめられ、その命日はクリスマスに勝るとも劣らない特別な日である。子どもたちにとってもこの日はワクワク。良い子にしていたらプレゼントが貰える。でも悪い子たちには怪物クランプスがお仕置きにやって来る。悪魔のような鉤爪とヤギのような角を持つ恐ろしいクランプス。手には子どもを引っ叩くためのホウキを持っている。聖ニコラウスの日の前の晩に現れ、悪い子は地獄に連れ去ると伝えられてきた。
クランプスの文化が色濃く残るオーストリア🇦🇹やスロベニア🇸🇮、南ドイツの山間部。この地域で12月になると姿を現すのが…怖い表情に大きな角、そして口から飛び出た長くて真っ赤な舌を持つ怪物パン、そう、クランプスブレッド!
ドイツ南部に位置するゾントホーフェン村。高い山々に囲まれたこの村にも古くから怪物が息づいている。牛の角がついた頭の部分、中にはヘルメットが入っていて羊の毛皮を貼り付けている。大きなカウベルはお腹に巻き付ける。忘れてはならないのがホウキ。これで叩いて悪霊を払う。この村のクランプスは地元では「クラウス」と呼ばれ、どの家にも1体、昔から受け継がれている衣装があるそうだ。聖ニコラウスの日が近づいてくると各地でクランプスたちのパレードが行われる。
この地方にはもう一つ名物のパンがある。それがビルネンブロート。ドイツ南部でクリスマスに食べるライ麦パンである。中には洋梨やイチジクが入っている。ヘーゼルナッツやレーズンもどっさり入っている。よく見るとパンの表面をもう一つ薄い生地で包んである。長期間保存してもパンの中が乾燥しないように表面を覆っている。冬の家族団欒には欠かせないビルネンブロート。ジャムやバターを付けて食べる。
12月5日の夜、「悪い子はいないか!」とベルを鳴らし、怪物クランプスたちが練り歩く。恐ろしい夜が明ければ聖ニコラウスの日。クランプスブレッドは聖ニコラウスの日の朝食に。クランプスブレッドは聖ニコラウスの日の1〜2週間前からパン屋に並び始めて「ああ、またクランプスの季節がやって来たな」と感じる。
◉レヴィ=ストロースが1952年に発表した論文「火あぶりにされたサンタクロース」。これはその前年にフランスのディジョンと言う街で厳格な聖職者らによってアメリカナイズされたクリスマスを否定するため、そのシンボルであるサンタクロースを公衆の面前で火刑に処した事件を取り上げて、異教の祭の名残りであるサンタクロースがクリスマスに組み込まれ、受け継がれている現象を報道の記事のような表現で解説しています。
ここで異教の復活を危惧した聖職者らによって火刑にされたサンタクロースは、聖ニコラウスがモデルとも言われていますが、元来は子供を脅しながら贈り物をくれる日本の「なまはげ」のような存在で、その後、資本主義の発展の中でキャラクターが確立されました。衣装が赤いのはコカコーラのシンボルカラーが由来というデマが信憑性を帯びるほどの資本主義のシンボルでもあるわけです。そういえば、ジーンズのリーバイ・ストラウス(リーバイス)は日本に紹介された際、レヴィストロースと紹介された、なんて話もあります。
ところで火あぶりにされたサンタクロースですが、あまりの出来事に子供達が嘆き悲しみ、ちょっとした騒動になったので、ディジョンの議会がサンタを復活させて市役所に登場させたそうです。復活といえばイエスキリストなのですが、聖職者たちはこれをどう思ったのか。今ならさしずめSNSで拡散するような話です。
◉経済学者の暉峻淑子(てるおかいつこ)さんの絵本『サンタクロースってほんとにいるの?』は福音館書店より依頼されて暉峻さんが書いたもの。2024年11月に出た『サンタクロースを探し求めて』(岩波現代文庫)を目下読書中、第4章「聖ニコラウスを訪ねる旅」はなかなか興味深いです。
◉1950年代後半のアメリカで大ヒットを記録したクリスマス・ソング「Little Drummer Boy」のBoney M(ドイツのバンド)によるカバー。賛美歌的な厳かさとテンポの良いマーチ・ドラムが絶妙なバランスで組み合わされた名曲。
◉シェイクスピア最高の喜劇とされる『十二夜』。そのタイトルは、12/25のクリスマスから12日目にあたる、本日1/5のキリスト教「公現祭」の夜を意味しています。もっとも劇中には、十二夜の祝宴に関わるような言及はないのですが…
◉太宰治の短篇「メリイクリスマス」
敗戦直後の東京の一コマをさりげなく描いた作品で、ほとんど筋は思い出せないが、あれから半世紀以上が経って、今や完全に商業化された結果、完全に遍在化されてはいるものの、平均的なノンクリスチャンの日本人にとって、クリスマスというのは、あの小説で言及された「メリイクリスマス」以上の意味を持ちえなかったのではないか、という風にはるか昔に最初に読んだ時以来、勝手にそう合点して今に至る。
で、青空文庫であの短篇を見つけて何十年ぶりかに読み直してみたのだが、クリスマスの意味づけについての私の所感についてだけは、さほど変わらなかった。
興味深かったのは、「私は本屋にはいって、或る有名なユダヤ人の戯曲集を一冊買い」という一行である。ここで言われている「有名なユダヤ人」とは一体誰なのだろうか?!そして、この一行の直後に、この作品の肝である女性との再会の場面が始まるのだ。ユダヤ人の名前も気になるが、もう一つ気になるのは、この女性が本屋で探しているという「アリエル」という書物のタイトルである。後者については、ネットで解説を加えている人を発見したので、次の投稿で紹介したい。
・太宰治のクリスマスストーリー 2019.12.06
さて、前便で取り上げた太宰治の短篇「メリイクリスマス」だが、さすがネット、この短篇の舞台裏をしっかり明かしてくれる文章がすぐに見つかった。
短篇の語り手である笠井が再開した女性が探していた「アリエル」というのは、「イングランドのロマン派詩人パーシー・ビッシュ・シェリーの生涯を綴った小説的伝記であり、このシェリーもまた太宰のようにスキャンダラスで奔放な恋愛と短い人生を駆け抜けた人」とのことで、「シェリーの妻はあの「フランケンシュタイン」の生みの親であるメアリー・シェリー」なんだそうである。
小説の娘さんや鰻屋とその大将も実在のモデルがいたようで、
「娘のモデルとなった林聖子さんは、新宿で「風紋」という文壇バーを昭和35年よりお一人で営まれ、御年90歳を迎えられた昨年、多くの作家や編集者らに惜しまれつつ、店の57年の歴史に幕を下ろされた。
聖子さん曰く、終戦翌年の11月に三鷹駅前の書店で太宰と偶然再会し、それから半月程経ったある日、母娘の住む長屋を太宰がふいに訪ね「お母さんと聖子ちゃんへのクリスマスプレゼントだよ」と懐から取り出したもの。それこそが『メリイクリスマス』の小説だった」という。
小説の中では、娘さんの母は広島の原爆で亡くなったことになってるのだが、勝手にモデルにしてしかも死んだことにされた聖子さんのお母さんはこれを読んでどんな顔をしたんだろうか。いずれにしても、太宰の道化師振りが窺える好エピソードである。
・山本芳久さんTwitter投稿(2024/12/24):「宗教詩人シレジウスの素晴らしい言葉をクリスマスに贈ります。「キリストが千回ベツレヘムに生まれても、あなたの中に生まれなければ、永遠に無意味である。」クリスマスの本質を端的に解き明かした、稀有な言葉です。『シレジウス瞑想詩集』に含まれています。あなたの中に神の愛が生まれますように。」
・"われは中村屋にいきて
チヨコレートの兎を買ひたり。
錢乏しく心も貧しき
書生にてはあれど
人なみにクリスマス・プレゼント
贈らむとてなり。"
東京外国語学校の学生時、1935年12月25日に新美南吉のかいた詩。
南吉はこの2年前のクリスマスに中村屋にて手土産をかい、敬愛する北原白秋のお宅を訪ねてて。お子さんや家族へのちいさな贈り物だったのかな?
・毎年クリスマスに読み直したくなる小説があります。
PaulAuster 著「 AuggieWrensChristmasStory 」、邦題「 オーギーレンのクリスマスストーリー 」。ウェイン・ワン監督の95年の映画「SMOKE」のラストシーンでこの物語がそのまま引用されているから知ってる人も多いんじゃないすかね?
今からちょうど30年前の今日、1990年のクリスマス12/25のNY TIMES朝刊に初出された #ポールオースター の優しい“嘘”にまつわる超珠玉の銘短編です。
クリスマスならではの慈愛に満ちた心温まる短編ですが、小説家の著者とタバコ屋の親父で奇妙な写真家でもあるオーギーとの交友を軸に、創作することの機智について、優しい作り話と共に展開されます。よく読み込んで見ると嘘か本当か重層的に配置されていて構造的にも痺れます。
ある日主人公である著者が雑誌の小説レビューに自身の写真が掲載された事をきっかけに、いつも利用してる近所のタバコ屋の親父に自分が小説家である事を知られる。それ以降ただの一介の客だった主人公はその親父にとって特別な客になる。何故ならその親父は日々写真を撮っていて自分自身をアーティストだと思っている。だから著者に仲間意識を持ったという事のようだ。親父が撮ってる写真はとても奇妙な写真なんだが、それはネタバレになるから触れません。
そんなある日、新聞社から依頼されたクリスマス用の短編執筆に困った著者が、その親父オーギーに彼が若い頃経験したクリスマスの日の優しい嘘にまつわる奇妙な話を訊く、という設定で、後半はその親父の語りがそのまま小説になっています。
実は、この小説については、先月投稿したの “技能実習生の街角のお菓子売り” の一件があってからふと思い出したのでした。あの一件は些細な”嘘”と”救済”について、色々と考えさせられました。
オーギーが語るクリスマスの小噺について、こちらもネタバレになるんで詳細は省きますが、胸に響く以下の文章だけ引用しましょうか。
ーー“ I had been tricked into believing him, and that was the only thing that mattered. As long as there's one person to believe it, there's no story that can't be true. (原文)ーー
ーー「まんまと罠にはまった私が、彼の話を信じた――大切なのはそのことだけだ。誰か一人でも信じる人間がいるかぎり、本当でない物語などありはしないのだ。」(柴田元幸訳)――
Happy Holidays. こんなコロナ禍のクリスマスですが、全ての人が平和で穏やかに過ごせますように。
・特選・ある“ソレ”についてのいくつかの事柄
スモーク 1995/アメリカ=日本
アメリカを代表する作家ポール・オースターが書き下ろした『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』。これを基に、男たちの中に隠された哀しいロマンティシズムを描いた都会の物語。14年間毎朝同じ時刻に店の前で写真を撮り続けている煙草屋の店長オーギー、彼の馴染みの客で突然の事故により出産まもない妻を失って以来ペンを持てずにいる作家のポール、彼が車に跳ねられそうになった所を助けた黒人少年ラシードの3人を軸に、ブルックリンのとある煙草屋に集まる男達女達の日常を、過去と現在を、嘘と本当を巧みに交差させながら進んでゆく。深みのある脚本、巧みな演出、繊細な心理描写で、ブルックリンの下町に生きる人々の人生をより深く描いているにもかかわらず、映画は決して重くはなく、実にシンプルに展開してゆく。そしてその中には男達の哀愁と同時にあたたかさが浮かび上がってくる、良質の、味わい深い、大人のドラマ。これら作品のテーマを凝縮している、クライマックスのトム・ウェイツの名曲“Innocent When You Dream”に乗せて繰り広げられるモノクローム映像は必見! 本作撮了後に急遽作られた続編ともいうべき『ブルー・イン・ザ・フェイス』も併せて観る事をお勧めする。
・クリスマスで連想する音楽小説といえばこれ。
佐藤多佳子「聖夜」。
高校のオルガン部の日常を描いた作品でバッハからメシアンまで様々な曲が登場しつつ、学校内での奏楽、レッスンも出てくる。モデルとなったのは青山学院大学高等部のオルガン部です。
佐藤氏にはもう一つ古楽に関係する小説があります。「FOUR」という短編で中学のリコーダーアンサンブルを扱っています。ちなみにこの作品が入っている「第二音楽室」の他の作品も、小学校の鼓笛隊、中学の音楽テストでデュエットを歌う二人、高校の軽音楽部というそれぞれ音楽に関する短編です。
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