虎大尽こと山本唯三郎の虎狩りとセオドア・ローズヴェルトのスポーツ・ハンティング
最近、とある自助グループの発表を聴いていて初めて知ったことだが、日本史の教科書にもよく載っている、第1次世界大戦で巨万の富を得た成り金紳士が百円札を燃やして「どうだ明るくなったろう」と話す風刺漫画のモデルになったのは、朝鮮で大規模な虎狩りを行って「虎大尽」と呼ばれた山本唯三郎だそうである。昔韓国人の友人から植民地期の日本人による虎狩りのことについて聞かされたことがあって、韓国の映画でもそういう史実の記憶を背景として、日本軍が虎に襲われるCGを用いたシーンなどが印象的な映画を見たことがあるが、虎狩りについて調べたことがなく驚いた。山本唯三郎は第一次世界大戦後に造船業で成り上がった船成金で、岡山出身らしい。しかもウィキには、朝鮮虎(アムールトラ)2頭を剥製にして、当時まだ皇太子だったヒロヒト及び同志社に献上したとある。
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なお、虎の皮そのものの歴史は古く、中世日本は朝鮮との交易で虎の皮を入手していた。例えば、石見国人益田氏の第20代当主、益田元祥(1558-1640)が甲冑を着け騎乗する肖像画、重要文化財《益田元祥像》 (島根県立石見美術館蔵)には、鞍の下に虎の皮が描かれており、また、1568(永禄 11 )年、益田藤兼・元祥父子が毛利元就へ和睦を図るため虎の皮を贈ったという話がよく知られている通り、益田氏は朝鮮との交易を通じて虎の皮を入手していた。
虎の皮の歴史については、以下の論文が参考になる。
「虎皮考 : 日本古代・中世における虎皮の流通と消費 に関する一考察」楠瀬慶太(九州大学大学院比較社会文化学府)
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さて、本題に戻る。上記のリンク先に載っている年譜によると、山本唯三郎は札幌農学校(のちの北海道大学農学部)で学び、新渡戸稲造の知遇を得て北海道の開拓にいそしむ、とあり、朝鮮に乗り込んで虎狩りに興じる所業の前史としての北海道「開拓」との連続性は興味深い。
山本唯三郎の風貌や虎狩りの写真を見ていると、いかにも夜郎自大的でマチズモ的で、風刺画の一見温厚そうな人物とは似ても似つかない感じがする。むしろ、動物のハンティングに打ち興じていたセオドア・ローズヴェルトを想起させる。
数年前、ニューヨーク市マンハッタンにあるアメリカ自然史博物館の正面入り口前にあったセオドア・ローズヴェルトの騎馬像が撤去されたが、この博物館には彼がハンティングで獲た動物たちの標本も展示されている。2期にわたり大統領を務めたセオドア・ローズヴェルトは任期が終わった直後に、休暇を取って心身を休めるのではなく、逆に過酷なアフリカのサファリに挑戦し、まさに彼の有名な演説(1899年)のタイトル通り「Strenuous Life(過酷な生活)」を選択したわけであるが、その目的はこのアメリカ自然史博物館およびスミソニアン・インスティティートのために当時はまだ珍しかったアフリカの猛獣たち(ゾウやライオンやゴリラ)の標本を提供することだった。テディはこのサファリで512頭のアフリカ猛獣をしとめる。ローズヴェルトやその友人であるカール・エイクリーが仕留めたアフリカの猛獣たち、ゾウやライオンやゴリラは今では世界中の「動物園」の主役として子どもたちの文化の一部分であり続けている。また、それ以上に、意志さえあれば、自分のからだを改造することもできる、なりたい者になれるというモットーを実践したローズヴェルトの人生は20世紀のアメリカ文学やハリウッド映画の中心的な主題を生むことにもなる。
ローズヴェルトは幼い頃は小児喘息に苦しみ、周囲から成人するのが難しいのではないかと言われるほどにとても病弱な子どもだった。しかし彼は自分のからだを鍛え上げて強靭なからだを自らの手で作り上げてしまう。どのくらい強靭だったかということを示すエピソードがある。1912年、選挙運動中にローズヴェルトは暗殺者の銃弾を胸に受ける。銃弾は彼の分厚い胸の筋肉に阻まれて肺に到達しなかった。胸のポケットには眼鏡ケースと分厚い50ページのスピーチ原稿が入っていたといわれるが、それにしても信じがたいような、しかし実際に起こった出来事である。さらに信じがたいことにローズヴェルトは銃弾が胸に入ったまま90分にわたり聴衆を前に演説を続け、演説が終わってから病院に行ったといわれている。このように自分自身のからだと心を改造して、なりたい者には何でもなってしまうというローズヴェルトが実践した人間像は、例えば作家F・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』のような文学作品や、『ターザン』や『スーパーマン』をはじめとするヒーローもののアメリカ大衆文化の原型になったと言えるだろう。セオドア・ローズヴェルト以降の大統領たちは、ローズヴェルトが作り上げた世界を股にかける巨人的な大統領というイメージをそれぞれの形で追い求めていったことになる。また、アメリカ自然史博物館前の彫像が象徴している、弱者のために少数民族のために先頭に立って闘う大統領というイメージも大きなインパクトを与えたが、これは続く大統領たちによって引き継がれると同時に見直され、最終的には批判されていくイメージと言ってよいだろう。
なお、セオドア・ローズヴェルトの有名な演説のタイトル「Strenuous Life」の意味するところはかれの人生を振り返れば容易に理解可能である。小児喘息に悩まされた臆病な子どもがボディービルで自分のからだを筋骨隆々とした巨体に鍛え上げてしまったり、母親と最初の妻を同じ日に病気で失うという悲劇に見舞われたあと、西部でカウボーイとして生活して心身を鍛え上げることでその悲劇を克服したり、大西洋と太平洋をパナマ運河でつないでしまうという不可能に思えるような事業に敢えて挑戦したり、大統領を2期務めたあと休息など取らずに直ちにアフリカ探検に挑戦したりするのが、Strenuous Lifeである。
セオドア・ローズヴェルトについては、フェミニストで科学史家のダナ・ハラウェイが「テディ・ベア的家父長制」という論文で興味深い分析をしている。自然の征服を通して白人エリート男性の権威を回復しようとした19世紀末から20世紀にかけての流れが博物館や霊長類研究などの自然史博物館の研究・展示の基礎になっていたことや、スポーツ・ハンティングは動物を殺すことによってマスキュリニティを獲得する儀式であって、セオドア・ローズヴェルトにおける、動物を殺し自然を支配する「たくましい身体」と膨張する帝国のアナロジーなど、いろいろと示唆的な論考である。村田麻里子さんの近刊『思想としてのミュージアム』はまだ手に入れていないが、こういう議論も解説してくれていると有り難い。
なお、先に言及した虎が出てくる韓国映画は『隻眼の虎』(2016年)である。舞台は1925年、植民地期の朝鮮半島、智異山。山の神といわれる隻眼の大虎を仕留めて土産にしようとする日本陸軍高官(大杉漣)。チェ・ミンシク扮する伝説の猟師。CGで再現された大虎が、バッサバッサと日帝軍人の群を襲うシーンが特撮プレビューにある。