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虎大尽こと山本唯三郎の虎狩りとセオドア・ローズヴェルトのスポーツ・ハンティング

百円札に火をつけて灯り代わりにするTHE成金
山本唯三郎の肖像
1917年(大正6年)に山本征虎軍を率いて朝鮮半島で大規模な虎狩り


最近、とある自助グループの発表を聴いていて初めて知ったことだが、日本史の教科書にもよく載っている、第1次世界大戦で巨万の富を得た成り金紳士が百円札を燃やして「どうだ明るくなったろう」と話す風刺漫画のモデルになったのは、朝鮮で大規模な虎狩りを行って「虎大尽」と呼ばれた山本唯三郎だそうである。昔韓国人の友人から植民地期の日本人による虎狩りのことについて聞かされたことがあって、韓国の映画でもそういう史実の記憶を背景として、日本軍が虎に襲われるCGを用いたシーンなどが印象的な映画を見たことがあるが、虎狩りについて調べたことがなく驚いた。山本唯三郎は第一次世界大戦後に造船業で成り上がった船成金で、岡山出身らしい。しかもウィキには、朝鮮虎(アムールトラ)2頭を剥製にして、当時まだ皇太子だったヒロヒト及び同志社に献上したとある。

上記のリンク先に載っている年譜によると、山本唯三郎は札幌農学校(のちの北海道大学農学部)で学び、新渡戸稲造の知遇を得て北海道の開拓にいそしむ、とあり、朝鮮に乗り込んで虎狩りに興じる所業の前史としての北海道「開拓」との連続性は興味深い。

セオドア・ローズヴェルトのスポーツ・ハンティング

山本唯三郎の風貌や虎狩りの写真を見ていると、いかにも夜郎自大的でマチズモ的で、風刺画の一見温厚そうな人物とは似ても似つかない感じがする。むしろ、動物のハンティングに打ち興じていたセオドア・ローズヴェルトを想起させる。

数年前、ニューヨーク市のアメリカ自然史博物館の正面入り口前にあったセオドア・ローズヴェルトの騎馬像(後ろにネイティブ・アメリカンと黒人が付き従っている)が撤去されたが、この博物館には彼がハンティングで獲た動物たちの標本も展示されている。

セオドア・ローズヴェルトについては、フェミニストで科学史家のダナ・ハラウェイが「テディ・ベア的家父長制」という論文で興味深い分析をしている。自然の征服を通して白人エリート男性の権威を回復しようとした19世紀末から20世紀にかけての流れが博物館や霊長類研究などの自然史博物館の研究・展示の基礎になっていたことや、スポーツ・ハンティングは動物を殺すことによってマスキュリニティを獲得する儀式であって、セオドア・ローズヴェルトにおける、動物を殺し自然を支配する「たくましい身体」と膨張する帝国のアナロジーなど、いろいろと示唆的な論考である。村田麻里子さんの近刊『思想としてのミュージアム』はまだ手に入れていないが、こういう議論も解説してくれていると有り難い。


なお、先に言及した虎が出てくる韓国映画は『隻眼の虎』(2016年)である。舞台は1925年、植民地期の朝鮮半島、智異山。山の神といわれる隻眼の大虎を仕留めて土産にしようとする日本陸軍高官(大杉漣)。チェ・ミンシク扮する伝説の猟師。CGで再現された大虎が、バッサバッサと日帝軍人の群を襲うシーンが特撮プレビューにある。

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