四季折々の植物誌🪻💐(随時更新)
・カタクリの花
・【欅(ケヤキ)】春夏秋冬に姿を変えるのでいいですよ、と植栽にも人気がある。春に芽吹き、夏は緑の葉がしげり、秋は黄色く紅葉する。冬にはすべての葉を落とし、幹と枝だけの研ぎ澄まされた姿を見せる。
秋の夕空と欅(ケヤキ)の黄葉(こうよう)がきれいだった。欅紅葉という言葉はないようだ。葉は晩秋に黄色くなり、冬に枯れて落ちる。枯欅、欅落葉という言葉はある。
黄色くなった葉は、やがてみな落下する。落葉樹はいさぎよく全てを捨てる。
「今も目を空へ空へと冬欅」(加藤楸邨)
「冬欅あまたの星を泊まらせて」(田中翠)
「冬欅ひとしく昏れてゆかんとす」(加藤三七子)
「黄落の宙に欅の力瘤」(宮津昭彦)
「松は松欅は欅冬日和」(黒川悦子)
「大欅一糸纒はず年迎ふ」(毛塚静枝)
「裸木となり正格を持し欅」(川崎展宏)
「桐桜欅柿朴庭落葉」(瀧井孝作)
「大欅野に在る如く黄葉せる」(山口誓子)
「散りもせで黄葉ひらひらひらひらす」(清崎敏郎)
「紗のごとく錦木に夜が及ぶべし」(矢島房利)
「欅散るその閑けさに涵(ひた)りをり」(石塚友二)
「裸木となるたび強くなる欅」(小澤克己)
「今も目を空へ空へと冬欅」(加藤楸邨)
サハリン朝鮮人・柳時郁(リュ・シウク、1920〜1962)「山中半月記」(1957年9月1日〜15日に朝鮮語で書かれた全143ページになる日記・手記・回想記)の最終日(1957年9月15日)の日記に、「大きなケヤキよ!」と呼びかける叙述がある。柳時郁は植民地期の朝鮮で文壇デビューした知識人(筆名と号は春渓(チュンゲ))だが、1941年に民族思想啓蒙活動の容疑で逮捕、西大門刑務所と思想犯教化所へ、産業報国隊に志願を強要され、1942年にサハリンに移送された後、一度も故郷に戻れず。人生の約半分を樺太/サハリンで失意のまま過ごした。戦後サハリンの朝鮮人社会で新聞社や放送局、劇団で活動。生活のため清掃や炊事や炭鉱労働などの肉体労働に従事。
・【サフラン】土からいきなり細い茎が出て花を咲かせる。香気はもとより、花びらの色も形も花粉の色もいうことなし。「現代詩手帖」誌1973年7月号に載った吉岡実さんの詩『サフラン摘み』がいまも大好きだ。
名にはさまざまな漢字があてられた。
番紅花、咱夫藍、洎夫藍、洎夫蘭など。
ならば、いっそ平仮名の「さふらん」がいい。
「少年の牙はさふらんそしてさんざし」(阿部完市)
「サフランの花を心にとどむる黄」(後藤比奈夫)
「さふらんの 花群るるがに かぎろひて 嗚呼あてどなく ひとを恋ひをり」(村上一郎)
・凛とした朝の光に黄花(キバナ)コスモス。
真冬の庭にも色とりどりの花が咲いている。
コスモスは秋桜とも。
「ある朝は少年であり野のコスモス」(大西健司)
「ありなしの風にコスモス応へけり」(小川悠子)
「からだぢゆう風になつてる秋桜」(森酒郎)
「コスモスが揺れ蝶が揺れ空が揺れ」(前山百年)
「コスモスのいよよみだるる影も添ひ」(山口青邨)
・【クロッカス】「春咲きサフラン」とも「花サフラン」とも呼ばれる。早春に咲く花。秋のサフランとおなじく地面からいきなり花が咲く。やはり異界に根がのびているようだ。
「クロツカス には低き空 低き風」(稲畑汀子)
「クロッカス 一輪春めく 日も一輪」(高澤良一)
「クロッカス 光を貯めて 咲けりけり」(草間時彦)
「忘れゐし 地より湧く花 クロッカス」(手島靖一)
「クロッカス 病む白鳥の 視野に咲く」(細井みち)
「きみが歌う クロッカスの歌も 新しき 家具の一つに 数えむとする」(寺山修司)
「『クロッカスが 咲きました』という 書きだしで ふいに手紙を 書きたくなりぬ」(短歌の新しい時代を告げた俵万智『サラダ記念日』の中の一首)
・モクレン
青木新門さん(『納棺夫日記』著者)のブログ「新門日記」より、2017年3月13日の日記:
ヤン・ヒウン「白いモクレン」
・オオバギ
吉岡攻さんFB投稿(2024/12/6):「〈先駆植物〉と呼ばれるオオバギ。その名に恥じず、大きな丸い葉を付ける。葉柄はまさにハスの葉のようだ。成長が早く、沖縄では、戦争で荒廃した中南部で急速に繁茂してきた、という。また、ある書物によれば、「攪乱」地域に急速に侵入し、素早く育つ、ともある。そんなことが繰り返されないことを願うが、なにせ、南西諸島の現状を見て、聞いてきただけに、〈意味深〉な意味を持つ植物に出会ったものだと、妙に感じ入ってしまった。」
・【粉粧楼(ふんしょうろう)】古い中国原産の八重の薔薇で、ほかにはない甘い薫りを放つ。その薫りは言語に絶して陶酔境にいざなう。学名はRosaceae Rosa ’Fen Zhuang Lou’(フェンツァンロ)。オールド・ローズ、チャイナローズの一品種とされる。お化粧につかう粉、白粉のような匂いがすることからこの名になったのだろう。おもしろいのは、花びらのかさねが多い八重で咲くことだけが同じで、ひとつの苗から色合いがちがう花が咲いてくること。四季咲きの薔薇だという。
薔薇(ばら。そうび、とも読む)は愛を歌うにふさわしい花。粉粧楼は気高い愛の香りがする。強い香りに陶然としてしまうほど。
不向東山久
薔薇幾度花
白雲還自散
名月落誰家 (李太白)
東山に向かはざること久し
薔薇(さうび)幾度(いくたび)か花さく
白雲還(ま)た自(おのづか)ら散ず
名月誰が家にか落つ
「わが君に 恋のかさなる 身のごとし 白き薔薇も 紅きさうびも」(与謝野晶子)
「愛に酔ふ 雌蕊雄蕊を 取りかこむ うばらの花を つつむ昼の日」(木下利玄)
「そこはかと薔薇の溜息らしきもの」(後藤夜半)
「あした咲く薔薇ある闇の子守うた」(加藤知世子)
「夕闇に 透かし見るなり 薔薇の花 いまだ生れぬ 世界のごとく」(与謝野晶子)
「驚きて わが身も光るばかりかな 大きなる薔薇の花照りかへる」(北原白秋)
「よき言葉聴きし如くに冬薔薇」(後藤夜半)
「僕が主人公の童話を語る冬薔薇」(林桂)
「冬ばらの真紅に未来うるほへり」(柴田白葉女)
「冬薔薇の咲くほかはなく咲きにけり」(日野草城)
薔薇 其二 武田信玄
滿院薔薇香露新
雨餘紅色別留春
風流謝傅今猶在
花似東山縹渺人
現代語訳:
庭いっぱいに咲いた薔薇の花には香りを含んだ新鮮な露
雨あがりの花の赤い色は、そこだけ特別に春を留めているようだ
風流で知られた謝安(東晋の貴族政治家、320年〜385年)が今なおここにいるかのように
ここの薔薇の花は、東山の薔薇洞に隠棲していた謝安の、はるかに遠く世俗を離れて生きた姿に似ている
・柊の花
「柊の花の寡黙の日が匂ふ」(山田弘子)
「艮の柊の花香をみたす」(三橋玲子)
「土地神の闇柊の花の闇」(井上信子)
・南天ひとふさ。
「しぐれたるあとの日が射し実南天」(鷲谷七菜子)
「億年のなかの今生実南天」(森澄雄)
「一度だけ 本当の恋が ありまして 南天の実が 知っております」(山崎方代)