ヤングケアラー

・2023年に刊行された中村佑子(著)『わたしが誰かわからない~ヤングケアラーを探す旅』(医学書院)読了。日本における「ヤングケアラー」という言葉の使われ方の「軽さ」を指摘されている。「社会的ネグレクト」ではないか、という言葉が印象的。

「とくにどこかでできてしまった傷、えぐられるような傷を自分のなかに感じているならなおさら、語られないことの方が重い、語られないことないことの方に意味がある。こうして一生懸命に書いているが、ここで語られないこと、語りたくないことの方に圧倒的に意味がある。語らないことで、心が落ち着く。」
ヤングケアラーって、イギリスで出てきた言葉だと思うんですけど、日本だと、ヤングもケアも軽いし、良い意味で使われてる言葉ですよね。軽いから広まりやすいんでしょうけど、そんな言葉でわたしたちを代弁できないし、親が精神疾患の場合もケアなの?とも思う。親が壊れていくのを見ていくしかなかった。この言葉を使ってる人たちは、自分達がヤングケアラーを見過ごす社会を作ってるとは考えてなくて、責任を感じてないじゃないですか

・三好春樹さんFB投稿(2021/6/2):
「●ヤングケアラー
レヴィストロースは、南米でフィールドワークすることで、ヨーロッパの自己中心性を批判する思想を作り上げた。では、なぜ、バタイユという思想家は、西欧の中に居ながら、理性中心主義を超える独自の思想を打ち立てたのか。それは、バタイユが、今で言う「ヤングケアラー」だったからなのだ。物心ついたころから、梅毒で脊髄癆となった父、今なら要介護度5だろう、その排泄介護をやっていたのだ。だから彼は、西欧の進歩と理性の光に幻惑されることなく、生産より消尽にこそ人間の本質があると主張したのだ。芸術も祭りも、そして介護にも生産性はない。それがどうした!私たち介護職が見ているものを、ヤングケアラーたちは、若くして見ているのだ。●拙著『野生の介護』には、「バタイユ入門」から引用して論じている。eかいごナビで注文を。」

・2023年11月23日(木・祝)に開催された滋賀県「死生懇話会」トークライブ「「死にたい私」と向き合う」ゲストスピーカー:土門蘭さん(文筆家)、ファシリテーター:三日月大造さん(滋賀県知事)、上田洋平さん(滋賀県立大学)に参加。土門蘭さんはお母さんが30過ぎて日本に来た韓国人の方で日本語がまったく出来なかったので、蘭さんが保育園の段階で母親の日本語能力を越えてしまって、母親に深い話が出来ないというのが原体験で、文章を書きつけるようになったとのこと。

・NHK“ことばのヤングケアラー” 外国人家庭の子どもを支えるために 2022年11月25日

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