見出し画像

エレーナ・コロヴァイ「染め物師」

ウズベキスタンのヌクスという街にあるカラカルパクスタン美術館(Nukus Museum of Art)には、スターリンの弾圧を生き延びた数多くの前衛絵画が集結している。20世紀初頭、ロシア・アヴァンギャルドは、ロシア革命と並行し、自由な気風で芸術を大衆に開放しようと、前衛的で活力のある絵画を描いたが、1930年代以降、スターリンの弾圧により大量粛清の血の嵐が荒れ狂い、亡命したシャガールやカンディンスキーが高い評価を得る一方で、国内に留まった芸術家の多くが粛清され、その作品は破壊された。しかし、共産党の文化官僚を巧妙に騙しながら、密かにロシア・アヴァンギャルドの作品を蒐集し続けたロシアの画家・考古学者・コレクターのイゴール・サヴィツキー(Igor Savitsky,1915〜1984)の膨大なコレクションがヌクスの美術館には収蔵されているのである。20世紀美術史の貴重な遺産がここに残されている。その中に、女性画家エレーナ・コロヴァイの作品がある。「染め物師」と題された絵は、藍色が印象的なモダンな作品だ。 エレーナ・コロヴァイ(Elena Korovay,1901〜1974)は、ソ連共産党の支配する時代を抵抗しながら生きた女性画家である。1901年に中国のハルビンで駅長の父と女優の母との間に生まれたエレーナは、セントペテルスブルクで絵画を学びロシア各地を旅した後、革命後は二十代でウズベキスタンに移り職業画家となり活動していた。舞台美術や子ども向けの絵本なども手掛けた。しかしエレーナのような自由と解放を求めた芸術家は、共産党独裁のもとで、悲惨な境遇に追いやられた。

1930年代にスターリンが文化統制の梃子として「社会主義リアリズム」を推進するようになると、前衛的な作品は「退廃文化」として弾圧されていった。共産党は絵画の強制収容所を設けて、文化局保管所と称していた。強制収容所に送られ、粛清されたアーティストも少なくなかった。抽象画から現実肯定の写実的な絵に「転向」していった画家もいた。しかし、エレーナは「絵筆を折らず」、社会主義リアリズムを拒絶したために、モスクワに移り住み、アパートの屋根裏で極貧の生活を余儀なくされた。エレーナは、共産党支配に屈従せず、社会主義リアリズムを受け入れることに抵抗したことで、画家同盟に加入できず、画家活動を封じられた。エレーナは友人画家の名を借りて、最低限の生活を送りながらも、屋根裏部屋で創作活動を続け、芸術家としての誇りと、邪悪な権力への抵抗を続けて亡くなった。彼女は当時の生活をこう綴っている。 「屋根裏部屋/冷たい風は敵/夜の闇も昼も朝も/生きること自体が私に敵意を抱く
 屋根裏部屋/ここで災いの味を知った/食べ物の代わりに/怒りと恥辱を飲み込む」

この屋根裏部屋を訪れ、リスクを承知で彼女の作品を購入した人物がイーゴリ・サヴィツキーである。エレーナはのちにこう回想している。「その時までの私はまるで、たくさんの金貨を持ったまま、砂漠で死んでいく商人のような惨めさでした。それがサヴィツキーの魔法にかかって、蘇ったのです」。サヴィツキーのような人物がいたおかげで、エレーナの存在が現代に受け継がれたのである。

芸術の革命を志向したロシア・アヴァンギャルドは、共産党の目の敵となり、共産党から徹底的に弾圧された。共産党は、革命後の社会を全体主義化させ、革命後のロシアを、銃殺刑と強制収容所送りの粛清と恐怖政治に変質させた。共産党が強制した社会主義リアリズムとは、俗悪な似非芸術であり、共産党独裁のアジテーションとプロパガンダでしかなかった。エレーナのような画家は、数多く存在した。多くの芸術家が「反共」「ブルジョワ文化の手先」「帝国主義のスパイ」「ナチの協力者」「ユダヤの陰謀家」などというレッテルを貼られ、冤罪とフレームアップによって処刑された。カジミール・マレーヴィチ(Kazimir Malevich)のように共産党独裁に怖れをなした芸術家たちは、競い合うように転向して、忠誠の証に共産党に媚びた醜悪な似非芸術を作り、地位と収入と勲章を手に入れた代わりに、醜い作品と不名誉と汚名を残した。エレーナと、エレーナのように勇気と希望を持ち続けた芸術家の作品は、サヴィツキーが設立したウズベキスタンのヌクスの美術館に集中して収蔵されている。是非、訪れたい場所の一つである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?