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円空と泰澄の十一面観音像

江戸時代前期の修験道の遊行僧、円空の最新の研究成果を交えその足跡をたどったETV特集「円空 仏像に封印された謎」を視聴した。長良川の洪水で母を亡くした円空は幼くして寺に預けられ、修験道の遊行僧として蝦夷地をも含む行脚を経て尾張・美濃の生地に戻り、十一面観音像を彫った。その胎内から母の面影を仮託したと思われる阿弥陀如来像と形見と思われる鏡、経典が近年確認された。非業の死を遂げた母だが、当時の生死観は極楽浄土に女性は行けないとされ、円空は往生を願う一心で荒行に明け暮れ、その集大成としてこの十一面観音像を彫り、けじめを付けたかったのではないか。女性が穢れたものとして賎視され、女性は修行しても仏になれないとする「女人五障(ニョニンゴショウ)」、女性は親、夫、子に従うべきだとする「三従(サンショウ)」の教え、女性は男性に生まれ変わってやっと成仏の道が開けるという「変成男子(ヘンジョウナンシ)」思想は円空をも苦しめていた。2018年12月~2019年2月に真宗大谷派の本山・東本願寺が開いた企画展「経典の中で語られた差別」において、世界人権問題研究センターの嘱託研究員、源淳子さんが準備された仏教における女性差別に関するパネルが、同派の意向で展示から外された事件が示すように、ジェンダー平等への問いかけに真摯に向き合わない仏教界のドグマや男性中心主義は今なお克服されていない。

 この番組では取り上げられていなかったが、興味深いのは、円空(1632〜1695)が自分は泰澄(682〜767)の生まれ変わりだと思っていたことである。泰澄は白山信仰の礎を築いた奈良時代の僧である。なぜ円空がそう思ったのかは、二人の境遇を比べると得心がゆく。泰澄の母親は川の渡し守の娘で、父親は越前の地方豪族で三神安角と伝えられている。母親は女中の身分で泰澄を身ごもり、これを疎ましく思った父親は離縁して、泰澄の母親を川へ落として流す。しかし、生き延びて九頭竜川の畔で泰澄を産み落とす。泰澄は生涯この母を敬愛し、母の姿とすべてを包み込む白山のイメージをだぶらせて、十一面観音を生み出した。泰澄の十一面観音は、母親らしい慈愛に満ちた表情を湛えているといわれるが、そうした泰澄の境遇からすれば至極当然のことといえるだろう。

 円空は父親の知れない子として生まれ、母親一人の手で育てられた。そして、円空が7歳の時に生まれ故郷を襲った大洪水によって、母親は流され、亡くなってしまう。円空の彫る仏にははっきりとした母親への思慕が見られる。

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