印象深い写真(随時更新)

・ハンセン病療養所草津楽泉園に入所していた金夏日[キムハイル]さんは、病いで全盲となり、そのうえ両手指を失った。しかし、感覚が残る舌や唇を使えば点字を読めると、学んでいた短歌を読むために、死にものぐるいで[舌読]を会得したという。舌が血だらけになり本を赤く染めていると人に言われて気がついたこともあったという。その歌人の絶唱である。
   『点訳のわが朝鮮の民族史  今日も舌先のほてるまで読みぬ』


・ラクダと笑うモンゴルの少女。この少女の名前はブテドマー(Butedmaa)といい、2003年に写真家のハン・チェングリ(Han Chengli)がこの「内モンゴルの子ども(Inner Mongolian Child)」と題する写真を撮影したとき、彼女はまだ5歳だった。

・明治時代に築かれた五大監獄の中で、唯一その当時の姿を残す旧奈良監獄。2017年に国の重要文化財に指定されて、その外観は残るが、内部は、現在、星野リゾートが工事中。五翼放射状監房の真ん中の一棟だけを残して「1泊1人10万円」の高級ホテルに改造中。残念でならない。そのまま残してほしかった。網走監獄のように。

旧奈良監獄

この旧奈良監獄は、フィラデルフィアのイースタン州立刑務所(Eastern State Penitentiary)そのままである。1829年にオープンした同刑務所は最新の独房式監獄として有名になり、トクヴィルも視察に訪れ、ディケンズが『アメリカ紀行』に印象的な観察記を残している。日本にも輸入されていたとは。

イースタン州立刑務所

・ブラックパンサー党の無料朝食プログラム。このプログラムは1969年から1980年まで実施された。
Black Panther Party Free Breakfast Program. The program went from 1969 to 1980.

・Pasternak in his dacha, 1958. He had a TV (then an expensive novelty), but apparently preferred devouring Herbert Wells in book form on the New Year eve. Frankly, I can’t imagine Pasternak watching TV. Pasternak was a subtle, over-reflective intellectual who needed a critical distance vis-a-vis any medium. And TV wasn’t supposed to allow him such a distance. TV is about immersion, about perfecting escapist sort of pleasure. Just everything I cannot imagine Pasternak engaging in…
1958年、ダーチャでのパステルナーク。彼はテレビ(当時は高価な目新しいもの)を持っていたが、大晦日にハーバート・ウェルズの本をむさぼるように読むのが好きだったらしい。率直に言って、パステルナークがテレビを見ていたとは想像できない。パステルナークは繊細で内省的な知識人であり、どんなメディアに対しても批評的な距離を置く必要があった。そして、テレビは彼にそのような距離を許さないはずだった。テレビは没入するものであり、逃避的な快楽を完成させるものだ。パステルナークがそのようなことに没頭していたとは想像できない。

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