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山田洋次監督の時代劇映画三部作鑑賞記

1.『たそがれ清兵衛』(2002年)

山田洋次監督の映画『たそがれ清兵衛』を観た。とても良い映画だった。真田広之と宮沢りえの主演した映画のなかでも随一の傑作ではないだろうか。清貧に甘んじる生活をしながら、とある藩士を藩命により討たなければならなくなった下級武士と、その幼馴染の女性の行く末を静かに描いている。前半の静(日常生活)と後半の動(一対一の決闘)の対比が素晴らしい。清兵衛に討たれる藩士(余吾善右衛門)役のダンサー田中泯の最後の立ち回りや息絶えるところも鬼気迫るものがあり、見事だった。他の出演者も良いし、子役も可愛かった。

原作は藤沢周平の小説で、藤沢周平ファンには「海坂藩」という名前だけで、ぐっとくるものがあることだろう。

ちょうど今朝の朝日新聞(2024年10月19日)に山田洋次監督の寄稿が載っていたので、以下に転載する。

受け継がれた侍のモラル 山田洋次

山田洋次は1931年、大阪府豊中市に生まれる。満鉄のエンジニアだった父・正の勤務のため、2歳で満州に渡り少年期を過ごした。正は九州大工学部卒業後、大阪にあった汽船製造会社で蒸気機関車の設計をしていた。
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 かつてこの国には時代劇映画というのがあった、と書きたいくらいに時代劇が少なくなっています。かの「羅生門」をはじめ「七人の侍」「雨月物語」など世界映画史に残る日本映画の名作はどれもが時代劇。それを作るための宝のような技術が消えようとしている今、真田広之さんがアメリカで時代劇、それも「SHOGUN 将軍」という手間のかかる大きなスケールのドラマに挑み、エミー賞18冠獲得という快挙をなしえたことに、心からの称賛を贈ります。

 今から24年前、それまで僕が「寅さんシリーズ」をはじめ、すべての映画を作ってきた大船撮影所[引用者注※松竹大船撮影所(しょうちくおおふなさつえいじょ)は神奈川県鎌倉市大船に1936年から2000年まであった映画スタジオ。現代劇を担当していた]が無くなり、アトリエを奪われた絵描きのようなわびしい気分でいたのですが、まだ京都には太秦撮影所という時代劇専門のスタジオがある、あそこで時代劇のスタッフと侍の映画を作るチャンスではないかと考えた。かねがね愛読していた藤沢周平さんのピアノソナタのような美しい小説を原作にすればいい、ということで、「たそがれ清兵衛」の企画がスタートした地方の小藩のわずか五十石取り、家族を愛する誠実な侍の役は真田広之、これは企画の最初から決まっていました。

いわゆるチャンバラ映画のような絵空事ではなく、タイムスリップしてカメラが侍の家に入り込んでロケーションするようなリアリティーが欲しくて、スタッフにこんな話をしたりした。「幕末の話ということは、そんなに大昔じゃないんだ。きみたちのお祖父(じい)さんのお父さん、つまり曽祖父(ひいじい)さんの子どものころはまだ髷(まげ)を結った侍がいたんだと考えてほしい。つまり、手が届くような昔の暮らしについて、想像の羽を伸ばすということ」

 ぼくの祖父は九州柳川藩の下級武士の息子で、今思うと、古風な侍の雰囲気を色濃く持っていた気がします。遠い昔の記憶だけど、幼いぼくたち兄弟は祖父が家に来る日は朝から緊張していた。よそ行きの服を着せられてかしこまって母親に招かれて座敷に入り、お祖父ちゃんの前で挨拶(あいさつ)をするんだけど、なんだか怖くてろくに顔も見なかったような気がします。あの恐ろしいまでの堅苦しさは九州の侍、しかも大藩ではなく小藩の侍独特のものではなかったか。

 ぼくの父親はそんな祖父を心から尊敬していて、陰口のようなことは一切言わなかったと思います。戦後、父は地方の市役所に職を得たが、管理職につくと年末に部下や業者からささやかな歳暮が来る。昔だから丁寧に包装されて郵便で配達されるのだけど、僕の父はそれを一つ一つ送り主の住所を紙に書いて表に張り直し、郵便局に持って行って切手を貼って送り返すのです。中身は食べ物が多いから、お腹(なか)をすかせた少年としてはなぜ開けて食べさせてくれないのかと恨めしいのだけど、それを口に出して「お父さん開けて食べよう」とは言えない厳しい雰囲気を子供ながらに父親の顔つきから感じていました。あの父の融通の利かないというか、堅苦しいほどのモラルは、祖父の、つまり先祖の侍の持っていたモラルであり、さらに言えば、明治維新以後日本の官僚やサラリーマンのかなりを占めたであろう下級武士たちの子孫のモラルが明治の政治を支えたのではないか、とまで想像するのです。

 「たそがれ清兵衛」の主演は真田広之、彼が愛する女性が宮沢りえ。そして最後に壮絶な果たし合いをする相手の侍は、この作品が映画初登場の舞踊家田中泯。満足のいく配役でした。古風なモラルに生きる侍が美しい女性への愛に苦しむ、その姿を真田さんが見事に演じてくれた。クライマックスは田中泯演じる剣豪との命を賭けての果たし合い。真剣の勝負というのはそう簡単に片づくものではない、刀はものすごく切れるから少し触っただけでも傷ついて血が出る、結局は出血多量でどっちかが倒れる――という明治時代に書かれた果たし合いの記録を参考にした二人の戦いで、最後に田中泯がゆっくりとスローモーション撮影のように倒れる――。ぼくが長いカットの終わりの「はい」を言い「オーケー」と叫んだら、真田さんの目から涙がホロホロと零(こぼ)れ落ちたことをよく覚えています。スタッフ一同しんと静まり返っていたあの時、ああ映画作りはいいな、と思ったものでした。

朝日新聞2024年10月19日 「山田洋次 夢をつくる:34」

2.『隠し剣 鬼の爪』(2004年)

山田洋次監督の時代劇三部作の2作目。謀叛の罪で極刑に処せられるも山奥の牢を破って脱走し、ある民家に人質をとって立て篭もり、家老の命により主人公の平侍・片桐宗蔵(永瀬正敏)に果たし合いで斬られることになる狭間弥市郎という男(小澤征悦)の妻を弄んだ家老の心臓を主人公が「隠し剣 鬼の爪」で一刺しするというのは良かったけど、松たか子の出番も『たそがれ清兵衛』で宮沢りえが物語上なくてはならない役だったのと比べるとそれほどでなく、ラストシーンで「ご主人の命令なら」と一緒に蝦夷行きの意思を表明する仕方も、封建的な男女の関係性を背景にした台詞で、全体として『たそがれ清兵衛』の方が良かったかなと思う。

3.『武士の一分』

高校生のとき、遠足で徳島行きのバスの中で観た作品。ストーリーは忘れてしまったが、とにかくキムタクの演技が素晴らしかった。

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