2020年10月開催の日韓交流イベント「歩く文学、ソウルから東京・福岡まで」への参加記録
2020年10月3日(土) 、日韓交流イベント『歩く文学、ソウルから東京・福岡まで:〈文学〉と〈歩行〉を通じた新たなる日韓交流のかたち―』のオンライントーク部分のみに参加した。東京とソウルをオンラインで結ぶZoomミーティング画面に5人の登壇者が並んだ。東京は神保町のカフェ「チェッコリ」が会場だった。
内容は、済州島の海女の詩集『海女たち』(ホ・ヨンソン著)にまつわる様々な話が中心になった。韓国社会を背景にした韓国女性作家の小説が次々と翻訳・出版される中では、ちょっと異質なこの本の翻訳者である姜信子さんが、20年来の懸案であったという経緯を説明しながら、詩を日本語に置き換える「創造的」な仕事について、「歩く」ことから始まった自身の文学的軌跡と合わせて語った。一番低く、一番遠く、一番離れた所に生まれる言葉が自然に「声を伴う歌」となる具体例を映像で見せてくれたが、そこには“在日”というアイデンティティの揺らぎから様々なアプローチをしている同志の存在を強く感じた。
済州島の「海女抗日歌」も日本語字幕を背景に紹介されたが、この歌は博物館で販売されているCDで少女たちが唱っているものだった。植民地下の済州島の海女たちの当時の平均年齢がどのくらいだったのかは知らないが、ヒット歌謡「東京行進曲」のメロディに乗せられた内地首都人への諷刺を含んだ歌詞を、搾取される自らの「声を伴う歌」にした海女たちの苦衷を想像する。
10月4日(日)オンライントークイベント「文学から見る韓国社会」(於九州大学西新プラザ)、イ・ジン(作家)×岡裕美(翻訳家)×姜信子(作家)×辻野裕紀(言語学者)。一昨日のトークイベントの続きが急遽オンラインで配信されることになったと連絡を受けたので参加。Zoomによるウェビナーで福岡とソウルを結ぶセッションである。以下はイ・ジンさんのお話のメモ。
今回は『ギター・ブギー・シャッフル』を書いた著者イ・ジンさんと訳者の岡裕美さんが中心。韓国文学は時代性や社会性に溢れた作品が多いが、『ギター・ブギ…』に関しては著者の個人的な体験から多くが語られた。「1960年代の韓国の状況は関心が無い人には分かりにくいところもあるが、日本語訳の話はとてもありがたかったし、ロック好きな人には通じるかとも思った。実際、歴史小説でありながら音楽小説でもあるこの小説は、50歳代以上の年配者か、音楽マニアに向いている」
イ・ジンさんは「キム・ジヨン」と同じ82年生まれ。30歳代後半の韓国人は日本文化に関心が深い。子供の頃に任天堂スーパーファミコンや漫画ドラゴンボールなど90年代の日本の文化への愛着について言及した。中にはブログで懐かしい品々を紹介する人もいるという。テレビアニメーションも人気で夕方6時にはみんな家に帰って見ていたという。だから、そうしたものへの拒否感も薄い。厳格な校則があり勉強以外の趣味は禁止という雰囲気の女子校出身だが、本人はBUCK-TICKのコンサート会場横浜アリーナを始め日本を度々訪ねたという。小説には青春時代の経験がたくさん詰まっているそうだ。
イ・ジンさんの小説『ギター・ブギー・シャッフル』の登場人物にも直接的・間接的に影響を与えている1960年代の韓国ロック黎明期の3人、シン・ジュンヒョン(韓国ロックの父と呼ばれるギタリスト)、ユン・ボッキ(この小説のヒロインであるキム・キキのモデル)、パティ・キム(韓国ディナーショーの女王)の最近の写真、ユン・ボッキがアメリカ第8軍のステージでハスキーボイスで歌い上げ米兵に喝采を受けるライブ映像も紹介された。ユン・ボッキは小学校入学前から舞台に立っていたそうで、日本で言えば、さしづめ美空ひばりだが、死後数十年経っても日本の芸能界で不動の圧倒的存在感を誇る美空ひばりと違って、ユン・ボッキは韓国芸能界でそれほど圧倒的な存在感をもって認知されていないという。こうした小説の背景を描くのに大衆音楽の歴史を調べたが難儀したそうだ。資料収集が難しい。この分野では日本に残る韓国ロックの資料を調べる人もいる。芸能ゴシップやレビューが載るヨンナム(龍山の南?)雑誌も紹介された。
キャンプで演奏できるミュージシャンや歌手は米軍が実施するオーディションで決めるという圧倒的な格差、「딴따라(タンタラ)」と蔑まれるミュージシャンの地位の低さ、業界に蔓延るドラッグと暴力の問題、奴隷的とも言える契約や移籍の際のトラブルなども綴られるなど(その多くは今もなお解決しないまま残っている)、朝鮮戦争後から本格的に始まった韓国の音楽界の黎明期がドラマティックに映し出される『ギター・ブギー・シャッフル』。すべての根底にあるのは、米軍基地を介して欧米の音楽を受け入れ、発展してきたという事実だ。アメリカで流行っている音楽をいち早く取り入れ、米軍の好みに合った演奏ができるミュージシャン、白人のように歌える歌手がスターダムを駆け上がっていく図式は、誤解を恐れずに言えば、現代のK-POPのひな型とも言える。芸人の蔑称である「딴따라(タンタラ)」がやがて賞賛の意味を持つようになったのは、日本で「河原乞食」が芸能人ともてはやされるようになったのと同じ現象だが、彼らの活躍なしには今のK-POPの隆盛もなかったことだろう。
登壇者の言語学者・辻野裕紀氏によれば朝鮮時代には「남사당(ナムサダン)」と称呼される旅芸人集団がおり、彼らは最下層の賤民であった。『ギター・ブギー・シャッフル』では「一般大衆は芸能人を別世界の人間を見るように神聖視したり、蔑視したりする」と鋭く記述されている。これは文化人類学や民俗学の知見に照らしても普遍的な現象であり、芸人は本来的に社会の「外部」に住む「トリックスター」のような二面性を持った存在だった。人類史を紐解けば、遊動段階から定住社会へと移行した後も、定住を拒絶したことで差別されるようになった流浪の被差別民たちが共同身体的な祭りのたびに召喚され、歌や踊りを披露させられた。彼らは、聖なる存在であると同時に穢れでもあり、それが「芸能人」の始まりとなっていった。この小説で描かれている音楽業界の在り方は、戦後の日本のポピュラー音楽と重なるところも多い。敗戦後の日本において、海外のポップカルチャーの発信源はまちがいなく米軍基地であり、GHQを相手に演奏したジャズマンたちがその後の音楽シーン、芸能界の礎を作ったことは周知の事実だ。台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(エドワード・ヤン監督、1991年)でも、冒頭近くで日本の歌謡曲が流れた後はずっと、プレスリーの曲が繰り返し流れる。
それにしても、トークの最後にあったように、今、韓国文学を書き、翻訳し、読む主体が圧倒的に女性であることや、翻訳者が学府では無いところから輩出するのは、この時代を見事に象徴している。生きづらさの底辺から生まれた歌が日韓を架橋する。『日韓音楽ノート』は登壇者・姜信子さんの著書。遅ればせながら『ギター・ブギ・シャッフル』も読んでみたい。
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シン・ジュンヒョンさんらよりは少し後の世代だが、今では韓国ドラマで欠かせない脇役のキム・チャンワン(김창완)さんが属していた「サヌリム」というロック・バンドも、今のバンドに影響を与えている。
作家イ・ジンさんが好きなロックの歌として紹介した、1974年8月に発売されたシン・ジュンヒョンさんの「美人」を歌う登壇者たち。この歌はジミヘンの「紫のけむり」が元ネタだという。
最後に、シンポジウムで話題に出た光州事件に関する本の紹介。①と③は姜信子さんの推薦、②はイ・ジンさんの推薦である。
①ハン・ガンの小説『少年が来る』(한강 『소년이 온다』)
②光州民主化運動記念事業会が編集した『광주 오월 민중항쟁의 기록ー죽음을 넘어 시대의 어둠을 넘어』(光州5月民衆抗争の記録―死を越えて、時代の暗闇を越えて)
③在日朝鮮人の詩人・金時鐘さんが光州事件を日本から見据えて書きためた連作詩集『光州詩片』(1983年)。
「1929年に朝鮮半島の元山に生まれ、済州島で育った金時鐘さんは、日本の植民地支配下で「皇国少年」として成長を遂げた。日本が敗戦を迎え、朝鮮が解放されたときにも、済州島の海辺で、「神風」が吹くことを信じて、日本の唱歌や軍歌を口ずさんでいたという。そんな金少年が朝鮮人に立ち直るきっかけを与えてくれたのが、おとうさんが朝鮮語で歌っていた「クレメンタインの歌」だった。元来は合衆国の民謡であり、西部映画『荒野の決闘』の主題歌「マイ・ダーリン・クレメンタイン」を、おとうさんは戦中に朝鮮語で歌われていたのだった。日本の植民地支配をつうじて引き裂かれていた親と子のあいだで、ひそかな心の受け渡しを可能としたひとつの歌。金さんが日本に渡ってきたのは、1948年にはじまる済州島四・三事件にゲリラの一員として参加したからだった。そのことを金さんが公的に打ち明けたのは事件から50年後、1998年のことだった。四・三事件は90年代に入ってようやく韓国で解明が進められた。それまでは事件について語るのはタブーとされてきたのだった。」https://www.sankei.com/smp/west/news/150222/wst1502220004-s.html?fbclid=IwAR2c27kJKA02iQbD8EpD6lclRT4TzN6QKo53-A7dniyk5d_ic9cwUQv0fYs より引用。
以下の『光州詩片』所収の詩「冥福を祈るな」は、国家暴力によって亡くなった者たちをそのまま死者の国に送ってはならないと絶唱している。
「冥福を祈るな」
非業の死がおおわれてだけあるのなら
大地はもはや祖國ではない。
茂みに迷彩服をひそませ
蛇の眼光をぎろつかせているのもまた大地だからだ。
抉られた喉はその下の土くれのなかでひしゃがつている。
日が過ぎても花だけがあるのなら
悼みはもはや花でしかない。
くらがりに眼を据えて
風景ともないきせつをみているのも
まだ盡きない母の思いだからだ。
季節の變わり目のその底で
蛆にたかられているのは裂かれた腹の嬰兒の頭蓋だ。
平穏だけが秩序であるのなら
秩序はもはや萎縮でしかない。
地ひびく無限軌道に目をそらし
見るともない街並みに影を延ばしているのも
また變わらない日暮れのなかのしずけさだからだ。
下りるとばりのその奥で
地を這つているのは押し込まれた呻きだ。
世に死は多く
生も多い。
ただ生かされてだけ
生であるなら
しいられた死もまた
生かされた生だ。
國軍によつても守られることなどない
見放された自由のなきがらなのだ
敵でなく,同胞であつてはなおさらない
他人のはずの民衆でもなく、
五月をトマトのように熟れ押し潰された死よ。
撃ち抜かれた空よ
木木のそよぎよ。
眼を覆う死にも
光だけは透けていたのか韓國の夏よ。
惡魔の申し子の
色めがねの息子よ。
奈落へ堕ちていつた自由なら
深みは深みのまま
惡寒をつのらせているがいい。
選んだ方途が維新のための暴壓であるなら
歴史は奈落へ棄ておいた方がいい。
片輪の祖國に鐡壁を張る
至上の國權が安保であるなら
萎える國土の砲塔の上で
將星は永劫輝いているがいい。
それでこそふさわしいのだ。
浮かばれぬ死は
ただようてこそおびえとなる。
落ちくぼんだ眼窩に巣食つた恨み
冤鬼となつて國をあふれよ。
記憶される記憶がある限り
ああ記憶される記憶がある限り
くつがえしようのない反證は深い記憶のなかのもの。
閉じる眼のない死者の死だ。
葬るな人よ、冥福を祈るな。
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