イラン🇮🇷のマジッド・マジディ監督の映画『運動靴と赤い金魚』(1997)
イランのマジッド・マジディ監督の映画『運動靴と赤い金魚(Children of Heaven)』(1997年)を観た。 大きなクライマックスと言えば最後の小学生たちの地区対抗のマラソン大会の場面くらいの淡々とした映画だが、子供の一挙手一投足にハラハラさせられ感動させられた映画は、以前に観たユーゴスラビア映画『抵抗の詩』(1969年)以来のように思う。実話に基づく『抵抗の詩』のような悲劇に終わりませんように、と思いながら観たが、最後は、マラソンで傷付いた幼い少年の足を優しく包み込んで突っつく赤い金魚の画面で終わった。映像の美しさもあって静かな余韻があった。 1997年制作というから、第一次湾岸戦争と呼ばれるイラン・イラク戦争(1980年〜88年)の終わった後だが、今も混沌とする中東情勢の中で宗教対立も激しく政情が不安定な中で国民は貧困に喘ぎ、子供たちはその犠牲になっていたのだろう。マジッド・マジディ監督の名は聞き及んでいたが、初めて見る作品だった。この赤い金魚に、監督は何を象徴したのだろう。
ボロボロに履き潰された一足の子供用の運動靴が主題になるような映画は、日本を初め欧米諸国の映画にはないように思う。 子供とは本来、靴一足で、原題にもあるようにこんなにも一生懸命になれ、幸福にもなれることを、われわれ大人は想い出すべきなのだろう。
ボロボロの靴で思い出したのは、何回目の放送だったか忘れたが、倉本聰原作・脚本のテレビドラマ『北の国から』(1981年〜82年放送)で、純と蛍の兄妹の母親(いしだあゆみ)の葬儀の夜、伊丹十三演じる義父に新しい靴を買って貰い、ボロボロになった靴を靴屋の処分に任せた二人は、その靴は父、五郎が貧しい中にも買い与えてくれたもので、紐が切れると何度も五郎が直し長い間履き続けた想い出の残る靴だったことを思い出し、夜になって二人して靴屋のゴミ捨て場へ探しに行き、通りかかった平田満演じる警官が不審に思って叱責するのだが、純の言葉の端々から事情を察した警官は自らゴミを掻き分け探してくれる場面だった。ボロボロになった靴が感動を呼び、心よりも物に価値を置く大量消費社会を批判するドラマだった。
本作では、9歳の兄アリを演じる子役(Amir Farrokh Hashemian)も、妹ザーラを演じるヒジャーブ姿の女の子(Bahare Seddiqi)も共に可愛く、日本の子役のような芸能界擦れした不自然な演技ではないところも良い。この映画に描かれるような、つましくささやかな家族の幸福でさえ、今のイランにはないのかも知れない。下手に戦争の残虐性を見せられる映画より、こういう地味な映画の方が中東に想いを馳せる心を呼び戻してくれるような気がする。久し振りにしみじみとした感動を味わえた作品だった。