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ウポポイ(民族共生象徴空間)について 継続する植民地主義
一度は行ってみたいと思っているウポポイ(民族共生象徴空間)については、もちろん毀誉褒貶あるとは思うが、歴史のパネル展示では、「遺跡から見た私たちの歴史」「交易圏の拡大と縮小」「私たちの生活が大きく変わる」「現在に続く、私たちの歩み」など、テーマ的に枠組みが設定されているそうで、単純な時代区分は取られていない。これは、13世紀以降を画期とする「アイヌ文化期」という時代区分が流通していることへの批判でもあると思われる。この時代区分の問題は、その時期から初めてアイヌ民族が登場したかのように一般人に錯覚を与えることだと理解している。その意味でウポポイの歴史展示は一定の問題意識に基づいて作成されていると評価することができる。しかし、和人の加害の記述については、「私たちの生活が大きく変わる」というテーマ名自体、かなりオブラートに包んだ言い方で、パネルでどこまで具体的に紹介しているのか気掛かりである。
やはり国立の施設である以上、しかも自民党政権下でつくられた施設である以上、学芸員が自らの学問的、倫理的良心にのみ基づいてパネルを作ることはおそらくできないので当然限界はあると思われる。先ほどのオブラートに包んだテーマ名からも分かるように、和人の来館者の気分を害さないよう極力抑えられた表現で記述されていることは想像に難くない。だからこそ、セトラーコロニアリズムを正面から捉えていない、という批判が実際に起きているし、事実そうなのだろうと推察される。しかも、決定的に問題なのは、アイヌの遺品など本来返還されるべきなのに未だ返還されていない品々を保管する慰霊施設(納骨堂など)、つまり現在進行形のセトラーコロニアリズムを象徴する施設が、本館がある場所から1.4km?1.2km?も離れた場所にあることである。しかもその道中は坂道ばかりで、熊出没注意なんて看板もあって、車がないと行くのは無理だそうである。だから大抵の非アイヌの訪問者には訪れにくい、訪れようと思いにくいような場所にわざわざ作って、負の歴史や現在進行形の悪事を隠蔽するということをやってるわけである。要するに、ウポポイ自体が日本政府にとってはアリバイ的な側面が強いもの、日本政府は先住民族問題に取り組んでいますよということを世界にアピールするためのアリバイに過ぎない。
ふと、米原万里さんの『噓つきアーニャの真っ赤な真実』の一節を思い出した。タイトルにあるアーニャという、ソビエト学校時代のルーマニア人の級友を探し出すため訪問したブカレスクで、世界で唯一のイディッシュ語の劇場があると聞いて、公演を観に行くシーンがあるが、米原さんが「ユダヤ人に対する差別政策を取っていたチェウシェスクの独裁政権が、イディッシュ劇場の存在を認めていたなんて意外ですね」と言ったら、ガイドの青年が一笑に付して「ハハハハ、そういうものですよ、現実は。差別していればいるほど、それを隠蔽しようとするものです。世界で唯一のイディッシュ語の劇場なんて、これほど分かりやすいアリバイはないじゃありませんか」と答えて、米原さんがハッとさせられて自らの表面的な観察を問い直される印象的な場面。
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こういう現実の差別を隠蔽するための文化「利用」というのは常套手段というか、普遍的な現象なのだろう。2019年2月24日に行われた沖縄の辺野古埋め立てをめぐる県民投票の同日、「天皇在位30周年記念式典」において、平成天皇が作った「琉歌」に皇后が曲をつけ、沖縄出身の歌手に歌わせるという文化盗用(cultural appropriation)、文化の簒奪のおぞましい例もあった(琉球新報の記事<乗松聡子の眼>「3・1運動100年と沖縄 脱植民地阻む軍事同盟」を参照のこと)。ウポポイを建てたり、多文化・多民族共生を謳いながらその美名の一方で、遺骨返還をはじめ植民地支配責任を果たす行動には徹底的に後ろ向きであるというあり方も、既視感しかない。
ウポポイ本館ではゴールデンカムイ展なんかも開催されているそうで、集客力はあるのかもしれないが、アイヌが認知されるのにカッコよくて魅力的なものでないといけないのか、とモヤモヤする部分はある。でも問題の入り口としては良いのかも、と思ったり、なかなか一筋縄ではいかない施設である。
5年前の動画で、白老の高台に作られた象徴空間の「慰霊施設」についてアイヌの人々から抗議のニュース映像を見つけた。政府は全国の大学から、盗骨されたアイヌの頭骨をウポポイの「慰霊施設」に集約して保管しているわけだが、地域によって風習も違うのにここに一括集約して何が「慰霊」なのか、しかも大学は研究に必要な頭骨だけ盗んでいったので下肢骨は地域の墓地にそのまま残されている、頭骨だけ白老に集めてそれで「尊厳ある慰霊」なんて言えるのかと。こういう抗議があった2週間後に「慰霊施設」の視察に訪れたスガ首相(当時)は何食わぬ顔で「ここに集約できて良かったですね」と呑天気なコメント。
次は約10ヶ月前の動画。ウポポイの「慰霊施設」で初めて遺骨返還というニュースだが、なぜ墓地がある地域まで持ち運んで返還しない?いかにも国主導の尊厳軽視の植民地責任回避の不誠実極まりない「返還」。盗骨は当時の刑法ですら違法行為なのに謝罪もなし。しかも札幌医科大学で「見つかった」遺骨、とか、遺骨に関して「〜柱」という神道の数え方をキャスターがしていることへの違和感も。遺骨を受け取った恵庭(えにわ)アイヌ協会の会長まで「〜柱」と言っていて残念。盗骨を実行した各大学も遺骨返還で国の方針に協力するなど無責任極まりない。ここにも継続する植民地主義がある。
参考資料:美術手帖の記事「“私はあなたの『アイヌ』ではない”」:小田原のどかが見た「ウポポイ(民族共生象徴空間)」
*以下は、白老の国立アイヌ民族博物館ウポポイ(民族共生象徴空間)の開業(2020)に合わせて北海道の千歳高校の放送局が制作したビデオ『ロウ管は語る』。
川越宗一『熱源』(文藝春秋、2019)にも民族学者ピウスツキは印象的な形で登場する――《「〔サハリン島〕には支配されるべき民などいませんでした。ただ人がそこにいました」/国の形を失った故郷〔=ポーランド〕を、ブロニスワフは思い起こしていた。》(p. 163)