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人類館事件(1903年)における「七種の土人」の「学術展示」

この写真は1958年、ベルギーのブリュッセルにおける「人間動物園」である。アフリカ人の少女が檻から出て見世物にされている。訪れた「見物客」たちは、サルやカンガルーに餌を与えるのと同じようにこの少女に食べ物を与えている。キューバ革命の前年である。戦後になってもこのような展示が行われていたとは驚きである。アフリカ人が展示される「人間動物園」は、少なくとも19世紀のヨーロッパにまでさかのぼる。

遅れてきた後発帝国主義国家日本でも、明治時代の末に政府の殖産興業策の一環として大阪で開催された、日本で初めての万博である第5回内国勧業博覧会(1903年)において、「七種の土人」として、琉球人やアイヌ人や朝鮮人や台湾先住民など、生身の人間を連れて来てパビリオンの中で生活させ、民族衣装を着せて未開の珍奇なモノとして見世物のように展示・陳列した「人類館事件」と呼ばれる事件があった。訪れた見物客は、文明を誇示する博覧会で彼らの「日常生活」を好奇の眼差しで見て回ったが、清国や大韓帝国や沖縄からの強い抗議により、展示は撤去されて、事件は一応の解決を見た。また、このとき、会場の外では、この博覧会の会場建設に際して「細民(貧しい人々)」の居住する長町が移転させられ、釜ヶ崎が形成され始める契機となった。博覧会では「学術展示」と称して、内地に近い異人種とされた人々が「土人」と蔑称され、帝国主義的価値観に基づく序列化と蔑視が行われたが、会場の外では貧しい人々が排除され、生命の不当な価値付けが行われていた。このようなメガ・イベント政治によるマイノリティーの利用と抑圧の構造は、現代のオリンピックにもそのまま継承されている。

参考資料①:東京新聞Web(2023年12月17日)「万博が抱える黒歴史「人間動物園」…120年前の大阪で起きた「事件」と2025年大阪万博の相似形とは」(木原育子)

参考資料②:東京新聞Web(2024年4月22日)「謝罪もせず「研究させろ」とは何事か アイヌ民族と研究者の初対話から考えた「知りたい欲求」が持つ暴力性」(木原育子)

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