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47都道府県PR読書会:岡山

◉「わだつみのこえ」(発行:日本戦没学生記念会)2024.12.23掲載記事「瀬戸内海を未来に引き継いでいけるのか」末田一秀(はんげんぱつ新聞編集長)

◉岡山市渋染一揆資料館
定休日:日曜日、祝日、第2・4土曜日、年末年始(12月29日~1月3日)
※第2・4土曜日の翌日の日曜日は開館、その他休みについて詳細はお問い合わせください。
見学希望日の3日前(土日祝を除く)までに電話で予約後、FAXまたはメールで指定様式の申込書を送付。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/10128?fbclid=IwAR24AQTe7NYJRAXTuDtbU5TvKjrEmWd0XmXxsfDWTpN_iy473vIYoQRkH64_aem_AWyhlLj9BW9sQtyvwm0v6e02oo_XY6Kp27VlbSh6su5TxPOTMNOIN1jZES1h_JNcpDU%20

◉岡田更生館事件
「岡田更生館は戦禍で住居や肉親、仕事を失い、路上生活を余儀なくされた人たちの収容施設で、ピーク時で500人以上がいたとされる。栄養失調や私刑の横行、過剰収容といった環境下で、大人だけでなく子どもまでもが命を落とした。」(記事より)

https://nordot.app/578162331276756065?fbclid=IwAR25N6t76dwWTdzY1fq8YOaiWwmp_o6TosT_rwdSiFSwnfbaIkEV67wcFMg

「岡田更生館事件(おかだこうせいかんじけん)とは、岡山県吉備郡岡田村(現倉敷市真備町岡田)に1946年(昭和21年)12月から1950年(昭和25年)まで存在した浮浪者収容施設・県立岡田更生館で起きた監禁、暴行傷害、殺人事件である。犠牲者は開設から2年余りで76名にものぼった。1949年(昭和24年)2月、毎日新聞大阪本社の社会部記者であった大森実が浮浪者に変装して施設内に潜入し、朝刊社会面で事件を報道、"この世の地獄"として世間を震撼させた。」(Wikipediaより)

◉九津見房子(1890〜1980)
岡山市弓之町(現・北区内)出身の九津見房子は、戦前の日本において社会主義運動と女性解放運動に大きな影響を与えた「赤瀾会」の設立メンバーの一人で、のちに三・一五の大弾圧により投獄され、ようやく刑期を終えて出獄したと思いきや、今度はゾルゲ事件に関わって再逮捕、獄中で敗戦を迎えたという経歴の持ち主。また、九津見房子は1928年に「治安維持法」違反で逮捕されたが、この法律を適用された女性第1号であった。一緒に捕らえられた14歳の娘も、背中にひざを当て髪の毛で吊り上げられ、指に鉛筆をはさみ握られるなど、凄絶な拷問を受けた。この1928年には、「治安維持法」の検挙者数は前年の170倍となり、3426人となっている。そして5年の刑期を終え、九津見房子が出所する1933年にかけて、「治安維持法」による検挙者数は、驚くほど急増していく。というのも、1928年、「改正 治安維持法」に盛り込まれたのは「目的遂行罪」であった。それは、党員でなくとも、共産党の目的を手助けしていると「当局が認定」すれば、罰することができるという茫漠性を持ったものであった。この茫漠性は、現代の「共謀罪」法にも盛り込まれているものだ。九津見房子の生涯を通じて、私たちは「現代への警鐘」を感じ取れるのではないだろうか。
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● 九津見房子、声だけを残し/斎藤恵子著
● 九津見房子の暦―明治社会主義からゾルゲ事件へ/牧瀬菊枝編
● 母と私―九津見房子との日々/大竹一燈子著
● 評伝 九津見房子 〜凛として生きて〜/堀和恵著
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◉縄文とハンセン病者がクロスする岡山県高梁市(旧川上町)の権現谷岩陰遺跡。

考古学から迫るハンセン病 「隔離」「差別」示す遺構 療養所の内外で進む発掘調査
毎日新聞2019年8月19日 東京夕刊
 「考古学」と「ハンセン病」。一見、関連の薄そうなこの二つを結びつけようとする取り組みがある。国立ハンセン病療養所内で発掘調査が行われたり、考古学の学会でハンセン病がテーマとなったり。中心になっているのは国立ハンセン病療養所「栗生(くりう)楽泉(らくせん)園」(群馬県草津町)にある「重監房資料館」部長で、考古学者でもある黒尾和久さん(58)だ。その思いを聞いた。
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 「確かに存在した、ということを確かめられるのが考古学です」。そう話す黒尾さんは縄文時代が専門。かつて東京・多摩地域の遺跡調査会などで発掘調査を手がけたが、古代の土の層の上にある中近世や近現代の層からも人々の生きた証しが見つかると実感した。縁あって2009年、「多磨全生(たまぜんしょう)園」にある国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)に赴任し、発掘でハンセン病に迫る取り組みを始めた。
 確かめる「存在」とは、例えば患者らを隔離するための建造物だ。黒尾さんは13年、楽泉園内の懲罰施設だった重監房の跡地を調査。資料や写真がほとんどない中、食器や南京錠などの遺物は、施設再現のための重要な手がかりとなった。また、16年には全生園で、前身の「第一区府県立全生病院」開設当初(1909年)の堀(深さ約2メートル、幅約4メートル)の遺構を見つけた。「国の政策のもとで『我』と『彼』を隔てた象徴。目に見えるものだけでなく、こうした遺構も文化財的な意味を持つはず」と語る。
 黒尾さんは2016年と18年、日本考古学協会の総会でこれらの成果を発表。今年5月の総会では「『隔離・漂泊・排除』の記憶を掘る-近現代のハンセン病者への考古学的接近-」と題した発表セッションをコーディネートした。
 セッションでの5件の発表の中に、もう一つの「存在」に迫る内容があった。療養所の外で暮らした患者らの姿だ。
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 80年に岡山大が実施した岡山県高梁市(旧川上町)の権現谷岩陰遺跡の発掘調査で、近現代の小規模な炉や埋葬の跡が見つかった。地元住民からの聞き取りで、そこでは大正から昭和初期にかけ村を追われたハンセン病患者らが暮らしていたことが分かった。岩陰に炉などを設け、数人で共同生活を送る人がいたこと、各地の岩陰を移動する人やそこに永住する人がいたことなどが分かり、遺構はその生活痕跡と結論づけられた。
 当時は注目されなかったが、報告書を読んだ黒尾さんが、学生として調査に参加していた東海大の北條芳隆教授に声をかけ、およそ40年越しの発表が実現した。「証言のきっかけは発掘だった。当時を知る人の記憶が遠ざかる中、排除されても確かに生きていた人たちの痕跡を考古学は拾うことができる」と黒尾さんは意義を語る。
 ハンセン病への社会の理解は広がりつつある。だが「被差別部落や障害者、女性などさまざまな差別は今も残っている。なぜ社会は変われないのか、ハンセン病の歴史から学び続けることは大切だ」。黒尾さんは強調した。【花澤茂人】

◉蝶の写真家、難波通孝先生の『岡山の蝶々歳時記』(岡山自然を守る会発行)

◉難波通孝先生の『岡山の蝶』

◉岡山県の自然は素晴らしい。蝶の写真家、難波通孝先生の集大成の写真集『ウスイロヒョウモンモドキⅡ』。何十回も、一つの蝶を追っての執念が集約されている。

◉岡山済生会総合病院の従業員組合の健闘ぶり 組合長・安積昌吾さんインタビュー

◉RSK山陽放送「撤去された岡山駅前のシンボル「ピーコック噴水」が移転先のIPU環太平洋大学へ 新たなシンボルとして【岡山】」

◉岡本太郎の陶壁画『躍進』
JR岡山駅の1階「タローズスクエア」に。1972年(昭和47年)3月15日の山陽新幹線岡山開通の時、この位置が、中央改札口入りにあった。

岡山駅から、完成間近のRSK新社屋・玄関前(ピロティ)に移設。

◉NHKのBSで放送中の旅番組『にっぽん縦断 こころ旅』で14年間にわたり“旅人”として全国各地を回った火野正平さん追悼のビデオ。こころ旅で吉井川に架かる万富鉄橋を訪れた時のことが取り上げられていました。この番組は初めて知りましたが、その場所に想い出のある視聴者の手紙をその場で読み上げるということを毎回されるのですね。こころ旅の番組名の通りハートのある番組ですね。

◉芝を焼く美しき火の燐寸かな
―中村汀女―
俳句で「芝焼く」「芝焼」「芝火」は初春の季語です。
例年、岡山後楽園では、園内に広く敷かれた芝生地(約1.8ヘクタール(約5,500坪))を順番に焼いていく「芝焼き」が行われます。日本で古くから行なわれている芝焼きですが、何時でも出来る理由ではありません。芝焼きの時期は高麗芝などの暖地型芝が休眠する時期に限られます。そのため、芝焼きは新芽が出る前の2月頃が適した時期ということになります。芝焼きをする理由は大きく二つあります。ひとつは芝カスがふかふかに堆積したサッチ(表層土壌にたまったゴミ)層を取り除くため。そしてもうひとつが芝生の表面にいる病害虫や雑草の種子を除去するためです。この芝焼きをすることで約1週間程度芝生の芽吹きの時期が早まる効果もあるそうです。このように、芝焼きには雑草や害虫の除去だけでなく、水はけや風通しのよい弱酸性の土壌に変えることで、新芽が成長しやすい土壌を作っている一助になることが分かります。昭和40年から毎年行われている行事で、園内の芝生の大部分を鶴鳴館前から順番に松明で焼いていきます。冬枯れで黄金色になっている芝が、炎とともに漆黒へと変わって行く様は、春を迎える準備として早春の風物詩となっています。岡山後楽園の芝焼きは、今年は2月5日の13時~15時頃に行われます。なお、当日が強風や雨天などの場合、又は前日の天候により芝焼きに支障がある場合は、2月7日(金曜日)に延期されるとのこと。
参考までに芝焼きの手順は以下の通りです。
1.水を撒く:芝焼きする範囲外に散水して燃え広がりを防止します。
2.サッチを起毛させる:レーキや熊手でサッチを起毛させます。芝焼きする範囲のサッチをすべて起毛させておくことで火の回りが良くなります。
3.芝生の表面を焼く:ポイントは風下から炙るように焼きます。風上から焼くと火が風にのって辺りに燃え広がるため、風下から焼いていくのがベターです。
4.火を消して完了:汲み置きの水を芝生にまんべんなくかけます。 — 場所: 岡山後楽園

◉2024/10/20の朝日新聞GLOBE特集は「光害」
米アリゾナ、フロリダ、パリ、岡山県美星町などの現場から、天文学、生態系、人間の健康など光害の影響を3ページにわたって詳しくまとめられています。とてもすてきなデザインの紙面。

◉岡山在住の人には広く知られている居酒屋「成田家」。その店の名物に「湯豆腐」があります。

◉テレビ朝日系『飛んで見にいく謎の島』
1月12日放送(後7:58~8:56)で倉敷市の島が紹介されます。

◉倉敷市広江にある昭和の雰囲気漂う純喫茶「ニューリンデン」。先代オーナーの高橋彪さんは郷土史家としても有名でした。岡山大准教授の岩淵泰さんがコラムで案内します。
水島のニューリンデンを訪ねて(上) 昭和の純喫茶を楽しむ

https://www.sanyonews.jp/article/1168621

◉玉島円通寺・良寛産史跡を歩く
毎年、1月に行っている歴史勉強会「良寛産史跡を歩く」ゆっくりのんびり、良寛さんの魅力は何だろうかを話し合いながら、ご一緒に歩いてみませんか。詳細はPOPをご覧ください。
NPO法人備中玉島観光ガイド協会 「玉島歴史勉強会」

◉巌谷小波の書や写真 玉野の民家に 児童文学先駆者 口演活動で滞在か:山陽新聞デジタル|さんデジ

◉『ウルトラマンA(エース)』第16話「夏の怪奇シリーズ 怪談・牛神男」(1972年)
「牛窓伝説」を元ネタにした牛神男登場の岡山ロケ編

◉1955年に岡山で生まれ,中・高時代地元で陸上選手と活躍した志穂美悦子さん,16歳のとき憧れのアクション俳優だった千葉真一が主宰する「ジャパンアクションクラブ (JAC)」に合格。その後翌73年に放送された特撮ヒーロードラマ『キカイダー01』で,人造人間ビジンダーに変身するマリ役に抜擢され、健康的かつセクシーなアクションで虜にされました。その後『女必殺拳』シリーズなどで“女ドラゴン”として日本列島を席巻し劇中のアクション・シーンをスタントなしで演じた日本初のアクション女優でした。


◉中川智正元死刑囚の岡山大学教育学部附属中学時代の同級生である著者が面談記録と裁判記録から明らかにした真実とは、突如襲ってきた解離性障害に抗う術もなく、麻原と同一化しあやつられていく中川氏の姿だった。『オウム真理教事件と解離性障害――中川智正伝』からもう一度事件を見直してみたい。

◉岡山在住の納豆大好きライターのYoshiさんによる、赤磐市にある足腰のケガや病気にご利益がある「足王神社」の紹介記事。

◉きび田楽

  ***岡山を取り上げた番組***

◉NHK総合1『@(あっと)okayama』「命輝く蒜山の夏」2024/12/13(金)再放送

命輝く蒜山の夏
初回放送日:2024年10月12日
岡山県北部の森と草原が広がる高原地帯、蒜山(ひるぜん)。初夏、森の中の池では、モリアオガエルが水辺に張り出した木の枝に群がって産卵を始める。草原では、絶滅危惧種のフサヒゲルリカミキリがユウスゲの茎をかじって傷をつけ、その中に卵を産み付ける。そして、蒜山の自然を長年にわたり守る人々や、自然の恵みとともに暮らす住民の姿も。3か月間の取材で記録した貴重な映像で、蒜山の高原地帯で輝く命の営みを伝える。



・OHK岡山放送『金バク!』[岡山市出身のモノマネ女王・荒牧陽子と岡山市東区西大寺周辺でお宝探し!]2024/12/13(金)放送

◉NHK総合1『@(あっと)okayama』「小さな旅 船とともに 岡山県瀬戸内市牛窓町」2024/12/20放送

◉吉備人出版30周年

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