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【ことばplus3】戸坂潤『日本イデオロギー論』の有名な一行:「日本をニホンと読むのは危険思想だそうだ」

『日本イデオロギー論』は戸坂潤の主著として名高いが、鶴見俊輔がこの著作に出会った時、戸坂潤の「日本をニホンと読むのは危険思想だそうだ」という一行に驚きを受けたことはよく知られている。

右翼は総じて「日本」を「ニッポン」と読むが、今でも政治家やNHKのナレーションは執拗にニッポン、ニッポンと繰り返し、テレビの番組名にも「ニッポン」と付くものは多い。戦前は「二ホン」という呼称自体が、「ニッポン」という呼称を押し付ける力への対抗思想としてあったということだろう。

 「日本」の読み方をめぐる問題については、法学館憲法研究所のwebサイトで浦部法穂さん(法学館憲法研究所顧問)の記事がまとまった考察をしているので以下に転載する。

 国の名前として「ニホン」ではなくあえて「ニッポン」というとき、そこには、「日本」は大国だ、強国だ、という意識が込められることが多い。かつて、「大日本帝国」は「大ニッポン帝国」と発音されることが多かった。まさに、アジアの大国、強い国「ニッポン」をあらわしていたのである。しかし、それでも、この時代にあっても「ニホン」という読みが国民のあいだからなくなったわけではなかった。だからこそ、1920年代の終わりから30年代初めにかけ、日本が大陸への侵攻を強めていった時期、「強い日本、正しい日本は、『ニッポン』であるべきだ」として、「日本」の国号を「ニッポン」に統一せよという動きや、さらには「ジャパン排斥運動」つまり対外的にも「ニッポン」とすべきだという運動などが、国家主義者、軍国主義者たちからわき起こったのであった。

 こうした動きをうけて、1934年3月、まさに「満州国建国」のそのときに、日本放送協会(NHK)は、「日本」の読み方について、「放送上、国号としては『ニッポン』を第一の読み方とし、『ニホン』を第二の読み方とする」旨の決定をした。そしてさらに、その直後には、文部省の「臨時国語調査会」が「今後、ニッポンに統一する」旨、決議した。ただし、政府としてこれを採択したわけではなく、「ニッポン」への統一が公式に確定されたということではないが、国号としての「ニッポン」という呼称が、こうした国家主義・軍国主義的な動きに連動して、放送や教育をつうじて広められていったことは、記憶にとどめられるべきである。

 その後、時代は下って戦後、「日本国憲法」制定の際に、やはり「ニホン」か「ニッポン」かの議論が起こったが、当時の金森国務大臣は「ニホン、ニッポン両様の読み方がともに使われることは、通念として認められている」と述べて、どちらかに統一することは避けた。一方、1965年に郵便切手にローマ字で国名を入れることになったとき、郵政省の「NIPPON」案が閣議で了承されたが、政府として国名呼称を統一する決定はなされなかった。そして、2009年に麻生内閣は、民主党議員の「今後、日本の読み方を統一する意向はあるか」との質問主意書に答えて、「『ニッポン』、『ニホン』という読み方についてはいずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」と述べた。

 この間、しかし、NHKは、1951年に、あらためて「正式の国号として使う場合は『ニッポン』、その他の場合は『ニホン』と言ってもよい」旨の決定をし、以後NHKの番組では、忠実にこれが実行されている。NHKの放送を注意深く聴いていると、意識的に「ニッポン」と言い「ニホン」を排除していることに気づかされる。そしてまた、安倍首相も必ず「ニッポン」である。安倍首相だけでなく、自民党筋や「右翼」のほうは、「ニッポン」派が優勢であるように見える。「ニッポンを取り戻す」という標語は、まさに大国「ニッポン」、強い国「ニッポン」を取り戻すという意味合いを含んでいるのであり、安倍首相や自民党筋、「右翼」のほうから聞こえる「ニッポン」という言葉は、こういう国家主義的な色彩を色濃くもっているのである。彼らが「取り戻し」たいのは、往年の「大ニッポン帝国」なのだ、と言っても過言ではない。数年前にテレビ朝日が行った世論調査によれば、国名としての「日本」の読み方は、「ニホン」派が69%、「ニッポン」派は31%で、「日本人」、「日本語」となれば90%以上が「ニホン」と読んでいる。このように、国民のあいだでは「ニホン」派が圧倒的に多いという状況のなかで、NHKは、あえて「ニッポン」を正式の読み方とし、これでもか、これでもかと、「ニッポン」を氾濫させることによって、上記のような「ニッポン・イデオロギー」を拡散する役割を営んでいるのである。

 そして近年、この現象はNHKだけでなく、他の民放や雑誌などにも広がっている。

最近、NHK特集「散華の世代からの問い~元学徒兵 吉田満の生と死~」(1980年)を視聴した時も、番組の内容は別として、この一本の番組中にアナウンサーのナレーションで、何十回とニッポン、ニッポンと執拗に聞かされたことは大変に耳障りで、この上なく不快であった。ここまで露骨に繰り返されたんでは、番組の内容に集中できないほどであった。


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・爆笑問題のニッポンの教養 「“ニッポン”を疑え~日本思想史 子安宣邦~」2008年10月20日(月)放送

・「君が代」について。そもそもの日本古謡では「君」に「君主、天皇」の意味はなかったのか。古今和歌集の次の句の解釈が問題になるようだ。

我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで

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