『日本イデオロギー論』は戸坂潤の主著として名高いが、鶴見俊輔がこの著作に出会った時、戸坂潤の「日本をニホンと読むのは危険思想だそうだ」という一行に驚きを受けたことはよく知られている。
右翼は総じて「日本」を「ニッポン」と読むが、今でも政治家やNHKのナレーションは執拗にニッポン、ニッポンと繰り返し、テレビの番組名にも「ニッポン」と付くものは多い。戦前は「二ホン」という呼称自体が、「ニッポン」という呼称を押し付ける力への対抗思想としてあったということだろう。
「日本」の読み方をめぐる問題については、法学館憲法研究所のwebサイトで浦部法穂さん(法学館憲法研究所顧問)の記事がまとまった考察をしているので以下に転載する。
最近、NHK特集「散華の世代からの問い~元学徒兵 吉田満の生と死~」(1980年)を視聴した時も、番組の内容は別として、この一本の番組中にアナウンサーのナレーションで、何十回とニッポン、ニッポンと執拗に聞かされたことは大変に耳障りで、この上なく不快であった。ここまで露骨に繰り返されたんでは、番組の内容に集中できないほどであった。
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・爆笑問題のニッポンの教養 「“ニッポン”を疑え~日本思想史 子安宣邦~」2008年10月20日(月)放送
・「君が代」について。そもそもの日本古謡では「君」に「君主、天皇」の意味はなかったのか。古今和歌集の次の句の解釈が問題になるようだ。
我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで