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くたばれ、正論。

おはようございます。

朝から仰々しいタイトルのnoteを書いていますが、、、これは紛れもない企業の広告コピーです。

レッドブルの公式Webサイトには価格改定をお知らせが載っていました。

2021年は、より多くの人へエナジーを!
レッドブルは、「より多くの人へエナジーを」をテーマとして、2021年2月1日より、「レッドブル・エナジードリンク」他、下記商品の希望小売価格を改定致します。これにより、2021年はより多くの方々へエナジーを届け、皆様にとってこの新しい年が大きな飛躍のときになるよう、注力致します。
様々な逆境もある現代ですが、どんなことにも情熱を持って取り組む人たちをより強く支援し、日本の様々なシーンに翼をさずけるブランドになりたいと考えております。

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“タダ”で値下げを伝えないコミュニケーション

事実だけを抽出するのであれば、レッドブルは2021年2月1日より価格改定(値下げ)をする、というもの。

ただし、レッドブルは単なるニュースリリースに終わらせずなぜ価格改定を行うのか” “どんなメッセージを伝えたいのかをダイレクトに伝える手段をとりました。

通常の企業であれば、

価格改定しました

よりお求めやすくなりました

お近くの販売店まで

といった事実を大きく伝えるコミュニケーションとなるのですが、レッドブルが本日(1月11日付)に読売新聞に載せた広告には、価格改定をしたことは一切載っていませんでした。

↓実際に読売新聞の中面30段に載っている広告はこちら

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くたばれ、正論。
この世の行き過ぎた正しさが、君の美しいカドを丸く削ろうとする。正しすぎることからは、何も生まれない。常識を積み重ねても、所詮それは常識以外の何物でもないから。自分の感受性を守れ。自分の衝動を守れ。自分の中のバカを守れ。本当が面白いと感じる方へ動くんだ。まっすぐ、愚直に、大きく行こう。


より多くの人へエナジーを。

何度見ても完璧で、それでいて胸の奥まで突き刺さるような重く、力強いショットガンのような言葉たち。

結局、レッドブルが1番伝えたかったのは“価格改定”ではなく、“多くの人に翼を授けること”、それはつまり多くの挑戦を応援することではないかと思います。

価格改定は“手段”であり、目的ではない。本来の目的は多くの挑戦を応援する存在になること。だからこそ、飲み手にはエナジーが必要。より多くの挑戦者を応援するために価格改定に踏み切った、という流れ。

私自身もDEの牧野さんが掲げているブランドジャーナリズム(企業が意志・美意識を持ち、社会に対して批評を投げかけることで、ブランドのストーリーをファンと共有するコミュニケーション)がもっと日本に広まればいい、広めていくんだと感じていますが、そのアクションをレッドブルが体現しています。

↓去年、私が実践したウェビナー
ブランドジャーナリズムは“カネ”になるのか?


地方でもブランドジャーナリズムを浸透させていく

昨年の12月にNIKEが人種差別問題をテーマにCMをつくり、炎上したことは記憶に新しいかと思います。

(本文より)
日本人とアメリカ人の両親を持つジャーナリストのモーリー・ロバートソン氏は、「多くの日本人は、外からやり方を変えろと言われるのが好きではない」と説明する。

「しかし、外国人が日本文化や日本のルールに深い造詣を持っていると、それまで攻撃的だった人もあっという間に称賛する方に回る」

「Surfing the Asian wave: How to survive and thrive in the new world order(アジアの波に乗る 世界の新秩序の中でどう生き抜き繁栄するか)」の著者スティーヴ・マクギネス氏は、この広告はナイキの「オウンゴール(自殺点)」だと指摘した。

「地域的な人種差別は、どんな文化でも繊細な話題だ。ナイキは、外国企業がその国の人種問題を指摘する立場にあると思うべきではない

ナイキは、多くの日本人が『立ち入り禁止』だと思っている場所に、露骨なスポットライトを当てた。これはナイキの大きなオウンゴールだ


どうして日本人が怒ったのか?というと、「アメリカ(NIKE)に自分たちの国の人種差別問題をとやかく言われるのが嫌だった」というなんとも“本質とはズレた”感情論を持ち出しているからだと考えています。

ここで語られていないのは“人種差別は本当にあるのか” “それはなぜか” “どのようにして人種差別問題と向き合っていくのか” といった、NIKEが本来議論をして欲しかったこと、それが一切議論されず、“よそはよそ、うちはうち”といった日本特有の村社会のルールを持ち出して、表向きは「炎上」と謳うことでバリアを張り、聞く耳を持たなくなってしまったことに大きなクエスチョンを持ちます。

さらに、村社会が今もまだ強く残る地方において、ブランドジャーナリズムはある種の異文化であり、歓迎されるものではないことは心得ています。一方で、地方がこのままの状態で今の時代を生き抜くことができるか?というと、答えは明白、Noです。

私は、今の地方の課題をブランドジャーナリズムが打破する可能性を秘めていると強く信じています。そして地方に浸透させる準備・実践も粛々と進めています。

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まずは市場・広告の理解がベースにあります。ここがないとトンチンカンな広告訴求になってしまうため、基礎理解が必要です。

ここからが難しいのですが、、、当事者意識・社内調整力・実行判断力。これらが備わらないとブランドジャーナリズムは世に出てこないのではないかと思います。

会社の想いが先行するだけではダメで、そこには社会課題に対する企業としての回答がある必要があります。さらに社内での立ち回り、根回しも必要となるでしょう。そして最後はコンプライアンス面。人事総務や広報、最後は社長を含めてリスクテイク面でジャッジを得なければブランドジャーナリズムは世に出ることはありません。


レッドブルに勇気をもらいました。本当にありがとうございました。

私も私自身の感受性を守り・衝動を守り・バカを守ります。本能が面白いと感じる方にアクションし続けていきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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