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感じ方で成長を知る話と、発する話。
昔、イマイチだった映画が、なんの気無しに今観たらめちゃくちゃ良かった、とか、めちゃくちゃカッコよくって憧れてた人の写真が出てきたから改めて見たけど、あれ?こんな感じだったっけ?とか。
同じものに対して、時間が経つと感じ方が変わること、ありますよね。
自分の感覚や思考は、経験によって培われるものだから、自分の人生経験や知識が増えれば自ずと、物事の受け取り方にも変化がでて当然。
本(映画でも写真でもなんでもいいんですが)を再読して、新たな面白さに気づくことが、自分自身の変化に気づく小さなきっかけだったりもします。
既知のものから、なにか新しいものを見つけるという変化を楽しみつつ、どんな経験が、この新しい気付きにつながったかを考えてみる。
それもまた楽しいような。
当然のことを書いちゃいますが、あの時観た映画も、あの時聴いた音楽も、あの時投げかけられた言葉も、そこに事実として存在したその瞬間から、何も変化していない。そして自分が発した言葉も。
変わるのは自分の感覚だけ。世の中にいる、沢山の「自分」が変わることで、ものの一般的な価値や受け止め方が大きく変わるということですよね。
過去を振り返って、鉛筆のように消せるなら消したい言葉もあるでしょう。
でも、一度発してしまった言葉は、補足を付け加えることは出来ても、ゼロには出来ない。
あなたの思いを形にしようとした時、音になり、文字になり、映像になり、誰かの記憶になり、どこかに存在し続けます。
SNS、ブログ、podcast...今は色んなステージで誰もが簡単に自分を表現できる時代。
言ったことに責任を持つべき、とは断言出来ません。皆、変化し続けるし、誤ることもある。
ただ、伝えることの気軽さが増しても、発するものの意味や重みは変わらず存在していて、むしろ気軽さゆえに、より強くそれを心に留めておくいた方が良いなと思っています。
何でも発することが出来るからこそ、
どう発するか
何を発しないか
とかも考えてみる時期なんじゃないかなと。
私自身が何でも発しちゃってスッキリするきらいがあるので、その辺、自分に言い聞かせながら書いています、今(笑)