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思い出20  HPLC国際学会への参加とポスター発表

私が入社した頃は、海外輸出はほとんどありませんでした。
しかし、1987年に上市したHPLCカラムC18-2シリーズは、弊社として初めて海外で認められた製品となりました。
1994年には、海外売上が会社全体の1%を超えるようになり、1995年には新たなHPLCカラムC18-3シリーズが追加発売され、その後毎年、海外販売は大きく伸びます。
2010年頃には売上の5%を、2020年には10%を超えるまでになりました。
私はその開発に従事し、製品が海外で高評価を受ける状況を体験しました。
その結果、様々な海外展示会にも参加させていただきました。
前回のNOTEでは、その展示会での経験について書きました。
国内展示会では、訪れたユーザーに対して直接アピールすることが主な目的ですが、国際展示会では主に代理店へのアピールが目的となります。
各国の代理店がユーザー訪問を通じて製品を売り込むという流れです。
一方、どのカラムを使用するかを決定する技術的に優れたトップユーザーは、常に最新の情報を得るために国際学会に参加します。
彼らは文献なども日々チェックし、最新情報を収集しています。
当時はインターネット検索が存在しなかったため、紙の文献や学会誌、要旨集を取り寄せて直接見るか、学会に直接参加して情報を得るしかありませんでした。
したがって、学会は重要な情報交換の場になり、学会への参加や発表はユーザーへの大きなアピールとなります。

HPLCカラム関連の国際学会で最も権威があるのは、International Symposium on High Performance Liquid Phase Separations and Related Techniques、通称HPLC(開催年)で、年に一度開催されます。
世界中の観光地を転々としながら、4日間ほど続けて行われます。各メーカーによる展示ブースも併設され、多数のランチョンセミナーも開催されます。
全世界のHPLC関係者が集まる、年に一度のお祭りのようなイベントです。

辞めてしまったHA先生も毎年参加されていましたが、私が初めて参加したのはHPLC1996 in サンフランシスコでした。
学術会議であり海外部は参加せず、私と入社2年目のTA君の二人だけの参加でした。
英語が話せない二人による珍道中でしたが、サンフランシスコは日本人観光客も多く、日本語が通用する店も多かったため、市内ではまったく苦労しませんでした。

当時、海外で学術発表を行うことで名前を知らしめるという目的の製薬会社も多く、若い開発者が発表を兼ねて家族連れで参加することもよくありました。
参加料は登録時期によって8万円から15万円と幅があり、学生の早期申し込みでも4万円程度になります。
研究・開発者にとっては年に一度の集大成の発表の場であり、全世界のHPLC権威が集まるため、いつも盛況です。
ポスター発表と口頭発表が連日行われ、大小5カ所くらいの会場で並行して行われるため、聴講スケジュールを作るのは結構大変です。
発表はすべて英語で行われ、要旨集と発表スライドを見ながら真剣に聴いていると何となく理解できますが、午後には疲れて集中力が切れてしまい、ほとんど頭に入らなくなることもありました。
また、多くの発表が行われるため、中には発表が中止になる場合もありました。その間、最新の情報交換を行う座長さんもいて、英語なので全部は理解できませんでしたが、ためになる話が飛び交っていました。
学会の雰囲気を十分に味わうことができました。
英語がダメな私には、口頭発表は不可能で、ポスター発表で参加することになります。
A3サイズの掲示ポスターを10枚と、表題と発表者名が印刷された帯を持参しました。これらを筒状のポスターケースに収め、持ち運びましたが、かなりのかさばりでした。
会場では、横1.8メートル、高さ1.2メートルの石膏ボードが並べられ、ポスターをピンで固定します。その際、アスベストが含まれていたかもしれないということもありますが、ピンは会場で用意されていると聞いていました。
しかし、ピンは争奪戦になっており、持参して正解でした。
初めての経験で、普通のA3用紙にカラーコピーしたポスターを使用しましたが、周囲の参加者は光沢紙やパウチ加工されたポスターを使うなど、より見栄えや耐久性に配慮していました。
実際に貼り付けてみると、普通の紙ではピン穴が広がってしまいピンと張る事が出来ない事に気づきました。
近くの店でセロテープを購入し、ピン穴を補強しました。
現在では、A1サイズ程度のポスターを外注で作成し、破れにくい光沢紙に印刷し、ラミネート加工するという手法を使うようになっています。
1万円以下で、翌日には出来上がるので、自分で印刷したり、貼ったりする手間を考えると圧倒的に便利です。
見た目も良く、貼り付けも簡単になりました。
ポスターは、朝から晩まで一日中展示され、いつでも閲覧可能ですが、撮影は禁止されています。
特定の時間帯にポスター横で説明する「ポスターコアタイム」が設けられており、1~2時間ほどの時間が割り当てられます。
質問がある参加者は、この時間帯にポスター発表者に直接聴くと言う形になります。
ポスターコアタイム中は、口頭発表は行われなわれません。さらに、ベストポスター賞の審査員もこの時間帯に回って賞を決めます。
最優秀賞は、翌年のHPLC国際学会に、招待と言う事で、航空運賃を含めた旅費・宿泊費を全額学会側が持つと言う事でした。
ちなみに、先生方の招待講演の場合は、現地での宿泊費は、学会側が支給していました。
また、多くの場合、メーカーは別途A4サイズの資料を作成し、配布するか、資料請求カード入れを用意して、カタログといっしょに資料を送ると言う形でした。
初めてのサンフランシスコでは、このような知識がなかったため、資料の用意や名刺入れの準備をしていませんでした。
急遽、紙袋を用意して名刺入れとして、貼り付けました。
ポスター発表のコアタイムでは、約10人と名刺交換しましたが、ほとんどが日本人で、日本の医薬品会社の方々でした。
また、資料請求カードと名刺を合わして、約40人枚程からの請求がありました。
帰国後、ポスターから公開可能な情報を抜き出し、配布用の技術資料を作成しました。
海外向けのカタログも同封して、海外部門を通じて送付してもらいました。
これが商談に繋がったかは分かりませんが、ポスター発表は成功裏に終了しました。
メーカー発表では、新製品のカタログを使用して、展示ブースに誘導する形で、ポスター発表を活用していました。
結局、国際学会で効果的に広告するためには、展示ブースへの出展が必要不可欠であると痛感しました。
3年後のHPLC 1999 スペイングラナダで、初めて展示ブースを出展されます。
私を含めて、海外部1名、品証1名、開発2名の4人で参加しました。
当時はJAL全盛時代で、航路は羽田-パリ-マドリード-グラナダでした。マイレージの普及期で、全員が入会しました。
搭乗手続きに手間取り、お詫びとして全員ビジネスクラスに格上げされました。
座席は今のビジネスクラスとは異なり、ファーストクラスに近いものでした。
食事は、フルコースではありませんが、エコノミーで出される箱弁と違い、皿に盛られた3品ぐらいのセット料理でした。
そして、なんと言っても、高級そうなシャンパンやワインなどが飲み放題です。
庶民の私たちは、種々頼んで、片っ端から飲み続けて、12時間の豪華宴会を楽しみました。
天国のようなフライトでした。
HPLC国際学会は、初日の午前中に開幕イベントが行われ、スペインの場合はフラメンコが披露されました。
ちなみに、サンフランシスコの時は、なぜか、凄くケバケバしい獅子舞で、後で聞いたところチャイナタウンでの旧正月祭りの再現と言う事で、納得できました。
出展メーカーはその間にブースの準備を行い、午後から通常の学会が始まります。初日は特別講演が多く、ポスター発表はないので、時差ボケの克服や観光に時間を使います。
ヨーロッパの場合、時差ボケなしで楽しめることが多いですが、帰国後に時差ボケが出ることもあります。
グラナダではシエスタで店が閉まるため、昼食を取るのが難しくなります。
そこで、HPLCグラナダでは無料のバイキング昼食が提供されました。スペイン料理は素材を大切にし、繊細な味わいで、日本人にも好まれる料理が多かったです。

また、ガイドブックには載っていない地元の普通の店で、地元のお酒を飲めば、日本の5分の1以下の料金で十分飲食を楽しめて、すべて美味しかったです。
当時、スペインの物価が安かったので、学会で昼食の無償提供ができたのだと思います。
国際学会は観光地で、行われるので、展示場近辺の飲食店は、高価で足が出ると良く聞きます。
その意味で、無料と言うのはラッキ-でした。
ちなみに、サンフランシコの時には、会場が中心街にあったので、マック、キングバーガー、ケンタッキーと何でもあり、日本食も結構あったので、まったく苦労しませんでした。
また、グラダナには、なぜか、日本人在住者が多く、日本語が通じるお土産店や飲食店もたくさんあり、夜も気軽に楽しめました。
HPLC国際学会では、出展メーカーと先生方との懇親会が開かれます。当然、費用はメーカー持ちの接待になります。
グラナダでは、チャーターバスでアルハンブラ宮殿に行き、見学後、その近傍でメーカー懇親会が行われました。
スペインワインと多彩な小さなオードブルでの懇親会は、とにかく美味しかったです。
サンフランシスコの時は、ブースは出していなかったので、初めての経験になりましたが、十分楽しめました。
ただ、英語で話し掛けられるので、すぐに酔いが回ってしまいます。
途中から、二つ返事で内容はまったく頭に入ってこなくなりましたが、お祭りの雰囲気だけは、十分に味わえました。
また、公営バスで20分ぐらいの郊外には、移動遊園地が設置され、一晩中あちらこちらで、フラメンコが踊られていました。
毎年開かれる現地では有名な祭りらしく、投票で優勝者を決めているようでしたが、良くわかりませんした。
フラメンコも凄いですが、ギターとアカペラでの生独唱は、その迫力に圧倒されました。
あちらこちらで繰り広げられるフラメンコショーが楽しく、お客との会食が無ければ、時間を忘れて入り浸り、毎晩ホテルに帰ってくるのは、午前様でした。
HPLC1999 in Granadaは、本当に楽しい学会でした。
ポスター発表やブース展示も無事に終わり、帰路に就きましたが、帰りに事件が起きました。マドリードからパリへの飛行機が遅れ、パリから日本への予定のJALに搭乗できず、置いてけぼりをくらいました。
預けた荷物は、トランジットで先に羽田に飛んでいきました。
別会社への搭乗飛行機変更をJAL側で検討したのですが、結局、翌日の夜のフライトのJALに変更になりました。
結局は、別会社への変更に伴う費用よりも、宿泊代の方が安いと言うJALの結論だったようです。
当然、JALからは宿泊場所と夕食代が提供されましたが、荷物はすでに日本に飛んでいるので、手荷物だけで過ごさなければなりません。
日本とは違い、部屋のアメニティは充実していませんと言うか、タオルとバスタオルだけでした。
宿泊が決定したのは、午後10時過ぎだったので、店屋も開いておらず、日用品も購入できません。
私の場合、歯ブラシセットとフェースタオルセットと靴下を手提げにいれいたので、問題ありませんでした。他の人達は、フロントに掛け合ったり、種々行っていましたが、最終的にどうなったか不明です。
夕食代も普通ならば問題無い金額が支給されるのですが、夜遅いため、宿泊するホテルのレストランしか開いてなく、食事代が高価で、支給された金額を超えてしまい、結局、赤になり自腹での追加で払いました。
行きでは、あんな良い思いをさせてくれたJALに、皆は頭に来ていましたが、良日の出発は夜遅かったので、丸一日時間が空きました。
翌日の昼食も、飛行場内または指定ホテルならばJALから提供されるのですが、それは諦めて、パリ観光をする事にしました。
1万円ぐらいあれば、十分だろうと、ホテルでフランに両替して意気揚々とパリ観光に行きました。
パリまでは、電車で30分ぐらいでしたが、運賃が高く往復で約9000円かかり、手元に1000円程度しか残りませんでした。
当時は、今ほどカードが普及されておらず、高級飲食店以外は現金と言うイメージでした。
お金がなく、どこにも入れず、ベルサイユ宮殿、ルーブル美術館、モンサンミッシェル修道院など、外観を観光するだけでした。天気が良く絶好の散歩日和と言うのが唯一の救いでした。
結局、モンマルトルの露店で、サンドイッチを買って食べただけでした。
今思えば、40歳の昭和オヤジ4名が日本語で馬鹿を言いながら、パリの街を観光している姿は滑稽だったと思います。
帰りの飛行機になりますが、行きと違い超満員で、席指定もできず、皆バラバラで、雲泥の差でした。
予定より、2日遅れの帰国になりましたが、色んな意味で楽しめました。

当時、HPLC国際学会では、ポスター発表を行った場合、Journal of Chromatography Aへの論文投稿ができるシステムがありました。
通常は、投稿論文を専門雑誌出版社に送り、エディターにより論文の採否判断がされます。全世界の権威ある先生方がエディターに選ばれています。
投稿が難しいとされる、権威ある年間10万円の購読料のAnalytical Chemistry、さらには、年間60万円の購読料がかかるJournal of Chromatographyなどの専門雑誌があり、エディターは無償で購読できます。
これが一番の利点になります。
私も、エディターであったHN先生が辞めた時に、引き継ぎ一度だけエディターを行ったことがありますが、かなり細かくチェックして、重要な判定をする必要があり、英語ということもあり、手間が取られるので、一度切りでその後は断りました。
雑誌によって異なりますが、5名程度のエディターによってジャッジされ、その結果で論文投稿の採否が決まります。
投稿者には、エディターの名前が伏せられ、採否評価などが送られてきます。拒否された場合も、修正して再度申し込みすることもできますが、普通はハードルの低い別の雑誌への投稿に回します。それに対して、HPLC国際学会でポスター発表した場合では、会場で投稿原稿を渡すだけで、採否審査が優先的に行われ、HPLC国際学会特集号に掲載されます。論文化のハードルも低くなります。
サンフランシスコHPLC学会参加以後、弥次喜多の二人でも問題なく、ポスター発表ができたので、ハードルが下がり、だれでも、学会発表ネタがあれば、HPLC国際学会に参加発表できるようになりました。
毎年、数名が海外学会で発表するようになりました。
しかし、コロナの蔓延があり、ここ数年は、国際学会に参加していないようです。
WEBでの配信も行われるようになり、それでも十分な情報を得られ、効率的になっています。しかし、実際のアクシデントや会場雰囲気も含めて肌で感じた感覚は、良い思い出になり、自分の宝になると思います。
何でもWEBで進められるようになり、便利にはなっていますが、寂しさも感じています。

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