【解説編】#37「願い」

 詩をあげてから【解説編】をあげるのに随分かかってしまいました。何をどう書くべきか、なかなか気持ちがまとまらず。この詩# 36【解説編】にさらっと書いておきましたが、2歳で亡くなった弟の事を想って書いた詩です。

 弟が亡くなってから、ずっと弟の事を考えていました。四六時中というわけではないけれど、それでもどこかでいつも考えていました。弟はどうして亡くなったのだろう?とか、弟はどういう気持ちで亡くなったのだろう?とか、弟は幸せだったのだろうか?とか、弟は死んだ後も元気かな?とか、幸せになったかな?とか、生まれ変わったのかな?とか、弟の分まで頑張って生きなきゃな、とか、弟にもっと優しくしてあげれば良かったなとか、人が死んだときに考えるであろう、ありとあらゆる事を考えて大人になりました。

 この詩を書いたのは20歳を過ぎた大学生の頃ですが、おそらくそれまで考え続けた弟に対するありとあらゆる想いを詰め込んで書けたので、自分ではおそらく今でも今まで自分が書いた詩の中で1番気に入っているし、傑作だと思っています。心の中に刻み込まれているけれど、文言を思い返すだけで胸がいっぱいになって泣けてきてしまう…。そして、これが書けた事で、自分の中でずっと抱え込んで来た事から解放された気がしています。

 そんな風に、わたしが書いた詩を読んで、誰かの心も楽になったらいいなと思って、詩を書いたりもしています。

 と、そんなシリアスな話の中でも、詩のテクニック的な表現方法についても語りたいのですが。(笑)

 この詩の中でわたしが1番気に入ってる表現は(←これもかなり毎度の文言になってきましたが(笑))、「あの子が書いた絵画のような」というフレーズです。これは、またまたユーミン様の作品からのオマージュにもなるのですが、『悲しいほどお天気』という曲で、「いつまでもわたしの心のギャラリーにある あなたの描いた風景は 悲しいほどお天気…」という表現方法がとても秀逸だと感じていて、いつかその表現手法を使ってみたかったというのがあります。‘’ わたし(自分) ‘’ が見ている景色を ‘’ あなた(他人) ‘’ が表現したとしていることで、詩を読んでいる第三者にその情景をより自由にイメージさせるという。ユーミンのこのフレーズを聴いたときのわたしの衝撃といったら!!!

 と、こんな風に、人生の長い間、考えてきた重みのある感情でさえ、上手い具合に書いてやろうとしてしまうのが、ある程度書けるようになってきてしまった者の逃れられない ‘’ 性(さが) ‘’ だとも感じます。そのあたりの事は、21歳の時に大学の同級生が突然亡くなり、その気持ちを書き留めてる時に痛感し、# 5にて、その気持ちも含めて書いたのですが。

 そのような葛藤も経て、今は思うのです。それでもそれで書くしかないのだと。知恵の実を食べてしまった時から楽園は追放されてしまったのだから、そこからは後悔や痛みや苦しみを抱えて生きて行くしかないのだと。もう何も知らなかったあの頃には、戻れないのだから。

~fin

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