【解説編】#10 「銀曜日の恋人」

 今日はクリスマスイブですね。というわけで、イブにちなんだ詩をプレゼントにあげたいなと思いこちらをどうぞ。

 毎度の初っぱなからのネタばらしですが、タイトルを読んで、特にわたしと同世代の方は「!?」と思った方もいたかもしれませんがそうです。このタイトルにある『銀曜日』とは萩岩睦美先生作のマンガ『銀曜日のおとぎばなし』(1983年1月号から1984年12月号にかけて『りぼん』(集英社)にて連載)から使わせていただいたものです。(萩岩先生勝手にスミマセンm(_ _)m)

 今まであげてきた詩は全て大学生~以前のものでしたが、これはそれらに比べれば比較的新しく30代後半くらいで書いたものになります。

 まずテーマとして不倫の歌(このあたりもある意味定番のテーマなんで1作くらいは、と。)的なのを書いてみたいなぁと思い、理由(わけ)あって簡単に会えない好きな人をずっと待ってる女性の気持ちを書こうと思ったわけです。

 淋しく感じたのは週末(金曜日)で、ずっと待ってるというのを表すのに翌日の土曜も日曜も月曜も連絡が取れず…永遠に待ち続けようという、ちょっとメンヘラホラーチックな感じを表現するのに、存在しない架空のおとぎばなしの設定の『銀曜日』というのを使いたいなと思いまして。

 『銀曜日』の元ネタになっている漫画は、そもそものタイトルにすごいインパクトがあると思っていまして、漫画でも本でも詩もそうかもですが、やはりまず最初に読むのはタイトルなわけで、そこでこの『銀曜日のおとぎばなし』というタイトルをまず読んで、やはり『銀曜日』というのが何なのか、ものすごく興味を惹かれて本文を読み進めたくなりますよね。

 さて、ここで萩岩先生が創作された『銀曜日』について説明させていただきたいと思います。

~『銀曜日』とは
 人間界でいう金曜日のこと。曜日は小人族でも同じように7曜となっているが、昔は金曜日には必ず銀の雪が降っていたとされ、以来、小人族の中では銀曜日と呼ばれている。

 小人族の言い伝えによると、新月の銀曜日に生まれた1000人目の女性が死ぬ時が部族の絶える時であるとされている。部族が助かるには2つの方法があり、1つは10年ごとに人間を生贄にささげること。これにより、1000人目の女性は心のない抜け殻となる代わりに、(生贄がささげられる限り)永遠の命を授かるとされている。もう1つは、互いに信じあう者にしか見えない、そして銀曜日にしか見えないと言われる「虹の玉」を見つけること。しかし「虹の玉」を使い、村が救われるのと引き替えに、1000人目の女性が消えてなくなるのだと言う。

 そして、「部族の枠を打ち砕く事が出来れば全ては方向を変える。我々以外の生き物の力と深く結び付けば運命は変えることができよう。他の生命の力が深く深く結び付けば…。だがこれらの事が事前に明かされる事はない」という結末が…~

 以上が『銀曜日』のざっとした説明となります。

 この壮大な設定を使わせていただいて、たったこの3文字で、ものすごく深い意味を持たせた世界を創らせていただいてしまいました。

 同じような手法は、実は他の詩作等でも多く使われていたりします。例えば「シンデレラ」「白雪姫」「人魚姫」なんていう、一般的に広く知られている童話などのフレーズを入れて、その世界観を含ませる事などがそれにあたりますよね。

 さて、本文の解説に戻りまして、

 この物語の主人公である彼女は、イブ(と言えば『クリスマス』」と連想させる単語になっています。この連想についても詳しくはまたの機会に。)の時には、指輪を貰うほど恋人と上手くいっていたのに、それ以来1ヶ月かそれ以上(と言ってもさすがにまだ春にはなっていない寒い時期のイメージで)まともに連絡が取れなくなり…。その時点で、もうどう考えても恋人との関係は破綻しているのに、おそらく貰った指輪を左手の薬指にはめて(どの指にはめているかというのも個々の連想におまかせしている部分ではあるのですが)、わずかな希望にすがって彼からの連絡を待っているという。

 ここでまた細かく語りたいのですが、貰った指輪をはめている状況説明として「『ずっと』はめている」でもなく「『いつも』はめている」でもなく「『今日も』はめている」としているのにはわたしなりの考えがあって選んだ表現で、どんなに短いフレーズでもわたしの詩は全てその言葉しか!という言葉でなりたっている世界です。

 主に歌謡曲等の歌詞を聴いたり読んだり見たりした時に思うのですが、完璧に吟味された言葉で作られてない世界は、やはり完璧ではないと感じるものです。(これについてはさらに長くなってしまいそうなのでまた別の機会があれば語りたいと思います。)

 そしてタイトルの『銀曜日の恋人』ですがよく◯◯の恋人という表現をしますよね。そういう意味で彼女が待っている恋人は現実には来ることもないおとぎばなしの『銀曜日』にしか逢えない(=現実的にはほぼもう逢えない)恋人なのです。

 そしてもし『銀曜日』が来る(=恋人から連絡がある)ような事があったなら?おとぎばなしの言い伝えのように奇跡が起こる事はあるのでしょうか…。

 ネバーエンディングストーリーではないけれど、全ての物語は人生と同じで、その主人公が生きてる限りずっと続いていて、限りなく選択肢がある壮大な世界だと思っています。なのでわたしの書く世界の結末はいつでも「続く…」なのかもしれません。

~fin

P.S. 「続く…」の続きですがこの詩はめちゃめちゃ切ないお話のようでいて、案外主人公は春になる頃にはさっぱりこの恋人の事を忘れて、指輪も捨ててさっさと新しい恋人を見つけたりしてるかもしれませんしね。(現実でも良くある話)(笑)

 そして、長々と語っているうちにイブが明けクリスマスとなっていました。

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