【解説編】#4 #5 #6「悲しいときは悲しいと」
# 3【解説編】の最後に「「あの日あなたが帰らぬ人になったことを はっきり理解したとき」のことを書いた詩を# 4にあげようかなと思っております。」と書いた流れでの# 4 , # 5 , # 6ですが「お楽しみ?に?」と締めたはいいけれどやはり人の死を題材にしてしまったものは重いものです…いざ掲載しようと改めて読み直したタイミングでいろいろな死に関する事件が立て続けに起こり、それに対する気持ちとあまりに共鳴してしまい、辛すぎてしばらくあげれなくなっていました。もう20年以上も前の気持ちなのに…悲しい記憶の強烈さを思い知りました。
この詩は詩ではあるけれどわたしの作品というよりはわたしの気持ちそのままです。
# 4(無題1)に書いたように大学2年生も終わる2月に、休学してイスタンブールに遺跡の発掘に行っていた同級生が現地で急死したのです。その知らせを聞いた後のわたしの気持ちを書いた詩になります。
友人の死の知らせを聞いた翌日かに、何かいろいろと静かに考えたくなって美術館に行ったんです。
# 5(無題2)にはそこで感じた事が書いてあります。
その美術館は建物も著名な建築家の方が手掛けていて、美術館周りの庭園も噴水があったりしてとても素敵なんです。
そこをいろいろ考えながら散策していて…友人が死んだという現実が嘘のようで、そしてそんなわたしは生きていて、でもその自分が生きていて彼が死んでいるという現実が理解出来なくて…生きているわたしの手がとても冷たくて。2月なのにとても暖かい日で日差しも明るくて、なのにわたしの手はとても冷たくて。その冷たさをその時のわたしの気持ちとリンクさせて印しておきたかったんです。忘れ難い記憶として。
# 5 はその時美術館に行った服装~始まりその後深く考えた事。
松任谷由実さんもエッセイ本で「人の死を作品にするものじゃない」というような事を言っていて、(と言ってもユーミンにも何作も「死」をテーマにしている作品はあるのですが。そもそもデビュー曲の『ひこうき雲』がそうですし。)それを実感したのがこの時かもしれません。
そういう葛藤を抱えているアーティストというのは他にもいると思うのですが(サカナクションの一郎さんも同じような事をインタビューで答えていた事があり)…そのあたりの話は長くなってしまうのでまた別の機会があれば語ろうかな…と思います。
# 6「悲しい~」はそれらの事を踏まえて友人の死をテーマに作品にしたもの。わたしの詩はさらっと書けてしまったモノもあるけれど、こんなふうにその数行の感情に至るまでに、とてもとてもいろんな気持ちがあってのモノもあります。20年以上の前の気持ちなのに、今読んでも同じ気持ちのままです。そんな気持ちを残しておける能力を与えてくれた神様に感謝するけれど、出来ればあまり読み返したくはない作品ですね。「人の死を作品にするものじゃない…」てつまりはそういうことだと思うのです。そんな思い出も共感も無いほうがいい。でも、それもまた生きていれば無理な話なのですが。やはりそれを1行で表してるような村上春樹さんの言葉(# 5参照)はすごいです。
~fin