私が「居+場所」にこだわる理由
noteを始めたはいいものの、何を書いていいか分からず、
ちょっとだけ放置してしまいました。
make sence +の運用のアカウントとして解説してるのに
私個人のことを書いていいのか悩んだんですが、
もうこれからは私の個人のアカウントのようにnoteを書いていこうかと思います。
では、やっと本題に入ろうかと思います。
私の人生のテーマのひとつである「居場所」という言葉
私は母の顔を知りません。
両親は、私が1歳半の時に離婚し、私は父方に引き取られました。
そのほとんどは、父方の祖父母に育てられ、
父はほとんど遊び歩き、ほとんどの時間を祖父母と過ごしました。
さらに、私の家族は家族で会社経営をしています。
なのに父と祖母は仲が悪く、
祖母からは父の愚痴を聞かされ、父からは祖母の愚痴を聞かされ。
そんな「家族」が好きなのに嫌いでした。
そんな「家族」は私の居ていい場所・居たい場所ではなかったんです。
祖母には本当に感謝しても感謝しきれないくらいの愛をもらい育てられました。
本当はそれだけでとても幸せなはずなのに、小さい私は、
「なんで私はお母さんが居ないんだろう。」
「なんでお父さんは毎晩夜遅くに帰ってくるんだろう。」
「周りのお友達はお母さんもお父さんもいつも一緒にいるのに。」
そんなちっぽけな常識にとらわれて育ちました。
みずから居場所を捨て、居場所を探し続けている10年間
私は実家から遠い高校に進学したため15歳から実家を離れ、
下宿、ホームステイ、同棲、シェアハウスを渡り歩き10年近くになります。
普段私は、自分の人生が不幸だとは思ってないし、
後悔したことはありません。
だけどなにかどこか、心の底で欲しているのが
居ていい場所・居たい場所の
「居+場所」なのかもしれません。
クリエイターのため、社会のため。
とか言ってるけど、結局このみんなの居場所にすると決めている
make sence + を欲しているのは、私なのかもしれません。