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音楽を聴いている時のある一つの感覚

Black Country,New Roadのこのアルバムを聴いていてふと思ったことがある。
このアルバムは個人的にはかなり大好きで、いつもありがとうって思いながら聴いているのだけど、 これの良さってなんなのだろうって思った。
もちろん理由なんて色々あるだろうけど
肌感でなんとなく
世界が見えるような苦しみと楽しみがあるということなのではないかなって思った。
世界といっても、日本とか、地球とかじゃなくて、もっと広義の意味での世界で、それは目に見えていないものも含めての世界って意味。
その世界の圧倒的な広大さに、絶望とそれを受け止めた上で、仕方なく??楽しむみたいなものが内包されているような気がする。 

その広大さに一瞬は絶望のようなものも感じるけど、翻って、その絶望感はもはやないものとして、、というか、諦めて、という感じでもなくて、それを受け止めて、その絶望感と共存して生きていってる感じがする。そして、全力で、でも流れるように生きる感じがする。

それを音を通して、身体でなんとなく理解できるだけで、何か安心感のようなものがある。


それは私が日本人で、海外の曲だから、日本以外の感覚が含まれていて、世界を感じるのではないのか?とかも思ってみたけど、それ以外の国外の曲でもそう感じない曲もある。日本の曲でもそこに吸い込まれていくことがある。
Fishmansの'IN THE FRIGHT'もそう思うことがある。

何か音楽理論とか音色の関係でそう思える部分もあるのかもしれないけど、音楽理論についてはさっぱりわかんないからそれは置いといて、、、 音色も確かにあるけど、個人的には、世界を感じる曲たちで似通っていない気がしている。
歌詞という要素も外せないけど、英語をほぼ理解していない自分は、多分関係ないんだと思う。

ただ、
頭がぼわーっとしてきて、視界が開けて、広義での世界をいくつもの目でしっかりと捉えられているような感じになる。

一言で言い表せるようなわかりやすい感覚ではないから言葉が散り散りになって まとまりがない感じだけど、、

いつも、ありがとうございます。って思います。

一個人の勝手にそう感じる曲が存在するってだけの話で、結果 何 ?って話だけど、

音楽が 人 に違うところへ連れて行ってくれる力があるってことに、ただひたすらに感動している、、、

サニーデイ・サービスの'夜のメロディ'の
"ねぇ 世界がもう目の前にあるような
そんな夜ってないかい?"
って歌詞があるけど、

これに繋がるものが、ある気がする。

日中では、この感覚が薄れていくような気もする。

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思ったが、こういうことは
言葉にしなくてもいい。
ものの一つに含まれるのかもしれない

この感覚のままで置いておきたい、
これが言葉にされて、納得した瞬間に
それを心から楽しめなくなってしまう自分がいるかもしれないと思うから。
今のところは抽象の中に留めて、その移り変わる抽象を楽しんだらいいのかもしれない。

この言葉にならない感覚を、死ぬまでだらだらと引きずっていきたいって今は 思う。


乱文を失礼しました


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