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続・追悼、大江健三郎

前回、大江健三郎先生の追悼記事を書いたら、予想を遙かに超える反響があった。

noteの界隈にも、大江健三郎のファンが多いことが想像される。noteの書き手や読者にとっても、大江文学の影響を無視するわけにはいかないだろう。

2023年5月号の各文芸誌(『新潮』『すばる』『群像』『文學界』)は、特集で「追悼大江健三郎」を掲げていた。「週刊読書人」や「図書新聞」も大江健三郎特集を組んでいた。中村文則や平野啓一郎、蓮實重彦のように、複数の文芸誌に追悼文を送っている作家や批評家もおり、いかに大江健三郎という作家が現代文学の隅々にまで大きな影響を受けているかが偲ばれる。

島田雅彦が朝吹真理子との対談で「・・・影響を受けない人の方が少ない。受けてないとしたらモグリだとさえ言える。」とまで言っている。読者は初めて触れる大江作品がどの作品であろうと、例外なくその「毒」の中毒にかかってしまう。その「毒」は、いかなる血清もワクチンも効力はない。

その影響力は、大江健三郎の遙か上野世代から、令和の現在に到るまで非常に長いスパンで、世界的な影響力をもたらしてきた。今活躍している作家は、例外なく大江文学の「洗礼」を浴びて、その圧倒的な影響下で独自の文学を作りだしてきたのだ。

ネットでは、リレーエッセイが公開されている。

大江文学は、ルビやゴシック体の強調、世界文学からの膨大な引用、リーダビリティーを拒絶するアクの強い文体、挙げていけばキリがないが、なによりも魅了されるのは、本人の驚異的な世界文学の読書量にあった。英語とフランス語の本は全て原書で読破するブッキッシュな姿勢にただただ尊敬の念を抱かざるをえない。

『すばる』で連載されていた小森陽一と井上ひさしによる「座談会昭和文学史」の大江健三郎文学特集は、コピーをとって何度も何度も読み返したものだ。フォークナーを原著で全て読む姿勢に感化され、私も文学作品を原書でいろいろ買い集めたものだ。

NHKでは過去に「大江健三郎と息子・光の30年 響きあう父と子」やノーベル文学賞の受賞ドキュメンタリーなど、様々な大江健三郎の番組を制作してきた。ネットでは、大岡昇平が亡くなり急遽放送された追悼番組で、埴谷雄高と大江健三郎がゲストで出演している映像がアップされている。『宙返り』が出版されたときには、たまたま朝のNHKニュースで大江健三郎が生出演して、スピノザについて語っていたのを目撃した。今思えば、何という奇跡的なタイミングであろうか。

他にも、『「自分の木」の下で』が上梓された頃、たまたまテレビを見ていたら、久本雅美が大江健三郎の家を訪ねてサインを求める番組が放送され、慌ててビデオを録画したら、哲学好きの友人から突然携帯に電話がかかってきて、「おい、見てるか?」とリアルタイムで大江健三郎の書斎と本棚が映し出されている映像にお互い驚愕したものだ。

ニューヨークの同時多発テロからしばらく経ち、「ニュースステーション」に大江健三郎が出演して、久米宏と語り合っていたこともある。久米宏はその番組で、「明日もゲストで来てください」とお願いしたら「喜んで来ます」と、突如、二夜連続の出演となったこともあった。
これらの番組を偶然という名のあり得ないようなタイミングで見ることができたのはとてつもない幸運だ。

だが、その後の急速な政治の右傾化と共に、大江健三郎がテレビに出る機会は激減した。数少ない例外は、Eテレの「100分de名著」で『燃え上がる綠の木』が採り上げられたことだ。最後の回で、わずかに大江健三郎の映像が登場したが、それが私の記憶が確かなら、最後のテレビ出演かと思われる。

大江健三郎先生の残された膨大な作品群は書物として、永久に残る。つい先日、買い逃して入手できなかった『水死』の文庫版をようやく手に入れることができた。入手が困難な『日常生活の冒険』や『遅れてきた青年』、『治療塔』シリーズも復刊して欲しいと切に願う。

全身文学者として、世界文学を引き受けて未踏の高みに作品を結晶させることに障害を費やした大江健三郎という文学の偉大なる巨人。今後も没後○○年とか、生誕○○年など、折に触れて大江文学を振り返る機会があるだろう。大江文学の全容が研究され、評価されるには、何十年も(あるいは百年以上も?)かかるだろう。残された者としては、一作でも大江文学を継承して、「新しい人」にならなければならない。

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