「私たちのエコロジー 地球という惑星を生きるために」六本木ヒルズ森美術館で見てきたよ
所用で東京に出かけた際に、六本木ヒルズの森美術館で開催中の「私たちのエコロジー 地球という惑星を生きるために」を鑑賞した。
アートは現代社会に一石を投ずる行為でもある。
日本美術や西洋美術の古典的名作や芸術至上主義的な展覧会ばかり鑑賞していると、アートと現代社会の接点やアートの自由度、作者の主張といった要素が見過ごされてしまうこともある。それが悪いわけではないし、むしろモネやマティスといった現在日本で特別展が行われている作品も大好きなのだが、「エコロジー」というテーマであまりにも社会派的なアート作品ばかりを見ると、改めてアートにとって現代社会とは何か、という問題を意識せずにはいられない。
マルクス研究者の斎藤幸平先生が盛んに唱えている、行き詰まった資本主義の限界や脱成長、コモンを取り戻そうとする機運が高まりつつあるご時世に、「私たちのエコロジー 地球という惑星を生きるために」というタイトルのアート展が開催されるは必然の成り行きと言える。
斎藤幸平先生のような主張は、今になって急に現れたわけではない。アートの世界では70年代頃から既に斎藤幸平先生が主張する資本主義に警鐘を鳴らパフォーマンスやアーティストがたくさんいたことがわかる。というのも、日本では1950年代(よりもそれ以前)から日本では水俣病をはじめ、四日市ぜんそく、イタイイタイ病のような、水質汚染や大気汚染などによる公害病で苦しむ患者が増えた歴史を有する。過度な資源採掘や自然破壊はとどまるところを知らず、人間が地球に与えた暴力的な環境悪化は、東日本大震災による福島原発の事故など、今も解決困難な問題として大きく横たわる。
日本では阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、さらには今年の元旦に発生した能登半島地震のように、幾度も震度7の地震に見舞われてきた。自然環境の悪化や人間の力ではコントロールできない巨大な災害が発生すると、地球にとって人間とは何か、人類がどれだけ地球を汚染してきたのか、様々な諸問題をマクロな視点で考えることを余儀なくさせられる。
洋の東西を問わず、なにも世界にたくさん自らのアイデアや実践によって、地球という観点からマクロな視点で自然環境に思いを馳せて、現代社会に警鐘を鳴らすアーティストがたくさんいることに大変な勇気をもらったように思える。
霧を噴霧するパフォーマンスで有名な中谷芙二子が水俣病のドキュメントを撮影していたことも驚いた。アーティスト第一回札幌国際芸術祭で、霧で視界が真っ白になるアートを見たことがあるが、このような活動を行っていたことに改めて畏敬の念を表する。松澤宥の「人類よ消滅しよう 行こう行こう 反文明委員」という言葉には、斎藤幸平先生の「脱成長」思想に通じるる考えが表明されている。
これらのアートは資本主義という途方もなく巨大なシステムの加速に水を差すには、あまりにも小さい抵抗かもしれない。だが、抵抗なくしては、ますます悪しき流れを加速させ、人類に大きな波として跳ね返ってくることになる。その波は確実に人類を滅ぼすことになる。
我々は、少しでもこれらの作品から地球の環境危機という新たな視座を学び、未来を考えていかなければならない。