没後15年庄野潤三展と大佛次郎記念館に行ってきたよ
6月の中旬に、Peachのセールを利用して出かけてきた。目的地は、横浜の港の見える丘公園にある神奈川県立文学館と大佛次郎記念館だ。
神奈川県立文学館を初めて訪れたのは、2020年の11月、当時はちょうどコロナ禍で緊急事態宣言の波と波の間で、規制が緩んだタイミングを見計らって出かけてきたものだ。そのときのメインは「大岡昇平の世界展」であり、その展示内容の素晴らしさ、学びの充実感は実に大きいものであった。ますます大岡昇平のことが好きになった。
また、神奈川県立文学館に行くためには、赤煉瓦の、えらくモダンでアーチ型の屋根のある瀟洒な建物の背後に回る必要があるのだが、それが大佛次郎記念館であると知ったときの驚き!時間がなかったので大佛次郎記念館はまたの機会にせざるをえなかったが、いつかは訪れたいとずっと思っていた。
文学館の効能は、その作家の生涯を学ぶことができるだけでなく、作品論や考え方、何よりも読書欲や創作意欲みたいなモチベーションがかき立てられるからだ。その作家の息吹や魂を自分の心にインストールすることができて、大きな刺激となる。
というわけで、今回の神奈川立文学館の特別展は、「没後15年 庄野潤三展――生きていることは、やっぱり懐しいことだな!」である。その前の会期に行われていた橋本治展も見に来たかったが、都合によりかなわなかった。
庄野潤三展
庄野潤三といえば第三の新人のひとりで、戦後日本文学史に名を刻む作家である。展示パネルで、伊東静雄のすすめで九州大学に進学したことや、高校教師からテレビ局に転職し、その後作家になったこと、寒川県の生野に家を建てたこと、アメリカオハイオ州のガンビアに研究員として1年ほど滞在したことなど、その生涯を濃密に学ぶことができる。亡くなるまで執筆欲も旺盛で、その著作もかなりの数に上る。
しかしながら、今となっては、この展示で紹介されている作品のほとんどが現在極めて入手が困難であり、かろうじて手に入りやすいのが新潮文庫の『プールサイド小景・静物』で、ほかには講談社学術文庫とP+D BOOKSにいくつかが入っている。とはいえ、これらのラインナップではやはりさみしいものだ。もっと読まれるべきであろうし、復刊して欲しいと思う。自分もネットで『新潮日本文学〈55〉庄野潤三集』を入手した、これからたくさん読んでいきたい。
大佛次郎記念館へ
そして、翌日は再び港の見える丘公園の大佛次郎記念館へ。気温も高く汗ばむ暑さで、館内の快適な冷房が実に心地よい。こちらも大変充実した内容で、大佛次郎の生涯と執筆環境にどっぷりとつかることができる。
大佛次郎の時代小説『鞍馬天狗』のことは日本史の教科書でも出てきたが、いかんせん入手機会が少ない。大佛次郎も庄野潤三と同様、P+D BOOKSでいくつか出版されているが、それでもまだ十分とはいえないラインナップである。
とにかく大佛次郎といえば、『天皇の世紀』につきる。だがこちらも十数年前に文春文庫で出たきりで、入手も容易ではない。朝日新聞社から普及版も出ているが、こちらは文春文庫よりも以前に出版されて、値段も高く、やはり入手も難しい。
富岡幸一郎は『打ちのめされるようなすごい小説』のなかで、『天皇の世紀』を「膨大な資料を駆使して描く、歴史文学の至宝」と題して、次のように評価している。
うーむ、スゴい評価!
これを読んだら読まずにはいられないではないか!それなのに、入手が困難というのは、日本民族は滅ぶ運命をたどるのだろうか?2023年3月には『宗方姉妹』が中公文庫で出たが、かつては各種文庫に大佛次郎が収録されていたものだ。館内の図書室には膨大な大佛次郎の著作が本棚に収められているが、今となってはそのほとんどが入手困難となっている。このような状況は早急に克服されねばなるまい。
本屋大賞のようなイベントや企画もいいのだが、日本の出版社は日本文学の名作をもっと復刊して欲しいと心から思わずにはいられない。
※さて全くの余談だが、港の見える丘公園は、中学生くらいの時にプレイしたFCソフトの神宮司三郎シリーズ「横浜港連続殺人事件」に登場したことで初めてその存在を知った。ゲーム内では、コマンドで「Mこうえん」と表示されていた。初めてこの公園を訪れたときは、聖地巡礼のような気分で実に感慨深かったものである。プレイから30年弱近い年月が経っても、ゲームにかんする記憶は意外と衰えないものだ。プレイ当時は港の見える丘公園にこんな素晴らしい文学館が二つもあるとは全く知らなかったもので、全くの盲点であった。
どちらも、ちょうど文学館を出た後に撮影した写真で、ほぼ同じ時刻の眺望だが、およそ五ヶ月で明るさが全く違ってくるものだ。
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