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私が身体を壊すまで

私の人生の目的が家庭からの脱出に定まったとして、田舎に住んでいたため取れる手段は少なかった。

非行をして警察に捕まり、児童養護施設に入りたいと思ったこともあったが、結局悪事を働くということができなかった。

祖母と暮らしたいと思って母に言ったことがあるが、許されなかった。家事を兄弟の中ではかなりの部分担っていた私を手放すわけにはいかなかったこともあろう。

となると、正攻法しか思い浮かばなかった。ユースで引っ張られる先輩や、部活動で結果を出して学校からお呼びがかかる、ここに全精力を注ぐことに決めた。

当時は駅伝部に入っていたが、朝練、放課後の練習をして帰ってきてから、夜20時頃また自主練に出掛けていく。夜暗い中で山道を走ったこともあった。猪と遭遇したこともある。明らかに常軌を逸していた。

栄養に関しても、タンパク質の重要性など小学生の頃から両親に話をしていたが、普段食べている食事で十分とまるで聞きはしない。私は、食事が原因で行き詰まるならば、それはどうしようもないとこの時に諦めている。今思えば、これが1番に転落への道を作っているのだが、当時自分にできたことはない。

練習量と不十分な栄養状態で、中1の終わり頃には健康状態が悪化していた。だが、何も期待できない両親のもと、練習量はそのままにますます転落の道を進んでいく。

中2では膝の痛みを抱えながら走り、衝撃に耐えかねているかと思い、シューズの中に衝撃吸収剤を入れるなどしたが変化はない。足の着地場所を変えたり、今思えば涙ぐましい努力だが、本質的には身体の回復が追いついていないだけであり、健康状態の悪化は食い止められない。

中3では全身の痛み、息苦しさなどが強く、とてもじゃないが走れる状態ではなくなっていた。1番辛かったのは目の上の痛みである。眉毛の上のあたりが常に痛むようになり、これが激痛でどうしようもなく辛かった。

高校にはなんとか進学するも、このような健康状態で続けられるわけもなく、中退して身体の回復に向けた長い年月が始まるのである。

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