【初詣に行かない決意からの希望】
今年は大晦日も三が日も初詣に行きませんでした。初詣って別に三が日に行かなくてもいいらしいですね(今の今まで知らなかった)。
行かない理由はご存知の通り密にならないようにです。今年はそれがカッコいいなと思って。もちろん個人の自由なので行った人もいるかと思います。それぞれの考えですからそれはそれでOKかと。
◇
あそこには神様がいるんですよね?(たぶん)。
もし神様がいるならば、今、全人類の幸せを願っているのではないかなと思うのです。今、みんなの幸せって何しろあれがなくなって、自分や家族だけじゃなくてホント世界中のみんなが健康で安心な生活が営めることですよね。
もし誰も初詣に行かずに密が防げたのなら、神様は大喜びでみんなに幸福を与えてくれるのではないかな。
去年から続くあの出来事でわかったこと。世界中がつながっているっていうこと。隣の人も、すれ違う人も、隣の国の人も、遠くの国の人も、動物も、自然もバイ菌もウイルスも全部。
自分だけが幸せになっても大した意味はないんだな、世界というのは…と気づいた去年。世界というのは地図を見た時のあれじゃなくて、世界旅行の世界ではなく、なんていうのかな、全部みたいなやつ。
◇
うちのすぐ近くに小さな神社があります。池、丘、森に囲まれた小さくとも美しい神社。
そのため毎年、ちょっと離れた所に住んでいる人たちも訪れるので初詣の人たちで長蛇の列ができます。今年ももちろんステイホームとは言いつつも行列ができているのだろうなと思っていました。
初詣に行かないと決めたのですが、何しろ近所なのでどんなものかと散歩がてら前を通ってみることにしたのです。
すると、うわー!パラパラとしか人がいないではないですか!! 絶対に行列ができて混雑していると思いこんでいったのでびっくりしました。
リスペクト近所People!
やるなー、オイ!
みんな来てないじゃん!
ん?ということはこんなに空いているならば参拝していってもいいよな。混雑してないのだから逆にチャンスじゃん!
しかし、僕は軽くお辞儀をして通り過ぎました。
だって顔も知らない沢山の近所の人たちがこの地域のために参拝せずに、行きたい気持ちをこらえてステイホームしていたのです。
それなら僕もこのままその一員になろう! そう思ったのです。
なんだか感じたことのない温かい一体感を感じました。顔も見たことのない近所の人達が仲間に思えて急に親近感が湧いてきました。
◇
最近、人間ってダメダメじゃないですか、いろんなことで。もー、ホント多岐にわたるいろんな所で、いろんな事で。
政治、経済、気候変動、環境汚染、自然破壊、自然災害、貧富の差、差別、戦争…。
もうどうしたらいいの? もう間に合わないよ。どうにもならないよって諦めたくなるような今の時代。今の子供達はこれから先何十年もこの理不尽な世界を背負っていかなければいけないのです。
でもね、元旦に人がいない神社の風景を見たとき「希望」を感じたのです。野生動物や自然に希望という概念があるかどうかは知りません。でも人間は希望っていうことを知っているんだなと。
たった一人が気候変動に対するアクションを起こしたって、どうせ大したことないみたいな世相があります。選挙も同じかもしれません。どうせ行ったって…。
でも、神社のガランとした風景は、一人ひとりが協力すればできるんだって証明のようでもありました。なんかその風景を見て凄くスカーっとしたのです。目の前がパーッと広がったような。
こんな絶望的にも見える現代に、人のいない神社のあの風景は「希望」そのものだったのです。
もし神様があの小さな建物の中にいるならば、ちゃんと見てくれていると思うんですよね。
「なんか今年、みんな来なくてちょっと寂しいけど、カッコいいよみんな!」
って。
「人間たちよ、まだやればできるじゃん!」
って。
俺たちまできるんだよ!
だって「希望」っていうものを知ってる動物、人間だもの!
まだまだ人間、ステたもんじゃないな!
と思った2021年正月。