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文化と文化の違いは「受け止め方」の違い

今日は『わかりあえないことから- コミュニケーション能力とは何か-』(著:平田オリザ)より第6章:コンテクストの「ずれ」から「何年生まれですか?」を読みました。

本節の主題は「年齢とコミュニケーション」です。

昨日は、敬語が発達している日本と韓国の事例にふれたのでした。韓国では儒教社会の影響もあり、一歳でも年齢が上であれば敬語を使うことが求められること。一方、日本は社会的な関係の中で敬語を用いるか否かの判断が行われること。

日韓ワールドカップにおける韓国サッカーの躍進の裏側には「言葉の変革」があり、名将ヒディング監督が「互いを呼び捨てにしていい」という方針を打ち立て、チームとしての結束力が高まったのでした。

相手の年齢を聞くことが共有されている社会

相手の年齢によって厳格に言葉づかいを変える社会では、相手の年齢を聞くところからコミュニケーションを始めなければなりません。22歳から23歳の一年間、韓国留学したことのある著者は次のように述べています。

 だが、言語というのはうまくしたもので、韓国語では挨拶の初期の段階で、相手の年齢を聞くという習慣がある。だいたいは、「何年生まれですか?」と尋ねる。これはおそらく、数え年か満年齢かなどで混乱が起こらないようにという配慮からだろう。干支を聞く場合も多い。

なるほど、初対面の相手との会話では「生まれ年」をたずねることが習慣となっているのですね。そのような認識が社会で共有されている状態、空気のことを「文化」と呼ぶのかもしれません。一度、文化が醸成されてしまうと逸脱することが難しく、親から子へと、時代を超えて受け継がれていくのでしょう。

一方、日本で生活していると、年齢をたずねることに戸惑うというか、特に必要がなければ相手にたずねないのが一般的ではないでしょうか。敬語とは別に、いかなる場面にも用いることのできる「です・ます調」のていねいな言葉という選択肢があることも影響しているかもしれません。

日本語の「ていねい語」のような対等な言葉は、適切な距離感を自然と生み出してくれるのかもしれないと思うと、急にありがたみを感じてきました。

文化と文化の違いは受け止め方の違い

年齢を聞くことからコミュニケーションが始まる韓国と、日常生活の中では年齢をたずねることが一般的でない日本。著者は次のように述べています。

 現在、日本から韓国に渡る観光客の約八割が女性だと言われている。私が留学した頃とは隔世の感がある。この大挙して韓国を訪れる日本女性たちから、「韓国の男性にいきなり年齢を聞かれて不愉快な思いをした」といった苦情が、韓国政府観光局に多く寄せられているそうだ。しかし、韓国の男性からすれば、年齢を聞かないとコミュニケーションが始まらないのだから、これは致し方ない事態である。

致し方ない事態。そうですよね、致し方ない。

致し方ないとして、どうすれば致し方ない事態を回避できるのでしょうか。

旅行に行く前に「年齢を聞くことが一般的である」ということをあらかじめ頭に入れておいたらよかったのでしょうか。

そう考えると、あらかじめ旅行先におけるマナーを調べるとしても、さらに深いコミュニケーションスタイル、そのスタイルがどのような文化的背景に由来するのかまで調べることはなかなかないかもしれません。

情報化社会ですから、インターネットで調べてみれば、そのような情報にもすぐにアクセスできるはずです。「致し方ない事態」も経験してみなければわからない部分はあるかもしれませんし、それも異文化にふれる醍醐味なのかもしれませんが、「どこに行こうか」「何を食べようか」といった関心に過度に偏らないようにしなくては...と思ったのでした。

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