物質の触感・特性が動的に変化する世界?
今日は『触楽入門 -はじめて世界に触れるときのように-』(著:テクタイル)から「触感のアートと技術の未来」を読みました。
昨日読んだ内容を少しだけ振り返ると「ハグをすると何が起こるのか?」という話がありました。人は緊張すると交感神経が優位になり、血圧や心拍が上がって興奮状態になります。すぐに行動を起こすためです。
カップルを被験者とする実験により、ハグをすると血圧や心拍の上昇が低く抑えられることがわかりました。カップルを2グループに分けて、スピーチをする前に「ハグをする場合・しない場合」で生理状態・心理状態にどのような変化が起こったのかを比較したものです。
また、ハグの対象が人ではない場合でもポジティブな効果が示されている。人型ロボットをハグすることでも、緊張が和らぐことが紹介されていました。ハグせずとも大切なパートナーと手をつなぐなど、折にふれた身体的な接触を生活の中に取り入れることには意味があるように思います。
一方、日本では日常生活の中でハグする習慣がないように思いますが、要因の一つとして心理的な抵抗が大きいのかもしれません。そこを解消する何かの仕掛けを考えてみる。身体的接触のデザインの可能性が垣間見えたのでした。
さて、今日読んだ範囲では「触覚を伴うアートとテクノロジー」というテーマが展開されていました。
触れることを前提としたアートがあってもいい?
本書は2016年4月に出版されました。著者は「来るべき触文化を体現するようなアートが近いうちに現れる」と述べています。アートの文脈において、触覚はその当時どのように位置付けられていたのでしょうか。
たしかに美術館で芸術作品を鑑賞する際は「手を触れない」ことがマナーとなっています。作品の棄損を防ぐことは非常に大事ですので理解できます。一方、裏を返せば「ふれられる」ことを前提に作られていないと言えます。
「ふれられることを前提としない」のはなぜだろう、と考えてみます。一つは「作品の状態を変えない」ため。作品が完成したときの状態を保つことは「作者の意図をそのまま伝える」ことと同義のように思います。裏を返せば「作品の状態が変わる」ことを前提とした作り方もあるのかもしれません。
もう一つは、鑑賞者と作品が「見る・見られる」という静的な関係が自然と想定されている。「インタラクティヴ(相互的・動的)な関係」を前提とした作り方もあるのかもしれません。
「作品に内在する時間をどのように捉えるか」が、「触覚を伴うアート」を考えるカギになるような気がしました。
物質の触感・特性が動的に変化する世界
著者は「情報と物質の世界の垣根がなくなってゆく」と述べます。一体どのようなことなのでしょうか。
気候に応じて変化する建築、汗をかくと性質が変わる布地、必要な時だけボタンが浮かび上がる装置…。想像するだけでもワクワクしました。
逐次的に更新される「情報」に基づいて物質の性質が変化する。素材や構築物がインタラクティヴに変化する。時間を伴う物質の変化として思い浮かぶのは例えば「発酵」や「経年劣化」など「自然に委ねる」イメージでした。
形質変化がプログラムを通して「操作可能」な世界。そのような世界の法則は、とてもシンプルだけれど多様性が生まれるような方向に向かっていくのではないか、という直感があります。
触感が動的にリアルに変化する。
触感の80%は「硬軟、乾湿、冷温、粗さ」で説明できるとの実証結果が紹介されていたことを踏まえると、「ある時は硬いけれどある時は柔らかい」だったり「ある時はカサカサしているとけど、あるときはしっとりしている」というような変化が生成されていく。
物質の特性は固定的だからこそ「安心して過ごせる」部分もあると思います。物質の特性が動的に変化することで何が解消されるだろう。あるいは、どのような「快」が生まれるだろう。そのような問いが生まれてきました。