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美意識というモノサシ

昨日までは『触楽入門』を読み、触覚や人の身体に思い巡らせました。今日からしばらくの間、デザイナーの原研哉さんによる『日本のデザイン』を読み進めたいと思います。

日本の感受性とは??

本書が出版されたのは2011年10月ですので、東日本大震災から約半年が経過した頃になります。工業化による単純な経済モデルが終焉を迎え、少子高齢化などの課題が顕在化し、生産や消費のあり方も変わりゆく中で「日本の感受性を取り戻す」ことが大切なのではないか。著者はそのように述べます。

 日本は今、歴史的な転換点にある。戦後六十数年、工業生産に邁進し経済成長を謳歌してきた。(中略)おそらくは日本の人々の誰もが、この大きな転換点を感じているはずである。そこには、明治維新以来、西洋化に経済文化の舵を切ってこの方、抑圧されて続けてきたひとつの問いが、うっすらと、しかしながらしっかりと浮上しつつある。千数百年という時間の中で醸成されてきた日本の感受性を、このまま希薄化させるのではなく、むしろ未来において取り戻していくことが、この国の可能性と誇りを保持していく上で有効ではないかと。

少子高齢化、所得格差、コロナウイルス、地球温暖化…。ふさぎ込んだ空気を感じる今日この頃。このままではいけない。何かを変えないといけない。けれど、何から変えたらいいのだろう。

もしかすると著者がいう「日本の感受性」がヒントになるのかもしれない。でも「日本の感受性」とは何だろう。今はまだ分からないけれど、本書を読み進めながら、この言葉の「手ざわり」を確かめていきたいと思います。

人は何かに触れることで理解する。これは触覚からの学びです。「感受性」は「感じて受け取る」ということですから「感覚・感性」の話だろうと思います。日本人が古来から大切にしてきたこと、何かを感じ取ってきた何かを受け取り、引き継いでいくことに意味がある。そんな予感がしています。

美意識というモノサシ

著者は著書『デザインのデザイン』の中で、「欲望のエデュケーション」について説明していました。

かつて僕は、デザインとは「欲望のエデュケーション」である、と書いた。(中略)よく考えられたデザインに触れることによって覚醒がおこり、欲望に変化が生まれ、結果として消費のかたちや資源利用のかたち、さらには暮らしのかたちが変わっていく。そして豊饒で生きのいい欲望の土壌には、良質な「実」すなわち製品や環境が結実していくのである。

「豊饒で生きのいい欲望」とは何でしょうか。よく考えられたデザインに触れることで覚醒がおこり欲望に変化が生まれる。どのような変化が生まれるのでしょうか。よく考えられたデザインとは何でしょうか。

私たちは日々何かを必要としているわけですが「必要とする」と「欲する」の違いは何でしょうか。

いずれにしても、欲望を勝手気ままに振る舞わせてはいけない。マーケティングの用語で「ニーズ」という言葉があるが、ニーズはとかく「ルーズ」になりがちである。欲望はルーズなニーズとして育てられてはならない。そこにけじめや始末を付けるのが文化であり美意識である。デザインはそこで働かなくてはいけない。

「欲望はルーズなニーズとして育てられてはならない」という言葉が印象的です。

ルーズなニーズ。この言葉を膨らませてみます。「ルーズ」とは、例えば「だらしない」「惰性的な」という感じでしょうか。

「自分の中のモノサシをもって吟味しているのか?」
「そもそもあなたは自分の中にモノサシをもっているのか?」

「欲望はルーズなニーズとして育てられてはならない」という言葉の裏側には著者の問いかけが隠れているように思いました。

自分のモノサシの核心が「美意識」であり「文化」にあるのかもしれない。本書を読み進める中で明らかになると期待して、これから読み進めていきます。

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