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「見立て」と触媒

今日は『日本のデザイン』(著:原研哉)から「日本の見立て方」を読みました。

昨日読んだ内容を少し振り返ると「人と環境の交感」というテーマに触れました。日本では玄関で靴を脱いで家にあがります。靴を脱いで足が直に床と触れる瞬間。人は環境と直に交感しています。

テレビのモニターやスピーカーなど。家の中にある物は「物」として意識されることがほとんど。技術の進歩は物を「物」として意識することがなく、物が環境に融け込むような方向で変化を促してゆく。著者は「壁化」という言葉を用いましたが、テレビのモニターやスピーカーは、やがてスクリーンとして壁と一体化していく。

たくさんの物に囲まれている環境が、囲まれているかもしれないけれど意識されない環境へと変わってゆく。意識しないという形で「持たない豊かさ」が実現されてゆくのだ。そんなことを思いました。

さて、今回読んだ範囲では「見立て」というテーマが展開されていました。

「見立て」と触媒

日本の独自性、固有性。その源泉はどこにあるのでしょうか。

 元来、日本文化は近代ヨーロッパ諸国の文化とは大きく異なると感じられてきた。政務の中枢にいた武士は、髷を結い刀を腰に差し、袴をはき裃を着けていた。足の親指と第二指の間に履物の中心があり、布団や座布団で身体のリラクゼーションを得る。そして、欧州の近代化に遡る三百年も前に、簡素を基本とする究極のミニマリズムを運用することでイマジネーションを自在に差配する技術を生み出し、茶の湯や立花、作庭、連歌、建築や調度、そして能や舞踊において、独自の国風化を進めてきた。さらに三百年に及ぶ鎖国によってそこに一掃の成熟と洗練を加えたあとにおいては、その文化的個性はとまどいを覚えるほどに突出して自覚された。

「簡素を基本とする究極のミニマリズムを運用する」「イマジネーションを自在に差配する技術」という言葉に注目してみたいと思います。

一例として茶の湯が挙げられていますが、以前に著者が紹介していたように「水盤に水を張り、桜の花弁をその上に散らし浮かべ、あたかも満開の桜の木の下に座っているような幻想を共有する」あるいは「水菓子の風情に夏の情感を託し、涼を分かち合う」というように、簡素な空間の中に必要最低限の要素から想像を広げてゆく。

必要最低限の要素はある意味で「触媒」的でもあって、もしそれがなければ余白があったとしても想像が上手く広がらないかもしれません。必要最低限の要素から想像する。それが「見立て」であるとするならば、爆発的に情報が増えた現代では何かを見立てる余地がないとも言えるかもしれません。

余白と触媒。眠っているであろう人の想像力は「見立て」によって引き出される、ということ。

技術は受け入れても生活のかたちは受け入れない?

著者は「文明開化において生活文化のかたちまで受け入れることをしなかったら…」という点に言及しています。

 谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で語っているように、もし文明開化が技術のみの導入で、生活文化のかたちまで受け入れることをしなかったなら、日本はもうひとつ別の維新を実現できていたのではないか、という呵責を抱いて、日本人は維新以後を生きてきた。その呵責の遍歴こそ日本文化の近代化の足跡であり、その中に、石元康博の「桂離宮」が、ぽつりぽつりと現れた。それは西洋モダニズムと日本文化を直感的に連続させる視点から、桂離宮に内在する普遍を射抜いた写真である。

「もし文明開化が技術のみの導入で、生活文化のかたちまで受け入れることをしなかったなら、日本はもうひとつ別の維新を実現できていたのではないか」

もし技術だけを導入していたら、現代の日本は全く別の日本となっていたのでしょうか。グローバリゼーションが進み、国と国の境界線がなくなり、あらゆる存在が行き来する。デジタル技術の発展は、一瞬にしてあらゆる場所からサービスにアクセスできることを可能にしました。

日本という国は海外から様々に吸収しながらも、歴史や伝統の中に調和させていくような「器」のような側面があると思います。モノはモノとしてだけ存在しているわけではなくて「コト」としての側面を持っています。日本の
器として、あるいは「コト」を広げる触媒として機能するためにはある程度の余白が必要だとすれば、得るものを取捨選択しながら、あふれるほどに満たし続けようとするのは健全ではないのかもしれない。

これまでの話と関連づけるならば、その取捨選択のモノサシが「美意識」と言えるのではないでしょうか。

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