家具の「実用性」と「心地よさ」
今日はミハイ=チクセントミハイ(アメリカの心理学者)による『モノの意味 - 大切な物の心理学』の第3章「家の中でもっとも大切にしている物」より「家具」を読みました。では、一部を引用してみたいと思います。
椅子やソファ、テーブルが家の中の特別な物としてもっともよく取りあげられるのは驚くに足らない(ベッドは別のカテゴリーに分類されている)。つまり、家具は家庭の中でとりわけ重要なものであり、それがないと家はいわば裸の状態となり、恥ずかしくてお客さえ呼べないというようなぜひとも必要な物である。家具は家庭生活を快適にする物だから特別なのかもしれない。そう言うと、日本やインドの家がすぐに思い浮かぶかもしれない。日本やインドの家は実際、家具が少ないものの、住み手にとっての快適さは変わらない。椅子やテーブルが絶対的な意味で、より快適なのだという考え方は明らかに正しくない。ある一定の文化習慣と機体の中でのみそう言えるのである。
回答者たちが家具を大切にする理由として語ったコメントを見ることにしよう。それらの回答から直ちに容易な一般化ができないことは言うまでもない。人びとがあげる理由は多種多様で、単一のセットに還元することはできない。しかし、それの物が人びとのあいだに形成される意味の複合性を分類する手助けになるような傾向はうかがえる。
ここに、十代の少年が、台所のテーブルと椅子をなぜ特別なものとしてあげたかについて語ったものがある。
「それに座ることもできるし、そこで食事もできる。その上で遊べるし、椅子やテーブルでいろいろなことができるからさ。(もし、それらがなかったらどうなると思いますか)。それがなかったら、今みたいに気持ちよくできないと思う。だって、その椅子はすごく気持ちいいんだから。他のテーブルではそんなふうに遊べないと思うな。だって、そのテーブルの感触がとても好きなんだもの。」
「椅子やテーブルが絶対的な意味で、より快適なのだという考え方は明らかに正しくない。ある一定の文化習慣と機体の中でのみそう言えるのである。」
この言葉が印象的でした。
本書の第3章では、1977年にシカゴの都市部に住む82家族にインタビューを行った結果が紹介されています。各回答者は、年齢、性別、居住地区など、様々な社会経済階層から選ばれており、回答者の近隣やコミュニティ、都市との関係、家全体(雰囲気、目立った物理的特徴)についてインタビューを受けています。
回答者の回答にもとづいて、家の中にある特別な物から上位10種が選ばれ、それらについての回答者のコメントなども紹介されています。上位10種と、それを挙げた人の割合は、具体的に以下のとおりです。
1. 家具(36%)2. 視覚芸術品(26%)3. 写真(23%)4. 本(22%)5. ステレオ(22%)6. 楽器(22%)7. テレビ(21%)8. 彫刻(19%)9. 植物(15%)10. 食器(15%)
まず「なぜ家具が大切なのだろう?」という問いを立ててみます。家具にも様々あり、収納家具、空間創造家具(椅子類、机類、寝具)、その他の家具(鏡台など)に分かれます。
家具の主要な役割(目的)は「家での生活を快適にする」ことにあります。椅子や机、寝具は「姿勢や体制をサポートする」という機能があって、その性質から人が家で接する時間の長い「物」と言えそうです。
もちろん「物」として眺める、ということも可能かもしれませんが、実用の観点からは「身体的な接触を伴う」物がほとんどのように思います。身体的な接触を伴うということは、人と物の間の相互作用(支える・支えられる)が働くことを意味しています。
身体が疲れていたら、横になったり、椅子に腰をかけたり。人が脱力した時の重さは相当なものですが、家具は嫌な顔ひとつせずに、支えてくれるわけです。
実用性だけではありません。
「それがなかったら、今みたいに気持ちよくできないと思う。だって、その椅子はすごく気持ちいいんだから。他のテーブルではそんなふうに遊べないと思うな。だって、そのテーブルの感触がとても好きなんだもの。」という回答者のコメントが紹介されていますが、有用性のみならず「心地よさ」を感じさせてくれます。
この心地良さというのは、「役に立つ」というよりも「意味がある」という側面のように思います。
一方、日本の場合は家具が少なくても、家自体が快適さをもたらす、というのは言われてみればそうかもしれません。特に、玄関で靴を脱ぎ、床に座るという文化がある。
物の使い方・接し方は、文化と深い関わりがある、ということを再認識したのでした。