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反対意見・逸脱に対する寛容さ
今日は『ソーシャル物理学 - 「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学』(著:アレックス・ペントランド)より「良い結果を生む「探求」のポイント」を読みました。
適度に他者から学ぶこと。すなわち、適切な社会的学習によって「情報やアイデアの流れ」が変わり、個人・集団としてより望ましい判断・行動につながりやすくなります。
著者は「探求」という言葉を「アイデアや情報を収集するためにソーシャルネットワークを活用する」との意味で用いており、探求の留意点を3つ紹介しています。
社会的学習が極めて重要…成功した他人を真似するという行為は、個人学習と組み合わされた場合、個人学習のみの場合と比較して劇的に優れた効果をもたらす。自分自身の持っている情報が不確かなものである場合は、より社会的学習に頼れば良い。
まず、社会的学習の重要性について説いています。ふと、Youtubeのことが頭に浮かびました。Youtubeでは例えば、個人が大学受験の問題を解説して公開しています。特に、数学などは同じ問題でも様々な解き方があり、同じ問題を解説した動画をいくつか見ることで問題の切り口に効率よく触れることができます。
もちろん自分で考えることも必要ですが、他者のアイデアにふれ、そのアイデアを適切な文脈で活用できるように訓練すれば効率的に知識の引き出しが増えます。他者の力を借りつつ、ですが鵜呑みにするのではなく自分で再解釈・咀嚼して適切に使えるようにする。
Youtubeは使い方次第で社会的学習を促す土壌になるのだと感じました。
多様性が重要…周囲の誰もが同じ方向に進んでいるときには、自分の情報源が十分に多様化されていないと考えるべきだ。その場合には、さらに広い範囲で探求を行うべきである。社会的学習は「集団思考」という大きな危険もはらんでいる。
「多様性が重要だ」と言われますが、では「なぜ多様性が重要なのか?」と問われると、答えるのはなかなか難しいかもしれません。情報源が多様化すれば、判断や行動におけるバイアスを減らすことができる。
集団全体でバイアスがかかっている場合、仮に方向性が誤っていた場合、方向転換する機会を逸失してしまうかもしれません。多様性を担保しつつも、集団として同じ方向に進んでいかねばならないとすれば、集団として望ましい判断・行動を取る上では「同質化」と「逸脱」を共存させる必要がある。矛盾しているように見える概念を矛盾なくつなげていくにはどうすればよいのでしょうか。
他人と反対の行動を取る人物が重要…人々が社会的学習とは無関係に行動している場合、彼らは独自の情報を持っていて、社会的影響の効果を打ち消すほどその情報を強く信じている場合が多い。そんな「賢人」をできる限り多く発見し、彼らから学ばなければならない。
「他人と反対の行動を取る人物が重要」という言葉は「逸脱の許容が重要」と解釈できるかもしれません。反対意見も適度に取り入れることでバイアスを減らしていく。
得てして反対意見はストレスを生むことがありますが「反脆弱性」の概念を思い出せば、適度なストレスはシステム全体を強くする、ネガティブな効果を補ってもなおあり余るポジティブな効果を生み出すことにつながります。
ですから、反対意見に耳を傾け、推進力に変換する術を身につけることが重要。だとすれば、反対意見に対してストレスを過剰に抱えることなく「傾聴する」力が磨かれた個人が多数存在する集団は、全体として反脆いのかもしれません。
こうした発見から、ある懸念が生まれる。私たちの「つながりすぎた世界」では、アイデアの流れが速すぎるのではないか、というものだ。エコーチェンバーの世界では、ブームやパニックが日常の光景となり、良い意思決定を行うことがますます難しくなる。
「つながりすぎた世界」では、無数の情報に囲まれ続けているだけでなく、インターネットでの検索・閲覧履歴等を用いて、自分の好みが分析され、偏った情報がプッシュされる可能性が高まります。
その意味で、情報やアイデアの流れを適切なものとするためには「ランダム性」を適度に取り入れることが必要なのだろうと感じます。その一つが情報源のランダム性、ということかもしれません。