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ファッションとは何だろう?

今日は『日本のデザイン』(著:原研哉)から「ファッションと繊維」を読みました。

昨日読んだ内容を少し振り返ると「創造性を飛躍させる媒質」というテーマに触れました。石器時代において石器が生み出されました。狩りなどに用いる先の尖ったやじり。石を数珠つなぎにした首飾りなど。

石器が生まれた背景には、「石」という素材(媒質)が人間の創造性を駆り立てたる力があるからではないか。石は人の手で砕くには硬いですが、石を打ちつけたり、石同士で磨くことによって、人が望む方向に形を変えることができる。つまり、創意工夫の余地がある。

あるいは「紙」という素材(媒質)。真っ白な紙に向き合うとき、そこには有り余る白が、何を書いても描いてもよい自由がある。それが想像力・創造力を駆り立てる。

また、石や紙は「さわり心地」がいい。ツルツル、ザラザラ、しっとり。その手触りや手応え、あるいは質量も創造性を駆り立てる原動力となる。

ふと、デジタル技術の発展に伴って現代社会では「手触りや手応えが希少」になっていて、人間の創造性を拓くためには「素材(媒質)」との出会い、付き合いが大事になるのではないだろうか、と思ったのでした。

さて、今回読んだ範囲では「ファッションとは何か?」というテーマが展開されていました。

ファッションとは何だろう?

「ファッション」という言葉は身近な言葉ですが、では「ファッションとは何ですか?」と問われたらどのように答えるでしょうか。

ところで、ファッションとは何だろうか。日本のハイテク繊維を再びファッションの先端に、という依頼を受けた時、そういう疑問がふと頭をよぎった。人間の生き方やライフスタイルのことなのか、産業の仕組みの話なのか、流行やトレンドの問題なのか。

ファッションという言葉から「衣服」を連想してしまいますが、衣服を指すならば「衣服」という言葉を用いれば十分であるはず。fashionという言葉にある奥行きを捉えてみたい。そこで辞書でfashionを引いてみると次のように定義されています。

Something that is popular or thought to be good at a particular time.(時流に乗っている、あるいは良いと思われるもの)

著者の言葉にある「流行やトレンド」は定義に当てはまりそうです。では、この流行やトレンドを作っているのは誰かといえば、作り手であり、使い手である。何かを使うことは「生活する」ということでもある。だとすれば、その時々で使い手一人ひとりの生活に溶けこんでいくもの。ライフスタイルという言葉もファッションには包含されているように思えます。

ファッションはその本質においては人生の芸術である。しかし一方では巨大な経済を生み出すまぎれもない産業である。シルクや綿、麻、羊毛といった天然繊維から糸を紡ぎ、それを千変万化の仕立て方で生地に織り上げ、さらには才能ある服飾デザイナーの手によって生地は百花繚乱の衣服として表現され、流行の大波に乗せて世界へと送り出されていく。原料から流行の衣服へと変化する中に、めくるめく付加価値を発生させ、大きな経済を巻き起こしていく。それがファッション産業である。

繊維が紡がれ、織り上げられ、運ばれ、使われていく。川の流れのように、大きな糸の流れがあるのだと思わされます。完成品に目を触れてばかりで、実際にその過程をどこまで理解しているだろうか。どのような人がどのように関わって、自分の手元に届いているのだろうか。ふとそのようなことを思ったのです。

どこでどのように作られたものが自分の手元に届いているのか。繊維だけではなく、自分が触れるもの、購入するもの。そのルーツを辿っていくことで自分が何かを選ぶ基準も変わってくるのではないか、と思います。

繊維のデザインと美意識

日本の先端繊維について、著者は「世界で評価されるわけにはいかない」と述べます。一体どのようなことなのでしょうか。

日本の先端繊維は、「世界で評価される」わけにはいかない。なぜなら、すでに作られたファッション情報の流れに乗るということは、フランスやイタリアの産業の隆盛を加速させることと同義だからだ。求めるべきは「評価される」ことではなく、世界で「機能する」ことだ。まずは日本独自の新しい繊維情報の流れを主体的に生み出していくことである。そして「ファッション」からはむしろ程よい距離を置いて、衣服に限定されない、生活空間を通して人間をひとまわり大きく包含する新たなクリエイションの領域を生み出さなくてはならない。人間、環境、繊維が交差するところに、何か新しい価値、そしてときめきを見つけ出していかなければならないのである。

ファッションから程よく距離を置く。それは、繊維の可能性に目を向けること。素材の質感、風合い、機能性。繊維がどのような場所でどのように使用されているのか。可能性は、素材とその使い方を含む総体としての「文脈」の中に拓かれると思うわけです。

ふと、繊維で思い出しのは「Warka Water」という竹製の装置です。竹の骨組みに特殊な繊維が張り巡らされて、大気中の水分から飲み水が作られるものです。手軽に組み立てることができ、持ち運びも簡単で、何より美しい。

その土地のシンボルであるWarkaの木を模していて、その土地の文化に調和している。文化や精神性などを含む繊維のデザインの可能性は無限に広がっている。繊細、丁寧、緻密、簡潔。日本に通底するこれらの美意識が触媒となってその可能性を広げていくことができるのではないか。著者の言葉を受けてそのように思ったのでした。

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