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「細胞が分裂していくだけでは、大きくなることはできるが、その結果として形を作ることはできない」ということ〜負のフィードバックループ、成熟、そして抑制的な充実〜

生物は自らが自らを作り上げていくオートポイエティック(自己生成的)なシステム。

自己生成の鍵の一つは「細胞分裂」つまり「自己複製」にあり、父方と母方から23本ずつ受け継いだ合計46本の染色体が2倍の92本になり、元の細胞とコピーされた細胞のそれぞれに46本の染色体が入るようになっています。

染色体の最末端には染色体最末端を保護する役目をもつ「テロメア」という構造があり、細胞分裂のたびに短くなります。人間の場合は50回ほど分裂するとテロメアがなくなり、染色体が構造を保てずそれ以上は分裂することができなくなってしまう。つまり、テロメアの長さと、テロメアの短くなり方で寿命が決まってくるというわけです。

こうしたメカニズムによる細胞分裂の限界は「ヘイフリック限界」と呼ばれています。

生物について学ぶ中で「ただひたすら細胞が分裂していくだけでは、大きくなることはできるが、その結果として形を作ることはできない」という言葉に出会いました。

「かたち」について想いを巡らせるとき、私たちは暗黙的に「有限の大きさ」の事物のかたちを考えているのではないでしょうか。「地平線の向こう側」を含めてかたちを考えることができるのか、無限の大きさを持つような物事のかたちはどのように定義できるのか。

かたちとは「要素と要素のつながり」であり、有限な空間における一つの「秩序」のあり方とも言えるかもしれません。

自己生成は、自己増殖(正のフィードバックループ)と増殖抑制(負のフィードバックループ)の2つの組み合わせでできている。自動車で例えるならばアクセルとブレーキであり、刀で例えるならばと刀身と鞘に対応するでしょうか。

日常生活において「成長」という言葉はよく聞かれますが、「抑制」に対応する言葉はあまり聞かれないように思います。そうした非対称性の積み重ねで社会のバランスが崩れてしまう、社会に内在する生命性が損なわれてしまうのではないかと思います。

もし「抑制」という言葉にネガティブな印象を伴うのであれば「成熟」と捉えても良いかもしれません。成熟という言葉には「抑制的な充実」が内在しているように思います。

「成熟」にかぎらず、抑制的な充実を内包する言葉が、もっと身近に聞かれるようになると良いと思うのです。

話を元に戻そう。なぜ細胞は死ぬのだろうか。一番最初の生物は、今から三八億年前に発生したといわれる。その生物とはバクテリアである。それどころか、以後しばらくは地球上にいる生物すべてがバクテリアだったのである。バクテリアにはヘイフリック限界がなく、どんどん分裂する。原理的には不死なのだ。

池田清彦『初歩から学ぶ生物学』

死ぬことができるのは、生物が獲得した能力なのである。なぜ死ぬのが能力なのか。おそらく2nの細胞は、死ぬことができるようになってはじめて多細胞になることができた。つまり、私たちが多細胞生物である限り、個体が死ぬことは免れ得ない運命なのである。死ぬのは嫌だという人は、nの原生生物に戻ればいい。アメーバになれば死なないですむかもしれないのだから。

池田清彦『初歩から学ぶ生物学』

心臓の細胞や脳の細胞は、あるところまでいくと必ず死ぬと述べたが、「プログラムされた死」があり、これをアポトーシスという。逆に事故や病気などの原因で死んでしまうのは、ネクローシスという。ネクローシスとアポトーシスは同じ死でも全く違っており、アポトーシスとは死ぬべく運命付けられた死なのである。なぜそれが重要なのか。人間をはじめとした多細胞生物は、細胞の死という奇妙な方法により形を作っているからだ。ただひたすら細胞が分裂していくだけでは、大きくなることはできるが、その結果として形を作ることはできない。

池田清彦『初歩から学ぶ生物学』

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