見出し画像

「物事の複雑性」と「ありのまま」

ある物事、あるいは事象を説明しようとするとき、それらを成す要素が無数にあり、かつ複雑に絡み合っている場合、「要素」と「つながり」を捨象することなく、余すことなく説明することは可能だろうか。

竹を割るように、物事をAとBに分割し、さらにAとBをそれぞれCとD、EとFに分割し…と、哲学者・数学者であるルネ・デカルトが言うところの「困難は分割せよ」のように、分割されたものの間に重なり、あるいはつながりがない意味で「きれいに」分割できるならば、分割された各々に対して説明を与え、順番に統合すれば、物事の全体を成す「要素」と「つながり」を捨象することも、余すこともなく説明が可能であるかもしれない。

けれど、物事を成す要素同士が複雑に絡み合っているときは、「困難は分割せよ」方式では、物事の一部を削ぎ落とすことが必要となるかもしれない。

そう思うと、「"ありのまま"をありのまま捉える」方法が必要であるように思えるし、それは「説明」というより「場の共有」という形に近づいてゆくのではないかと想像している。

今天然に起る現象を予報せんとする際に感ずる第一の困難は、その現象を限定すべき条件の複雑多様なる事なり。

寺田寅彦『万華鏡』

実験室において行う簡単なる実験においてはこれら条件を人為的に支配し制限し得る便あり。しかも最も簡単なるデモンストレーション的実験においてすら、用意の周到ならざるため、条件のただ一つを看過すれば実験の結果は全く予期に反する事あるは吾人の往々経験するところなり。これらの失敗に際して実験者当人は、必要条件を具備すれば、結果は予期に合すべき信ずるがゆえにあえて惑う事なしとするも、未だ科学的の思弁に慣れず原因条件の分析を知らざる一般観者は不満を禁ずる能わざるべし。また場合により実験の結果が半ばあるいは部分的に予期に合すれば実験者たる学者はその適合せる部分だけを抽出して自己の所説を確かむれども、かくのごとき抽象的分析に慣らされざる世俗は了解に苦しむ事もあるべし。かくのごとき困難は天然現象の場合に最も著しかるべし。試にまず天気予報の場合を考えん。

寺田寅彦『万華鏡』

いいなと思ったら応援しよう!