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物事は順番が大切。反脆くなるためにまずダウサイドを抑える。

今日は『反脆弱性』(著:ナシーム・ニコラス・タレブ)から「壊れた小包の不可逆性について」を読みました。

失うものがない人は反脆い。ダウンサイド(潜在的損失)を抑えれば、その後に起こる出来事のほとんどをアップサイド(潜在的利益)として享受することができます。

それはストア哲学の実践者であるセネカが言うところの「善行」にもつながっていて、「もとからあげるつもりだった」と見返りを求めない態度のもとでは失うことを気にする必要がありませんので、その後に何が起こることは全て善きこと(アップサイド)として享受できるわけです。

反脆さを実現する最初のステップは、アップサイドを増やすよりも、まずはダウンサイドを減らすことだ。つまり、負のブラック・スワンに対するエクスポージャーを抑え、自然な反脆さを機能させるわけだ。

反脆さを実現する最初のステップは、ダウンサイドを減らすこと。

「物事は順序が大切だ」と言われますが、アップサイドを増やすよりも先にダウンサイドを減らすことから。自分を省みたとき、一度失ってしまうと取り返しのつかないこと、元には戻らないような物事。何があるでしょうか。

脆さを緩和するのは、選択肢ではなく必須条件だ。この点は当たり前にも聞こえるが、見落とされているようだ。脆さというのは、末期の病気と同じでとても残酷だ。手荒い扱いを受けて壊れてしまった小包は、適切な状況を回復してやれば自然と元に戻るなんてことはない。脆さは歯止め装置のようなもので、いったんダメージが発生すれば逆方向には戻らない。重要なのは、単なる最終的な結果ではなく、それに至る経路、つまり出来事の順序だ。科学者はこれを「経路依存性」と呼んでいる。

重要なことは結果に至る経路、出来事の順序にある。脆いシステムは一度でも崩壊してしまえば、その後に元に戻ることはない(あるいは、長い時間がかかる)。つまり、その後のアップサイドを享受する可能性がゼロになってしまう。

小包を「人」に置き換えてみると、より身近に感じられるかもしれません。ある人の身体や精神が壊れてしまったとしたら、完全に元の状態に戻ることは難しい(あるいは長い時間がかかる)ということは少なからず理解できるところではないでしょうか。

だからこそ崩壊する前に、立ち直れなくなる前に、そのような状態に至る可能性(ダウンサイド)を減らしてゆくこと。インフラ(物質的、制度的)を整えることで、社会から「脆さ」を取り除こうとしてきた。反脆い社会とは「立ち直れなくなる可能性を最小化する社会」あるいは「誰もが再起できる社会」とも言えるかもしれません。

つまり、システムが脆ければ、改善や"効率化"の努力が崩壊のリスクによってみんな無意味になってしまうということだ。それを防ぐには、まず崩壊のリスクを抑えるしかない。(中略)GDP(国内総生産)を成長させるのは、未来の世代に借金を先送りすれば簡単にできる。そして、その借金の返済を背負わされれば、未来の経済は簡単に崩壊するだろう。(中略)墜落のリスクが高い飛行機は、目的地に着かない可能性があるので、"速度"という概念が無意味になる。これと同じで、脆さの潜む経済成長は、成長とは呼べない。

「脆さの潜む経済成長は、成長とは呼べない」

「その借金の返済を背負わされれば、未来の経済は簡単に崩壊するだろう」と著者は述べているように、世界・社会は人口、環境など様々な要素で構成されるシステムとして捉えると、一度でも崩壊してしまえば元に戻らなくなる可能性がある。

経済成長のいたずらな追求が社会の「脆さ」につながる可能性がある。以前、「部分が反脆くなると社会全体が脆くなり、部分が脆ければ社会全体が反脆くなる」と著者が述べていたことを思い出しました。

「部分が脆いことで新陳代謝が促される結果、全体が強くなる」というのがその要諦ですが、新陳代謝とは「流れが循環し続けること」とも捉えられ、ダムのように流れを堰き止めているものを取り除いてゆくことが「反脆さ」を生み出すのかもしれません。

流れを堰き止めているものには何があるでしょうか。個人のプライドや、富の独占なども含まれてくるでしょうか。反脆さへの興味は尽きません。

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