触覚を視覚的に表現するとは?
今日は『触楽入門 -はじめて世界に触れるときのように-』(著:テクタイル)から「目の見えない人が描いた触感の絵ってどんなもの?」を読みました。
昨日は「オノマトペ(擬音語・擬態語)」を題材に、音と触感がつながっていることにふれました。サラサラ、ザラザラ、ネバネバ…。日常生活の中で自然と使っているオノマトペ。日本語はオノマトペが豊かな言語のひとつでオノマトペ辞典には4500語も紹介されているそうです。
オノマトペを使うと物事の様子・印象がありありと思い浮かびます。一方、ヨーロッパの言語にはオノマトペがそれほど多くないようです。2004年に国立ベルリン芸術大学に客員教授として招聘された阿部雅世さんのプロジェクトが紹介されていました。そのプロジェクトは「触り心地を表現する言葉をデザインする」というテーマで、グローバルな共通語としての「ハプティック語(ハプティックは触覚的の意)」をつくるというものでした。
「パランパラン」「スプレティヒ」「ラフリック」「ジェミー」といった、いくつかのハプティック語が紹介されていました。それらの言葉を発音してみて感じた印象と意味が重なっているものもあれば、そうでないものもありましたが、いずれにしても言葉の発音・語感があたかもそのものに触れたかのような感覚を作り出している。そんなことを思ったのでした。
さて、今回読んだ範囲では「触感の視覚的表現」というテーマが取り上げられていました。
触感を視覚的に表現するとは?
著者は、触感を視覚的に表現する方法として「モノを例示する方法」と「モノを例示しない方法」があるとして、モノを例示する方法について次のように述べます。
たしかに、タオルがゆっくりと時間をかけて元の形に戻っていく様子を見ると「ふんわり・やわらかい」という印象を受けます。「原触」に関する研究結果では、触感の80%が「硬軟・乾湿・冷温・粗さ」の4つで説明できると明らかにされていたことを踏まえると、他にもイメージが浮かびます。
例えば、「乾湿」という観点では、たとえばハンドクリームのCMが思い浮かびます。肌がカサカサした様子とハンドクリームを塗った後のしっとりとしたツヤのある様子を対比させることで、視覚的に「乾湿」を際立たせています。
触感の視覚表現は、何かを効果的に伝えるために実にうまく使われているのだと実感しました。
目が不自由な方は世界をどのように描くのだろう?
著者は「モノを例示せずに、自分の感覚(心的イメージ)そのものを描く」ことについて、目の見えない方が描いた絵を参照します。
カナダにあるトロント大学の心理学者であるジョン・ケネディ博士は、乳児のころに視力を失った方がどのような絵を描くのかを通して、触覚と視覚の関係を研究しているそうです。
掲載できませんが「John M Kennedy, Metaphornic pictures devised by an early-blind adult on her own initiative. Perceptron, 37(11): 1720-1728」から引用された画像が本書には転載されていますので、もしご興味があれば調べてみてください。
たしかに、泳いでいるときに手足、身体を撫でるような水の流れが線で表現されています。また、お酒の入ったグラスが書かれていますが、その酔いのフラフラとした感覚が波のような線で表現されています。見えなくても表現することはできるし、とても繊細な表現に心を打たれました。
書籍『手の倫理』でも触覚的な世界の捉え方について言及されていましたが、世界の見え方・捉え方の違いが「倫理観」の違いとなって立ち現れる。触覚での認識のためには、距離を縮めなければなりません。人と人との関係で言えば、他者を信頼して距離を縮める必要があります。
触覚的に世界を捉える。それは距離を縮めてゆくこと、感覚を研ぎ澄ませること、実感を伴うこと。そんなことを思いました。