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適切な情報のデザインは「よどみない流れ」をつくる
今日は『日本のデザイン』(著:原研哉)から「瀬戸内国際芸術祭」を読みました。
昨日読んだ内容を少し振り返ると「情報のデザイン」というテーマに触れました。「情報をデザインする」とはどのようなことでしょうか。情報が適切にデザインされている事例として、アメリカの国立公園が紹介されました。
世界で最初に国立公園が設立されたのはアメリカです。十九世紀半ばから二十世紀初頭にかけて、イエローストーンやグランドキャニオンなどを人為的な破壊から守るために保護法を制定していった流れがあります。
国立公園における情報のデザインの立役者はマッシモ・ヴィネリ(グラフィックデザイナー)。彼は地図を読みやすく美しく手掛け、写真や文字のレイアウトを整理し、パンフレットなどの広報ツールも統一したそうです。
国立公園を訪れる人々の経験が豊かなものとなるように支援する。期待に胸を膨らませ、散策時には様々な気付きを得るのに必要十分な情報を届ける。情報を適切にデザインすることの核心は「情報が触媒的であるか?」という問いに還元されるのではないか。
情報を届ける側の押しつけにならないよう配慮が行き届いていること。「語らずに語る」ということ。そんなことを思ったのでした。
さて、今回読んだ範囲も引き続き「情報のデザイン」というテーマが展開されていました。舞台は瀬戸内国際芸術祭です。
適切な情報のデザインは「よどみない流れ」をつくる
瀬戸内国際芸術祭は、瀬戸内海の12の島々と2つの港を舞台に開催される現代アートの祭典です。3年に一度の開催で、今年2022年は開催年とのこと。ぜひ足を運びたいと思っています。
瀬戸内国際芸術祭の企画に関わった著者は「移動を中心とした情報のデザインを重視した」と言います。
したがって、メインヴィジュアル以上に重視して着手したのは、移動を中心とした情報のデザインである。ロゴマークの脇には必ず、七つの島々を結ぶダイナミックな移動ルートを示す、サブヴィジュアルを配した。これが「海上移動」のイベントであることへの周知を促すためである。そしてできるだけ使いやすいかたちで、移動のための情報検索ツールを作ってみたのである。高松市が率先して交渉し、連絡船を増便させたのを受けて、そのルートと時刻表をわかりやすいダイアグラムに整理した。そしてそれらを携帯電話やタッチパネルデバイスのアプリケーションとして展開し、無料でダウンロードできるようにした。
アートサイトや施設が点在する島々をつなぐ移動手段は船ですが、タクシーに乗ってサッと移動する陸路に比べれば複雑です。その動線がスムーズであればあるほど、展示を眺める時間、移動する時間、その他の時間の総体としての経験は充実したものとなります。
「ロゴマークの脇には必ず、七つの島々を結ぶダイナミックな移動ルートを示す、サブヴィジュアルを配した」とのことですが、決して目立たず、一方で必要十分な情報を届けて「移動に対するポジティブな意識」を歓喜する。
ルートや時刻表を整備して「流れ」が滞らないようにする。意識の流れは身体の流れを経て、人の流れにつながってゆく。「情報のデザイン」を考える際には「何が流れているだろうか?」「流れが滞っているところはどこだろうか?」という問いを立てることが重要なのかもしれないと感じました。
情報とは「不確実性を減らすもの」
著者は「更に重要なのは地図である」と述べます。
更に重要なのは地図である。島々の港に着いた人々は、バスなどの公共の移動手段を用いつつ、主には自分の足で、島内各所に設けられたアートサイトを次々と探し当て、訪ね歩いて鑑賞しなくてはならない。この繰り返しが、瀬戸内国際芸術祭の実態なのである。したがって地図には高い信頼が寄せられなくてはいけない。地図が不正確で間違った情報を与えるようだと、来場者の志気はなえ、アートを訪ね歩く意欲は半減する。したがって、僕らが提供する地図はgoogle earthの何倍も詳細でわかりやすく、しかも美しくなくてはならない。
「地図が不正確で間違った情報を与えるようだと、来場者の志気はなえ、アートを訪ね歩く意欲は半減する」との著者の言葉はそのとおりだと思います。ここで情報理論を借りて著者の言葉を咀嚼してみたいと思います。
情報理論(Information Theory)において「情報は不確実性を減らすもの」、つまり「情報量は不確実性の減少で測られる」ものとされ「エントロピー」という量で測られます。逆に言えば「不確実性の減少につながらければ情報(量)がない」ということになります。
初めて訪れた場所は地理感覚がないため、移動に伴う不確実性は高いです。地図を見て向かうということは、目的地に辿り着かない可能性(不確実性)を減らすことを意味します。辿り着いた場所が全く違う場所だったとしたら、その地図は不確実性を減らさなかったということで情報量はゼロです。
「したがって地図には高い信頼が寄せられなくてはいけない」と述べられていますが「信頼とは不確実性が小さいと信じること」と言い換えることができます。これは人に何かを頼む時など「信頼」という言葉が使われる文脈に広く当てはまると思います。
最後に「美しくなくてはならない」と添えられていますが、「美しい」とはどういうことでしょうか?
地図を見ても疲れない。むしろ何度でも見たくなる、ワクワクする。適切な情報のデザインは「関心を惹きつけ、意識を喚起する」ものである。そんなことを思いました。