触感と触覚。主観と客観。
今日は『触楽入門 -はじめて世界に触れるときのように-』(著:テクタイル)から「あたたかい手と冷たい手、人に信頼してもらうにはどちらがいい?」を読みました。
ふれるにまつわる言葉。触感と触覚はどのように違うのでしょうか。著者は次のように述べています。
触感は主観的。だとすると触覚は客観的?
客観的であるとはどういうことでしょうか。
客観的な対象とは「だれもが観察できる、外の世界にあるもの」のこと。
言いかえると「人それぞれであってはならない世界」のこと。
『新しい自然学』という書籍の中で「科学とは、観察語と論理語によって語られる意味体系である」とも述べられていました。
同じ方法で観察すれば、誰もが同じように認識できること。その観察を論理でつなぎあわせて、意味を形づくってゆくこと。共通のモノサシとも言えるかもしれません。
一方、「観察」という行為には観察の対象と、それを観察する主体(人)という関係性が不可欠です。その観察する主体がどのように受けとるか、感じとるかはどこまでも主観の世界が入り込むように思います。
主観と客観を相反する概念のように区別していますが、そこには明確な線が引かれているのでしょうか。
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