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「自分を拡張するモノ」としての楽器

今日はミハイ=チクセントミハイ(アメリカの心理学者)による『モノの意味 - 大切な物の心理学』の第3章「家の中でもっとも大切にしている物」より「楽器」を読みました。では、一部を引用してみたいと思います。

今回の調査で、楽器は本やステレオと同様に五分の一の人からあげられた物である。ステレオと同じように、言及頻度は年少世代でもっとも高く(三二パーセント)、成人でその半分(一七パーセント)、高年齢層では三分の一(一〇パーセント)というように、ここでも年齢とともに音楽の重要性が低くなっている。楽器を大切にする理由で、もっとも多いものが「自己」(二四パーセント)と「経験」(二二パーセント)に関するものである。以下、「肉親」(一七パーセント)、「思い出」(一〇パーセント)、「個人的価値」(九パーセント)と続いている。
 似たような理由は、バリトン・ウクレレが好きだという別の男性からもあげられている。
 そう、私は音楽を愛しているんですよ。大学時代に演奏を始めました。これを演奏していると、大学時代の楽しい思い出がよみがえってきます。演奏するのは楽しいし、家族もみんな音楽が大好きです。妻と私はこのウクレレで楽しい経験をたくさんしました。これには音楽の楽しさと思い出が込められているのです。
 この例を見ると、ひとつの物の中にいろいろな意味が複合的に組み合わさり、凝縮されていることがわかる。楽器は、彼が音楽表現における技能を発揮することを可能にするし、過去の楽しみを再現する一方で、現在も楽しむことができ、同時に愛する人たちと楽しみを分かち合うことも可能にする。この事例で、ウクレレは多面的な経験の触媒である。それは単に音を発する道具ではなく、さまざまな楽しみの感情の道具でもある。演奏することによって、この男性は過去を取り戻すとともに、自分の気持ちと周りの人の気持ちとを結びつける。

いわゆる「楽器」だけでなく「自分の声」も楽器に含めれば、誰しもが楽器の経験があるのではないでしょうか。歌うことは、自分の声という楽器を奏でるということですから。

私自身、音楽に興味を持ったのは小学生の頃。当時仲の良かった友人がピアノを習っていたのですが「レッスンが大変...」という話を聞いて、なんだか楽器が縁遠いもののように感じていました。ですが、歌がとても大好きで、楽譜は読めないけれど、歌を歌っているときに自分の声が自分の身体を包み込んでいるような安心感と、自分が外に解放されてゆくような感覚が同時にやってきて、それこそ夢中になっていました。

それから中学校に入学して、吹奏楽部でサックスを始め、メタル好きの部活の同期に誘われてエレキギターを触り(早弾き...)、社会人になってからは沖縄で縁のあった三線とウクレレにハマり...。と、色々な興味のある楽器に触れてきました。

どの楽器もそれぞれに個性があります。練習を積み重ねて技術を習得する過程は楽しいばかりではありませんが、それでも技術を習得して演奏できる曲の幅も広がると楽しくなります。

個人で演奏すること、誰かと一緒に演奏すること。それぞれに異なる意味が感じられます。誰かと一緒に演奏するときは、自然とにじみ出てくるその人の個性(人柄や技術の総体としての音楽性)を感じとり、「呼吸を合わせる」必要があります。その「呼吸を合わせる」つまり「同期(シンクロニシティ」の中に「つながっている」という感覚を覚えます。

「自分にとって楽器はどのような存在か?」という問いについて、自分なりに振り返ってみると、楽器は自分の身体の一部になるというのか、「自分を拡張してくれるモノ」と言えるような気がします。

「"自分を拡張する"とはどういうことか?」という問いをもう少し紐解いてみると「自分にはこんな可能性があったんだ」と気づかせてくれたり、演奏を通じて「誰かとつながる」きっかけを与えてくれたり。「関係の拡張」とも言えるかもしれません。

自分自身との関係、自分以外の誰かとの関係、自分と楽器との関係。知っているようで知らなかった、既知の何かと「出会い直す」きっかけを与えてくれる存在。

本書のインタビューは1977年に行われたものですが、楽器を大切にする理由として「自己」「経験」が上位に入っていると知って、インタビューに答えた人達と、どことなくつながったような気がしました。

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