感情の同期(シンクロニシティ)
人間関係を「人と人の間の流れ」として捉えてみると、「何が人と人の間の流れを妨げるのだろう?」という問いが浮かんでくる。
その問いの答えを書籍『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』を読み進めながら探ってみたい。今回は「感情」と「同期」がテーマとなっている。
いくつかの言葉を引いてみたい。
振動数の異なる音が重なると「うなり」が生じるように、感情も一つの波として捉えてみる。感情が穏やかな時は穏やかな波が、激しい時は激しい波が自分の内側の泉に生じているとイメージしてみると、案外そんな気もしてくるのではないだろうか。
波は「媒質」を通して伝わる性質を持つ。媒質とは例えば、空気や水など何かを満たしているものである。空気があるから空気の振動としての音が伝わるし、逆に真空中では音は伝わらない。
とすると、「感情を伝える媒質とは一体どのようなものだろう?」という問いが思い浮かぶ。表情、声色、握手の強さ、あるいは目にした文章のニュアンスなどから相手の感情を察する。察しが正しいかどうかは分からないが、視覚、聴覚、触覚といった五感を通して伝わってきた情報が、自分の内側の感情に作用して感情の波を生み出しているかもしれない。
波は振動なので、正反対(=位相が真逆)の波をぶつけると打ち消しあう。引用した言葉からは感情も似たところがあるように思える。気持ちが沈んでいる時に喜びを分かちあおうとされても素直に受け入れられないこともあるかもしれない。
余談だが、脳科学者の中野信子さんは「悲しいときに元気な曲を聴くとより悲しくなる」と述べており、これを「同一性の原理」と説明している。「意外かもしれませんが、その時の気分に通じる曲を聴いたほうがいいんです」とも述べていて、共鳴・同調(シンクロ)の重要性が示されている。
相手はどのような気持ちなのだろうか。目の前にいる人、いない人。通信技術が発展した現代では顔の見えない状況でもコミュニケーションを取ることが自由にできる。
感情の波を感じ取り、重ね合い、同期してゆく。感情の波は往々にして一定ではないから一筋縄ではいかない。時間がかかるかもしれないけれど、互いに歩み寄ってゆくプロセスを大切にしたいものである。