触感=素材×身体×心のイメージ
今日は『触楽入門 -はじめて世界に触れるときのように-』(著:テクタイル)から「普通の紙からいろいろな触感を引き出してみよう」を読みました。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスが「触覚はあらゆる動物がそなえている」と述べているように、動物は他の存在を知覚できなければ、生命維持に必要な栄養を摂取することができず息絶えてしまいます。その意味で触覚は原初の感覚です。
視覚や聴覚が発達してくると、それらの感覚の情報量の多さが触覚体験を塗りつぶしてゆき、触覚体験は無意識的になってゆく。(現状は視覚・聴覚優位の)デジタル技術の発展がもたらしたコミュニケーションにおける心身分離(触覚体験に根ざした"リアルな"つながりの希薄化)という問題にもつながっていそうです。
今回読んだ内容は「触感はどのように生まれるのか?」という問いを考えるきっかけになるものでした。
「ふれ方が変われば触感も変わる」ということ
著者は「私たちは目的にかなった触感を引き出すような触り方をしている」と述べます。
「触探索動作」という言葉が用いられました。あらためて、自分の日常の中における「触り方」を思い起こしてみたいと思います。
例えば、「すべすべ」を感じたければ表面を軽くなぞります。
「ふんわり」を感じたければ、ゆっくり・軽く力を入れます。何かを慈しむというのか、壊さないようにというか、そんな感覚です。決して「ギュッと」力を入れて「ふんわり」を感じようとはしていないと思います。
「ぷるん」という弾力を感じたいときや、何かにグリップを効かせたいとき、押し込みます。
食事のときも歯や舌で食材にふれています。
何か硬いものを食べるときは、ギュッと力を込めてかむと思います。あるいは「ザクザク」「パリパリ」などの音を楽しむときも、しっかり力を入れるのではないでしょうか。
あるいは、ふんわりしたもの、例えばアイスクリームやかき氷などを口にするときは、その「なめらかさ」を味わうために歯で噛むというよりも舌で「ふんわり」と包み込むようにふれているように思います。
たしかに、触れるものの「らしさ(心地)」にあわせて触れ方を変えていると思いました。
触感=素材×身体×心のイメージ
著者は「触感に3つの要素が関係する」と述べます。
素材・身体・心的イメージ。
この重ねあわせによって「触り心地」が生まれている。特に興味深いのは、心的イメージです。
素材と向きあうとき、無意識のうちに「おそらくこの素材はこのような質感だろう」と推測しながら触り方をコントロールしているのかもしれません。「素材のキメ(肌理)」という視覚情報、そして過去の経験の蓄積を参照しながら触感を推測しているのだと思います。
この点については、後日「アフォーダンス」という概念を提唱したアメリカの心理学者ジェームズ・ギブソンの著書を参照しながら理解を深めたいと思います。
話を戻すと、著者は「赤ちゃんの肌のサンプル」に触れたことがあるそうです。
赤ちゃんの肌のサンプルはそこまで気持ちのよいものではなかった。著者の体験の共有はとても新鮮でした。赤ん坊の気持ちになる、赤ん坊に対するイメージが触れ方に投影される。たしかにそうなのかもしれません。
他者とのコミュニケーションを「ふれあい」と表現しますが、触感の3つの要素「素材・身体・心的イメージ」を手掛かりに「ふれあい方」について考えることができるのではないでしょうか。
素材を他者と捉え、「ふれあい」が「他者・身体・心的イメージ」の3つの要素から構成されていると考えてみます。以前『わかりあえないことから』(著:平田オリザ)を読んだ際に「身体のセンス」という言葉が用いられていましたが、たしかにここでも「身体」が登場します。
何かに「ふれている」瞬間。その境界(インターフェース)を調整することで「ふれあい方」を変えている。
相手に抱く心的イメージ(先入観や期待など)が「ふれあい方」に影響しているならば、先入観を払拭したいとき、乗り越えたいと思うときにはたしてどうすればいいのでしょうか。
その鍵は「身体(インターフェース)」にありそうです。
相手に話すきっかけが見つからない。どのように話したらいいのかわからない。相手が本当に伝えたいことが検討もつかない。そのようなときは「場面」を変えてみたり、自分の身体の使い方を変えてみるのがよいのかもしれません。
「身体の使い方を変えてみる」というのは、たとえば自分が話をしたくない相手と対峙した時の気持ちや身体の緊張をゆるめてみる。鏡の前で思いきり笑顔を作ってみる、深呼吸をしてみるなどです。
相手に対する心的イメージ(意識や気持ち)を変えるのではなく、身体の使い方を変えてみることで結果的に心的イメージが変わることもあるように思います。意識を変える前に身体の使い方を変える。ふれ方を変える。
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