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働きかけていないのに、働きかけているように感じる?

今日は『触楽入門 -はじめて世界に触れるときのように-』(著:テクタイル)から「絵の上に指を置くと因果性が生まれる?」を読みました。

昨日は「共通感覚」というテーマにふれました。共通感覚とは哲学者のアリストテレスが作り出した哲学用語で、複数の感覚で共通して感知されるもののことです。

「甘い」という言葉を例に取ると、「食べ物が甘い」という文脈では味覚に関連しています。ですが「甘い」は味にかぎらず、「刃先が甘い」(鈍い、切れ味が良くない)や「考えが甘い」など他の文脈でも使われますが、味に関する意味で使われてはいません。「刃先が甘い」という文脈では、実際に切っ先が何かに触れることで切れるわけですから、ここでの甘いは「触覚」に関連しています。

味覚と触覚の間で何か共通して感じ取っているものがある。だからこそ感覚に根ざした一つの言葉が複数の感覚に対応する意味を持っている。身体感覚は統合的であるとあらためて感じました。

さて、今回読んだ範囲では「身体と因果性」というテーマが展開されていました。

働きかけていないのに、働きかけているように感じる?

「指を置く」ことで自分が主体的に働きかけているような感覚を覚えることがある。著者は次の事例を紹介してくれました。

安室奈美恵さんが歌う「Golden Touch」という楽曲のPV(プロモーションビデオ)では、指を置くことの主体性を動画に拡張しています。画面の中心に指をおいて、動画を眺めるのですが、指の置かれている位置で風船が割れたり、ブラインドが開けられるといった短いシーンが次々に提示されることによって、動画が勝手に変わっているにもかかわらず、動画の中の世界に対して自らが働きかけているかのように感じるのです。

取り上げられていた安室奈美恵さんのPVを実際に見てみました。画面の中心に丸で囲まれた小さなハートマーク(❤︎)があり、「ここに指を置いて!」と語りかけています。

実際に指を置いてPVを見てみました。すると、たしかに著者が述べるように自分が働きかけて映像の中にストーリーが展開されているような気がしてきます。もしご興味あれば、実際に試してみてください。論より証拠です。

これもまた因果関係の誤認であり、自分のおかげで世界が変わっているという感覚のあらわれです。私たちが自然に持っているこの感覚は、自己主体感(Sense of Agency)と呼ばれ、世界の認知科学者が関心を寄せています。

自己主体感(Sense of Agency)という言葉が登場しました。たしかに因果関係の誤認ではありますが、それでも「自分が何か働きかけている」という感覚は、自分と対象の間にあるスキマを滑らかにつなげてくれる。不思議とワクワクする。

「働きかける」とは「自分から何かを起こす」との意味で捉えていますが、もう少し柔軟に「自分が働きかけたように感じること」が主体性を感じる事が根幹にあるのだと気付きました。

手の動作は注意を引きつける

著者は「手の動作は、因果性や能動性の象徴である」と述べます。

さきほども述べたように、手の動作は、因果性や能動性の象徴となっています。それでなくても指は、方向を指し示したり、対象物へ注意を向けたり、自然と注意を惹かれるものです。ミケランジェロの「アダムの創造」や、それをモチーフにしたスティーブン・スピルバーグの映画「E.T.」で指と指が触れ合っているのも、人間の感覚をくすぐるものだからではないでしょうか。人間にとって指先とは、注目せずにはいられない、誘惑的な意味を担っているのです。

スティーブン・スピルバーグ監督の映画作品『E.T.』は、幼い頃に鑑賞したことを今でも覚えています。「指と指が触れ合う」というのは、相手との距離を縮めてゆく営みです。互いを信頼しあっていない状況では難しいのではないでしょうか。

指が動く動作。何かを指し示したり、自分に注意を向けたり。そこには確かに意識を集中させる、注意を惹きつける何かがあります。

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