「自然を模倣する」という考え方
今日は『植物は<未来>を知っている 9つの能力から芽生えるテクノロジー革命』(著:ステファノ・マンクーゾ 他)から「青銅器時代から未来まで」を読みました。
植物が環境に適応する。それは自らの構造・形態・機能を変化させ、生存に必要なエネルギー、物質の獲得を効率化することと言えるかもしれません。
自然界に潜在する原理原則を実践的に応用する。それがテクノロジーであるとするならば、植物の生態に内在する原理を発見することもテクノロジーの進歩を促すのかもしれません。
水は生物が生存するために不可欠なもの。陸上の水分は偏在しており、豊富な土地もあれば、欠乏している土地もある。希少性は相対的なもので、供給(賦存量)と需要のバランスによって決まります。
賦存しているけれど経済合理的に取り出せなければ(利用できなければ)、それは存在していないのと等しいわけです。水が存在していると実感するのは「水場」や「地表を流れる水」など、一定量の水の存在を視認できたときのように思いますが、実際には大気中にも水分は存在します。
砂漠に生える植物の代表的存在であるサボテンは大気中の水分を集め、水滴を作り、内部に取り入れています。「塵も積もれば山となる」ではありませんが、手間暇をかけずに少量を束ねることができれば、意味のあるものとなります。
《ワルカ・ウォーター》を初めて知ったとき、「なんと美しいのだろう」と思いました。エチオピアのシンボルとも言えるWarkaの木を模倣した構造。地域社会に融けこむ建造物は、網を使って大気から水分を集める。まさに「命の木」とも言えるものです。
植物は合理的である。過酷な環境で生き延びる植物は、環境に存在する資源を効率的に活用し、時に「潤沢さ」をも生み出している。植物の生き方から引き続き学びます。
「自然を模倣する」という考え方。