情報・アイデアの流れとビッグデータ
昨日は『ソーシャル物理学 - 「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学』(著:アレックス・ペントランド)より「人々の行動を記録したビッグデータを利用」を読みました。
著者が提唱する「社会物理学」とは何か。通常の物理学が「エネルギーの流れがどのように運動の変化をもたらすか」を考察するのに対して、社会物理学は「アイデアや情報の流れがどのように行動の変化をもたらすか」を考察するものでした。
では、次に浮かぶのは「アイデアや情報の流れをどのように捉えるのか?」という問いです。アイデアや情報の流れはセンシング技術やインターネット履歴(ログ)などの積み重ねによって捉えることができるようになりました。
オンラインで商品購入・決済をしたり、様々な手続きをすることが当たり前のようになっている。オフラインの場合は自分で記録を残さなければなりませんが、オンラインの場合は手続きが裏側で自然と記録されています。だからこそ、後で履歴を参照することができるわけです。
例えば何かのアンケートに答えるとき、設問の設定次第で回答が誘導されてしまう、バイアスがかかってしまうことがあります。回答を意識してしまうことで、本来の回答とは異なるかもしれない。
そう考えると、その人の本来の行動パターンというのは「無意識」に現れている。本人が自覚していないところ、意識していない場面でのデータの蓄積が重要なのかもしれません。
その意味で「私たちが実際に何者なのか、より正確に表してくれるのは、発言の内容ではなく、どう時間を過ごしているか、何を買ったかといった情報」という著者の言葉は納得間のあるものでした。
データに含まれるバイアスを取り除く、あるいはバイアスのかかったデータを取り除くということ。
「従来のように現象を平均化するやり方では、社会を十分に理解できない」
この言葉を受けて思い出したのは、トッド・ローズの著書『平均思考は捨てなさい』でした。「平均的な人間など存在しない」ということが書かれているのですが、人は一人ひとり違いがあり、それが「個性」として現れるわけです。
確かに「平均」という指標は分かりやすいかもしれませんが、その指標が現実をどれだけ表しているのかということにも注意を向ける必要があります。むしろ、散らばり具合、すなわち「分布」が重要なのだと思うわけです。
分布の中からパターンを見出していく。論理を働かせる前提には、直観が必要。どのように眺めるかが大切なのだ、とあらためて思いました。